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僕は恵まれている。
厳しくも優しい両親に、
笑顔で話しかけてくれるクラスメイト、
期待してくれている先生。
僕は恵まれている。
そんなのはわかってる。
だから、辛いことなんてなにもないし、
相談することなんて思いつかない。
カ ツ ラ ギ
「 桂木くん、大丈夫? 」
帰ろうとした時、
セ ジ マ
クラスメイトの瀬島さんにそう声を掛けられた。
大して関わったこともない人だった。
「 大丈夫。 」
何について聞かれているか、わからなかったけれど。
でも、僕は恵まれているから
大丈夫じゃないことなんてなにもない。
「 それより、早く帰ったほうが 良いよ。 」
「 雨、降ってるから。 」
「 帰れない。 」
彼女の手には傘がなかった。
「 傘がないなら、貸すよ。 」
「 僕は、走って——」
「 そうじゃない。 」
「 桂木くんが、大丈夫じゃないから。 」
どういうことだ?
「 僕は家も近いし… 」
「 桂木くんが濡れちゃうとか、そういうことじゃない。 」
手に冷たい感触が走った。
「 …は、?ちょ、 」
彼女は僕の手を掴んだまま、雨の中に飛び込んだ。
「 っ、おい、!止まれって、っ…!」
「 桂木くんも走って。 」
「なに訳のわからないこと言ってんだよ、っ、 」
雨の中走るなんて、転けるかもしれないし
それに傘を差していないから、風邪をひくかもしれない。
「 もしかして、足遅いのがバレたくないから走らないの? 」
「 はぁっ、?!舐めんな、! 」
「 …雨の中走るなんて、馬鹿みたいだな。 」
僕と瀬島さんは10分くらい走って、
小さな公園のブランコで休んでいた。
いつの間にか雨はやんでいた。
「 私は馬鹿じゃない。 」
「 僕だって馬鹿じゃないから。 」
つい、小学生の言い合いみたいになってしまった。
「 知ってる。 」
知ってるんだ。
「 桂木くんは、いろんなこと考えてるんだろうけどさ。 」
「 そういう時は走れば良いんじゃない。 」
「 …え? 」
「 走れば良いんだよ、今日みたいに。 」
なんでそんな考えになるのか、理解できない。
「 …走って意味あるの? 」
瀬島さんは濡れた前髪を耳にかけながら言った。
「 意味なんてなくても良いじゃん。 」
「 意味がないことなんて、やる必要ないだろ。 」
「 桂木くんは、意味があることしかやらないの? 」
「 楽しいの? 」
返事に詰まった。
僕は、意味のないことなんてしてこなかった。
それが普通だと思っていたし、それで困ったことなんてなかった。
なかったはずなんだ。
成績を保つために勉強をして、
両親を安心させるために笑って、
周りの期待に応えるために、〝ちゃんと〟してきたつもりだ。
でも、楽しいとは思わなかった。
「 …わからないな。 」
「 ん? 」
「 なんで、僕が大丈夫じゃないって思ったんだ。 」
その言葉を聞くと、
瀬島さんは眉を下げて、笑った。
「 だって、桂木くん笑ってないから。 」
そんなはずは、ない。
僕は〝ちゃんと〟笑ってるつもりだった。
家でも、学校でも、
鏡の中でも。
「 …笑ってるよ。 」
「 笑ってないよ、心から。 」
やけに、静かな声だった。
それは、雨の音が消えた世界で、僕だけに届くようだった。
雨のあとに残った水たまりが、街灯を反射して揺れている。
「 でもね、走ってる時はちょっとだけ笑ってたよ。 」
僕は返事をしなかった。
けれど、胸の奥にかかっていた雲が少しだけ薄くなった気がした。
何故かまた走りたいと思った。
——意味なんてなくても。