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軽く噛み付いただけじゃ、きっと駄目。 唾液を相手の体内に流し込むのだと言っていた。
マルスの筋張った首筋に歯を立てると、口の中に鉄の味が広がった。
お願いします、神様。
どうかマルスを助けて下さい。
神様と言うのがアルテアの事なのか、それとも地獄に居るというユリセスの事なのかはもう、ティナーシェ自身にもよく分からない。
噛み付いていた口を離し、なおもマルスにしがみついていると、その背に生える羽根に変化が訪れた。
「え……」
自分の目を疑ったのは、ティナーシェだけでは無いはず。
大聖堂にいた全ての人が、マルスの羽根を見ながら目を見開いていた。
カラスよりもずっと漆黒だった羽根の色が徐々に薄くなり、最後には雪よりも白い色に変化した。
太陽の光を受けて、金色にすら見えるくらいだ。
「なっ? 言っただろ。最初から大人しく、噛み付いとけば良かったんだって」
パチパチと目を瞬いているティナーシェに、マルスはニィっと口角を上げて見せた。
「嘘でしょ……マルス、天使になったの?」
先程まで放っていた禍々しい魔力が嘘のように消え、そこにあるのは聖女達が持つ力――聖力のみになった。
それもただの聖力などではない。
癒したり修復するだけにはきっと留まらないであろうほど、強大で温かな力だった。
「そう。悪魔は番を見つけて契りを交わすと天使になる。『Love is POWER!』とか言って、あのバカップルが考えそうな事だよなぁ、全く」
「あらまぁ、バカップルって褒め言葉? 私の可愛い坊や」
透き通るような女性の声が、脳に聞こえた気がしたその瞬間、太陽を直接見てしまったかの様に目の前が真っ白に光り輝いた。
「――――っ?!」
あまりの眩しさに目を瞑り、再びまぶたを開けた時には目の前に、一人の女性が立っていた。
「貴女はまさか……アルテア様?」
シルヴィーを神々しいと思っていたが、その比ではなかった。ただ美しいだけではない、思わず平伏してしまいたくなる荘厳な佇まいに、ティナーシェは自分でも気が付かないうちに跪いていた。
ティナーシェの呟きに応えるようにアルテアは微笑むと、こちらへ近付いてきた。
「相変わらず親に対する口の利き方がなってないわね、この子は」
「いてててて! やめろっ!!」
マルスのほっぺたをつねって遊んでいるアルテア様。
え? 親?? 親って???
「もしかしてマルスのお母様って……」
「お察しの通り、俺の母親はこのクソババアで、親父は地獄にいるユリセスだ」
親父の方はともかく、クソババアってアルテア様のことだったの?!
目を白黒させているティナーシェの目の前で、アルテアがマルスの後頭部をスパーンっと引っぱたいた。意外と力が強いのか、それとも筋力とは別の力が働いているのか、あのマルスが前に吹き飛んだ。
「うふふ、ほんとこの子ったら口が悪いんだから。ね?」
「えーと。は、はい。で、いいのかな……」
本当のこととは言え、神との間に生まれた子供に対する発言。どう返事をしたらいいのか迷って口篭るティナーシェに、アルテアは鈴を転がすように笑った。
「本来なら悪魔同士で番になるんだけど、ちょーっとミスしちゃったみたいで。でもこんなハプニングも有りよね。面白いもの見せて貰ったもの」
肩を竦めてペロリと小さく舌を出したアルテアは、少女の様にも大人の様にも見える。
ああ、可愛い……。
ティナーシェの中のアルテア像とは大きく掛け離れた性格をしていたが、そんなことはどうでもいい。
年齢不詳の美女に、ティナーシェはすっかり惚けてしまった。
「面白いじゃねぇ! テメェのせいで俺がどんだけ苦労したと思ってんだよ?!」
「そんなに怒らなくたって、何事にもミスなんて付き物じゃない。ひどーい」
「けっ、可愛子小振りやがって」
「じゃあ何? 今から貴方の番を他の誰かに変えてあげましょうか?」
目を細めて薄暗く微笑んだアルテア。
マルスは舌打ちすると、吐き捨てるように言った。
「いや、やっぱいい」
「ほーらねっ! ティナちゃんで良かったでしょう?」
「あのぅ……」
気安く話し掛けて良いものかどうか迷いながらも、ティナーシェは小さく手を挙げた。
「なぁに?」
「悪魔というのはマルスに限らず、みんなアルテア様とユリセス様のお子なのでしょうか?」
悪魔は悪魔同士から生まれてくるものだと思っていたけれど、どうやら違うらしい。全ての悪魔が番を見つけると天使に変わるとしたら、全員アルテアの子である可能性を考えたティナーシェは疑問をぶつけてみた。
「マルスの番の貴女には、天と地の秘密を教えてあげましょう。私とユリセスは夫婦なの。そして悪魔はみんな、私と夫との子供」
やっぱり、と相槌を打つとアルテアは話を続けた。
「番の見つからない悪魔って言うのはね、常に渇望感に襲われているの。欲しくてたまらないのに見つからない。手に入れたいのに手に入れられない。その満たされない欲求を埋めるために何をすると思う?」
「地獄へ落ちてきた魂を拷問にかける……?」
『人間の弱さを戒めておいでなのです』
以前魔塔の礼拝堂を訪れた時、テオはそう言っていた。
ユリセスが夫だと言うのなら、アルテアは地獄へ落ちた魂がどんな扱いを受けても容認しているという事じゃないだろうか。
