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【現実世界・学園/高等部・教室】
チャイムが鳴る――はずだった。
けれど音は途中で潰れた。金属が水に沈むみたいに、ぼやけて消える。
次の瞬間、教室の照明が一斉に落ちた。
蛍光灯の白が消え、窓から入る昼の光だけが残る。
「え、停電?」
「マジ?」
誰かが笑いながら言う。いつもの冗談のテンションで。
でも、笑いは続かなかった。
床が、沈む。
“一拍”じゃない。じわり、と、確かに。
まるで校舎全体が、別の地面にゆっくり乗り換えるみたいに。
窓の外の空気が変わった。
匂い――湿った土と、青い葉と、遠くの苔。
ありえない匂いが、教室の中まで入り込んでくる。
ハレルは机の横のバッグへ手を伸ばした。
指が肩紐に触れた瞬間、胸元の主鍵が熱く脈打つ。
(来る……)
ゴン、と鈍い音。
何かが校舎にぶつかったような衝撃が走り、窓ガラスが一斉に鳴った。
生徒たちの悲鳴が重なる。
「うわっ!」
「地震!?」
「違う、これ……揺れ方がおかしい!」
黒板のチョークが床に落ちて砕け、筆箱が滑って転がる。
担任が机に手をついて叫ぶ。
「落ち着け!席につけ!」
その混乱の中心で、葛原レアだけが立っていた。
停電で薄暗い教室の中、彼女の顔は影に半分沈んでいる。
なのに、目だけがはっきり見える。暗闇でも見えてしまう笑み。
「落ち着いて。みんな、座って」
声は教師のそれだ。安心させる声。
でもハレルには分かる。
落ち着かせているんじゃない。状況を“整えている”。
ハレルは立ち上がった。
椅子が床を擦る音が、やけに大きく響く。
「葛原――」
担任が止めようとするより早く、ハレルはレアの前へ出る。
目の前の距離。
その笑みが、さらに薄くなる。
「どういうつもりだ……!」
声が掠れる。怒りで喉が乾く。
「何をしたんだ!!」
教室が一瞬だけ静まった。
生徒の視線が集まり、担任が青ざめる。
「雲賀!やめろ!」
レアは眉ひとつ動かさない。
ただ、ゆっくりと瞬きをして、ハレルの胸元――主鍵を見る。
見ているのは顔じゃない。鍵だ。
「……何の話?」
レアは肩をすくめた。
教師らしい仕草。教師らしい口調。
でも、言葉の端が冷たい。
「停電も揺れも、私のせいだと?」
「とぼけるな。お前がここに来てから――」
言い切る前に、また床が沈んだ。
今度は“揺れ”じゃない。
教室の空気そのものが、ひゅっと薄くなる。
窓の外が、緑に変わった。
青空はある。光も同じ。
NGS_ヘビーなしっぽ
142
71
上野文
6,385
#能力者
紅優
254,417
でも、見えるものが違う。
校庭のはずの場所に、木がある。
しかも学園の植え込みじゃない。もっと荒い、野生の濃い緑。
「……え?」
誰かの声が震えて漏れた。
「なに、あれ……」
整備されたグラウンドの白線はない。
代わりに草が波打ち、木々が揺れている。
遠くには――石でできた塔みたいな輪郭が、ほんの少しだけ見えた。
(異世界……)
ハレルの背中が冷えた。
何度も見た景色だ。夢でも、境界でも。
でも今は“現実”として窓の外にある。
教室が一気に割れる。
悲鳴、泣き声、椅子を蹴る音。
担任が叫ぶ。
「窓に近づくな!全員、席に――!」
その叫びの中で、レアが小さく息を吐いた。
ハレルにだけ聞こえるくらいの声で。
「……ちゃんと来た」
ハレルの指が勝手に握り締まる。
怒鳴り返したいのに、今は優先がある。
――サキ。中等部。
同じ敷地。別の棟。
無事か。
ハレルはレアを睨みつけたまま、短く言った。
「……後で、絶対に聞く」
レアは笑みを崩さない。
「いいよ。いつでも」
その“いつでも”が、怖かった。
まるで時間がレアの側にあるみたいに。
ハレルはバッグを抱え、教室を飛び出した。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園/連絡通路】
廊下は薄暗い。非常灯もついていない。
窓の外の緑の光だけが廊下を照らし、影が伸びている。
その影が、どこか変だ。
校舎の影じゃない。
木の影が混じっている。
校舎の外に森が本当にある証拠。
ハレルは走る。
階段を駆け下り、連絡通路へ向かう。
途中、胸元の主鍵がまた熱く脈打った。
合図じゃない。
背中の皮膚がピリつく“見られている”感覚。
(セラ……!)
ハレルは息を切らしながら、小声で呼びかける。
「セラ!聞こえるか!」
ネックレスを握り、意識を“向こう”へ投げる。
返事はない。
いつもなら、薄くでも気配が返ってくる。
それが――ゼロだ。
「セラ……!」
もう一度。強く。
だが白いノイズみたいなものが、意識の端で弾けるだけ。
(繋がらない……?)
