テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
8年前 ― 多摩川の交番
夜の交番に、私は転げ込むように飛び込んだ。
頬は涙で濡れ、喉はひりつくほどに荒れていた。
「助けて…っ!!お父さんとお母さんが喧嘩っ、して…っ、はぁ…、お父さん、…暴れ、ててっ、…!」
机に座っていた若い警察官――伊吹藍は、驚いた顔で立ち上がり、すぐに身を屈めて私の目線に合わせる。
「大丈夫。俺が行ってくるから、ここで待ってて。ね。」
その声に縋るしかなく、私は震える手で住所を伝えた。
彼は一度だけ頷くと、駆け出していった。
…あとから知ったことだが、伊吹は走りながら警察署に連絡を入れ、数分後にはパトカーが家を取り囲んでいた。
父は暴行罪で捕まり、母は入院することになったが、命に別状はなかった。
病院で母に会えたとき、伊吹が言った。
「お母さんも、君も無事でよかった。」
私は何度も頭を下げた。
「本当に、助けてくれてありがとうございました。…その、…私、お父さんから逃げるために、関西の方に行くことになりました。」
伊吹は少し寂しそうに笑ったが、それ以上は何も言わなかった。
現在 ― 第4機捜 分駐所
「今日から新人が入る。異例の三人バディになるけど、しっかり頼むよ。」
桔梗隊長の声に、分駐所の空気が引き締まった。
私は緊張しながら中に入る。制服に身を包み、背筋を伸ばし、前に立つ二人に敬礼した。
「配属になりました、○○です。よろしくお願いします。」
顔を上げた瞬間、そこにいたのは――あの夜、必死で走ってくれた人。
「…伊吹さん…ってあの日の…?!」
目を見開く私に、彼も同じように驚きの声をあげた。
「あれ!!あの日の!!…えー…ちょー可愛くなってんじゃん…!!」
いきなりの言葉に、頬が熱くなる。けれど胸の奥は、不思議と懐かしさと安心で満たされていた。
隣で腕を組んでいた志摩が、呆れ半分に笑う。
「あれ、知り合い?って…前言ってたあの子か。暴れる父親から救ったってあの子。」
「そうそう! やべぇ、マジで覚えてる!」
伊吹は子供のように笑い、私をじっと見つめる。
私は改めて頭を下げる。
「あの時は、本当にありがとうございました。…私、今度は逃げるんじゃなくて、誰かを助けられる人になりたくて。」
志摩がその言葉に、静かに頷いた。
「…いいじゃん。今度は、君が救う番だよ。」
分駐所の空気が、少しだけ柔らかくなった。
あの日の涙は、今はもう未来を形作る力に変わっている。