ティナーシェが恐る恐る意見を述べると、アルテアは明るい声で答えた。
「そう! 当りよ。生前に犯した罪を償わせるため、そして生まれ変わった後二度と同じ轍を踏まないよう、地獄できっちりお仕置するというわけ。その役目を悪魔に担わせているのだけど、魂を痛ぶる度にいちいち『可哀想』なんて哀れんでいては、自分の身が持たないでしょう? だからわざと番という制度を作ったの」
「自身の満たされない欲求を地獄へ落ちてきた魂へぶつける。そうやって俺たち悪魔は片割れの居ない渇きを凌ぐってワケ」
アルテアの説明に淡々とした口調で付け加えたマルスは、「あーぁ」と息を吐いた。
そんな葛藤があったとは知らず、ティナーシェは随分マルスを焦らしてしまった。
「悪魔が番を見つけることで欲望が満たされ天使になれる。なかなかよく出来ていると思わない? ロマンチックでしょ」
天と地の秘密は理解出来た。
けれど、それよりももっと気になっていることがある。
「私……と、マルスはこの先どうなるのでしょうか?」
天と地の壮大な話しよりも今は、すぐ目の前にある問題の方がティナーシェにとってはずっと重要だ。
ゴクリと唾を飲み込み一拍置いたティナーシェは、言葉を続けた。
「マルスは天へ昇らなければなりませんか?」
自然と手が震えてくる。
せっかく真の番になったのに、結局離れ離れになってしまうのなら、噛まない方が良かったんじゃないだろうか。
「マルスと離れたくないのね?」
「はい」
「天使が地上に降りて生活するなんて例外中の例外だけど、そのくらいは許可してあげましょう。人間の魂を番にしてまった私のミスでもあるし」
「ほ、本当ですか?!」
ホッと胸を撫で下ろすティナーシェに対し、マルスは顔を顰めた。
「おいおい、ジョーダンきついって」
「マルス?」
「こいつは人間として、俺は天使のままで仲睦まじく暮らせってか?」
「それの何が不満なの? ティナーシェが死んだら、その魂は特別に私の子として転生させてあげる。貴方も命を私たちに返して、2人とも悪魔として生まれてやり直せば、なんの問題も無いでしょう」
私、死んだらアルテア様の子になるの?
自分の死後の未来設計がかなり衝撃的だが、マルスとはまた、悪魔として出会える?
でも前世の記憶ってないよね??
脳みその想像力が限界に到達して、もうパンクしそうになってきた。
「問題大ありだよ」
自分の背から生える片翼の先を前に持ってきたマルスは、その手で羽根をグッと掴んだ。
「何して――――?!」
ブチブチブチ――っ!!
羽根を握る手を力の限りに引っ張ったマルスは、翼を背からもぎ取ると、そのままそれをアルテアの足元に向かって投げ付けた。
「あー、くっそ痛てぇ」
背からは勢いよく血が噴き出し、残る左側の真っ白な羽根を赤く染めている。
「マっ、マルス!! 何してるの!? いっ、今治すから」
羽根を元に戻すことなんて出来るのかな?そんな事より今はとにかく血を止めないと。
聖力を当てようとするティナーシェの手を、マルスは払い除けた。
「何のつもりかしら?」
「ミスしたって言うんなら、責任とってくれよな」
「だから言ったでしょう。地上で暮らしても良いって」
「そんなんじゃ足りない」
自ら作った血溜まりの中で、マルスは頭を下げた。
「俺を人間にしてくれ。いや、して下さい。お願いします」
「マルス、何で……」
「さっきあいつが説明していた通り悪魔も天使もみんな、アルテアとユリセスの子だ。やる事は出来ても天使に生殖能力はない」
マルスが何を言おうとしているのか分かって、鼻の奥がツンとする。
「子供、欲しいんだろ?」
そんなの気にするとこじゃないのに。
マルスさえ一緒にいてくれたら、それだけで良かったのに。
血の気が失せて青ざめた顔をしたマルスは、冷や汗を拭いながら呟いた。
「俺もティナとの子供、抱いてみたい」
「――っ」
こんな時に、なんで嬉しくて仕方がないんだろう。涙が止まらない。
「あらあら。『Love is POWER』を自分で体現しちゃってるじゃないの」
「うっせぇよ、クソババ……ぁ」
「マルス?!」
マルスの身体がぐらりと傾いた。
きっと背中の翼は急所なんだ。
聖力を当ててみるが、吹き出る血を止められない。
「アルテア様、お願いします。マルスをお助け下さい。子供なんて望みません。離れ離れになっても構いませんから、どうか……」
気持ちを分かち合えただけでもう充分。
マルスがどこかで生きていてくれたら、それだけでいい。
高望みなんてしないから。
「お願い……ひっく……します」
声がひっくり返って上手く喋れない。
ティナーシェを見、マルスを見たアルテアは小さく首を横に振った。
「私の可愛い坊や。お前が人間になったら、番という魂の縁は切れてしまうのよ」
「……いるかそんなもん。何度死んでも、絶対にまた、ティナを見つけてみせる」
血溜まりの中からマルスのブルートパーズ色の瞳だけが、アルテアの方を向いた。
もう顔を動かす事も出来ないほどに弱っている。
「やっぱり我が息子ながら惚れちゃうわって言ったら、ダーリンはまた怒るかしら?」
コロコロと笑ったアルテアはマルスに近づくと、その額に口付けを落とした。
ひと言、別れの言葉を残して。
「さようなら。私の可愛い坊や」