(なんで――)
サキのスマホが見せていた《外に出ないで》が頭をよぎる。
同じ種類の“誰かの誘導”。
でもセラは違う。セラは橋渡しで、味方だ。
そのセラにすら届かない。
ハレルは走りながら、次の名前を口にする。
「リオ……アデル……ノノ……!」
いつもの“同調”の回路を探す。
けれど返ってくるのは、音にならない空白だけだった。
――まるで、線を切られたみたいに。
最悪の想像が胸に刺さる。
「学園だけ」が丸ごと切り取られた。
こっちと向こうの接続ごと。
背後のどこかでガン、ガン、と音がした。
出入口の封鎖を誰かが叩いている音か。
それとも――外から試されている音か。
森の匂いが濃くなる。
どこかで低い遠吠えが聞こえた。
短く、鋭く、数がいる。
ハレルは歯を食いしばり、走る速度を上げた。
サキのところへ。
今はそれだけだ。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園/中等部・教室】
サキの教室も同じように停電していた。
照明が落ち、ざわめきが広がり、誰かが泣きだす。
窓の外を見た子が声を上げる。
「……木がある!」
「え、校庭のところ、森になってる!」
担任が教室の前に立ち、震える声を押さえつけるように言う。
「みんな!落ち着いて!席に座りなさい!」
「絶対に外に出ない!いいね!」
サキは机の下でスマホを握りしめた。
《外に出ないで》
その一行が、画面に残っている。
怖いのに、正しい気がしてしまう。
その時、教室の扉が勢いよく開いた。
「サキ!」
息を切らしたハレルが立っていた。
サキは立ち上がり、走って兄のほうへ行く。
「お兄ちゃん……!」
ハレルは一瞬、サキの肩に手を置いて確かめる。
生きてる。温かい。ここにいる。
それだけで、胸の奥の何かが少しだけほどけた。
「無事でよかった」
声が少し震える。
担任が怒鳴る。
「勝手に入ってきちゃだめ!」
ハレルは頭を下げる。
「すみません。でも……今、普通じゃない。サキを連れて行きます」
「連れてってどこへ――」
担任の声に答えず、ハレルはサキの手を取る。
その瞬間、校内放送のスピーカーが「ザッ」と音を立てた。
ノイズの向こうに、震える教頭の声。
『全校生徒に通達します。現在、原因不明の停電および外部環境の異常が確認されています』
『全ての出入口を封鎖します。生徒は教室から出ないでください』
『繰り返します。絶対に外に出ないでください』
教室がざわめき、泣き声が増える。
窓際の子が叫んだ。
「外……なんか動いた!」
木の間。緑の向こう。
黒い影が走った気がした。
狼みたいな、でも校庭にいるはずがないもの。
担任がカーテンを引く。
「見ない!」
ハレルはサキに小さく言う。
「行くぞ」
「……うん」
廊下に出た瞬間、森のほうから低い遠吠えが聞こえた。
今度は近い。
封鎖の“理由”が、もう音として届いてくる。
◆ ◆ ◆
【現実世界・警視庁関連施設/監視室】
モニターの列が、いきなりざらついた。
学園の外周カメラ。正門。裏門。通学路。
全部に、同時にノイズが走る。
白い線が斜めに裂け、画面が一瞬“別の色”になる。緑が混じる。
森の緑だ。
城ヶ峰は椅子から立ち上がった。
「……何だ、これ」
オペレーターが顔を青くする。
「学園一帯の映像が……!信号が、歪んで――」
城ヶ峰はモニターを食い入るように見る。
ノイズの奥で、学園の輪郭が揺れている。
建物が揺れているんじゃない。
“画面の中の世界”そのものが、ずれる。
そして――
学園の映像が、途切れた。
一瞬、真っ黒。
次の瞬間、同じ位置のカメラが映したのは――森だった。
校舎がない。校庭がない。
あるのは、見たことのない植物の密度と、湿った影。
「……消えた、のか」
城ヶ峰の声が低く落ちる。
オペレーターが震える声で言う。
「周辺カメラには……異常なノイズの後、景色が……森に」
「……学園だけ、抜けた」
城ヶ峰はすぐに無線を掴む。
「現地班。木崎は?」
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園周辺/外周道路】
木崎は、学園の外周フェンス沿いにいた。
取材目的――表向きはそれだ。
最近、学園周辺で目撃されていた不審な動き。
それを追っていた。
手元のカメラを上げた瞬間、地面が鳴った。
轟音。
地震に似ているのに、揺れが“縦”に来る。
空気が押しつぶされるような圧。
「……何だよ、これ」
フェンスの向こう、学園の敷地が揺れる。
いや、揺れるんじゃない。
輪郭が歪む。
空間が、きしむ。
次の瞬間、敷地の中が“白く”なった。
光じゃない。
現実の色が抜けた白。影が薄い白。
木崎は反射でシャッターを切った。
カシャ、という音が妙に遅れて耳に届く。
遅れて届く、という時点で、もう普通じゃない。
白が引く。
すると――そこには、森があった。
学園がない。
校舎も、グラウンドも、体育館も。
広大な敷地いっぱいに、現実では見たことのない緑が広がっている。
木崎の背筋が凍る。
「……は?」
森の奥、中心部。
木々の隙間に、何かの建物が見えた。
石の塊みたいな、古い構造物。
学園の建物じゃない。
そして、森の中から低い唸り声がした。
犬じゃない。狼に近い。
数がいる音。
木崎は一歩下がり、すぐにスマホを出した。
「城ヶ峰……!」
指が震える。だが、声は出た。
「学園が……消えた。今、目の前で。敷地が森に変わった……!」
返事を待つ間にも、森の影が動く。
フェンスの向こう側で、黒いものが走る。
木崎はカメラをもう一度構える。
取材じゃない。証拠だ。
これが現実だと、後で言えるようにするための。
――その瞬間、森の奥で、枝が折れた。
近い。
そして、唸り声が一段低くなる。
木崎は息を吸い、足を止めなかった。
逃げるのではない。
距離を取りながら、目を離さない。
森の中心の“建物”を見失わない。
(学園が……あっちに行った?)
(それとも――あれが、学園を飲み込んだ?)
答えはまだ出ない。
ただ、確かなのはひとつ。
ここから先は、もうニュースの見出しじゃ済まない。
森が、現実に来ている。
そしてその森は――生き物を連れてきている。