入学してから最初の土曜日――
ショッピングモールの中にあるケーキバイキングのレストランで、一年B組の懇親会が行われた。
総勢二十七名。
一軍女子たちは京次郎と同じテーブルを希望し、俺はスクールカースト中間位置の男子三人と同じテーブルに着いた。
開始から四十分後。遅れてきた市花が「ごめーん」と手を合わせながら店に入ってきた。
「海瀬さん、こっちきなよ」
市花と仲良くしたがっていた一軍女子のリーダー格が自分たちの席に呼んだが、市花は丁重に断った。
「ありがとう! でも今日は誘ってくれた律君のところに座るね」
その発言で、皆の視線が俺に集まった。
「律君、隣いい?」
「う、うん」
入学式の日、市花はうちの高校で一番可愛い子になった。
名声は他学年にも届き、男女問わず先輩たちが一年C組まで見にくるほどだ。
そんな市花が俺の隣を選ぶなんて、皆驚いているはずだ。
「海瀬さんって、伊坂と同じ中学だったんだっけ?」
俺の向かいに座る男子が言った。
「うん。家もご近所さんなんだよ」
「へー。幼馴染?」
「中学は三年間違うクラスだったからあんまり話す機会がなかったけど、同じ高校だから仲良くなったの」
「そっか。伊坂ってノリがいいし話しやすいもんな」
「髪型がおしゃれだし」
「背もクラスの中では結構高めだし」
同じテーブルの男子たちが口々に明るい声を出した。
俺は彼らと対等な関係だったはずだが、市花がきた瞬間に一目置かれたのを肌で感じる。
これまでこんな風に褒められたことはなかった。
もう彼らにとって俺は、違う立ち位置らしい。
悪い気はしないが、まだ慣れない。
隣に市花がいるだけで、周囲はこんなに変わってしまうのか。
俺はフォークでショートケーキを切った。
「ショートケーキ美味しそうだね。あたしもケーキ取ってこようかな」
「行ってらっしゃい」
緊張して不愛想になってしまい、自己嫌悪がある。
頭を搔きむしりたい衝動に苛まれている俺の気持ちなんて知らない市花は、涼しい顔で席を立ってその場を後にした。
話し声が耳に入らない位置まで市花が離れたのを見届けるなり、同じテーブルの男子たちが身を乗り出し、目をキラキラさせながら俺を持ち上げ始めた。
「海瀬さんと友達って凄いよな」
「伊坂が懇親会に誘ったら、即答でオッケーしてくれたんだもんな。さすが!」
「マジで羨ましい。海瀬さんって性格もいいって噂だけど、本当?」
市花の性格がいいのは当然だが、好奇心の塊のような空気をぶつけられてどう処理すればいいのか迷う。
そんな俺をよそに、今度は一番答えづらい質問を投げ掛けてきた。
「海瀬さんって彼氏いるの?」
「いない。最近別れたらしい」
こんなこと正直に答えて彼氏がいないと広まったら、市花を狙う奴が増えるから心底嫌だったが仕方ない。
「マジ? でもどうせ京次郎みたいなイケメンと付き合うんだろうな」
「お似合いだよな」
「うんうん。並んだらしっくりくると思う」
彼らが口々にそう言うから、俺はケーキに目移りしている最中の市花を見て、次に一軍女子たちに懐かれている京次郎を見た。
確かに京次郎なら、市花と釣り合っている。
外見も、雰囲気も。
俺はそっとフォークを置いた。
「美味しそうなケーキがいっぱいあって迷っちゃった」
戻ってきた市花の左右の手には皿があり、ショートケーキやフルーツタルトや名称がわからない三層のスイーツなど、多種多様な品が載っている。
「細いのに食うんだな」
「律君、女の子にそういうこと言っちゃダメなんだよ」
「ご、ごめん」
「今回だけは許してあげる~。あたしね、甘いものが好きなの」
ああ、可愛いな。
デレデレしそうになっていると、京次郎が俺たちのテーブルにきた。
「海瀬さん、参加してくれてありがとう」
「ううん。他のクラスの人とも友達になりたかったし、誘ってくれてありがとう」
二人が喋っている姿は絵画のようにキラキラしていて眩しくて、不快だった。
「律は楽しんでる?」
「ああ。京次郎は?」
「うーん」
何だか微妙な反応だ。
「女子たちに大人気だな」
「でもノリについていけない」
「ノリ?」
「パリピっぽいノリに慣れてないんだよね」
京次郎がボソッと言った。
「席替えするか?」
「でも僕のテーブルの女子たちが席替えは嫌って言うから」
それでは懇親会として成立しない気もするが、仕方ない。
「困ったときはこの席に避難してこいよ」
「ありがとう」
「京次郎が懇親会を企画してくれてよかった。俺、凄く楽しいぞ」
「そう言ってもらえてよかったよ」
まだ入学したばかり。完全には打ち解けておらず、多少よそよそしい。
けれどもめげずに、京次郎とは今のうちから良好な関係を構築したい。
「僕、ケーキ取りに行ってくる」
「俺も途中まで一緒に行く。トイレってどこだっけ?」
「店の外だよ」
俺はケーキが並ぶカウンターに向かう京次郎について行き、途中で別れて店の外に出た。
エスカレーターの傍の角を曲がって真っすぐ進むと、男子トイレの表記が見えた。
足早に向かっていたら、背後から腕を掴まれた。
驚いて振り返ると、緋咲が立っていた。
「こっち」
緋咲は俺を引っ張り、トイレを通り過ぎてガラス張りの壁まで連れて行った。
そこには俺の背丈ほどの観葉植物があり、緋咲が身を隠すためのバリケード代わりにした。
「バカみたいに鈴方君に媚びを売ってバカみたい」
俺をガラス壁に押しつけながら、緋咲が吐き捨てるように言った。
「バカが重複してるぞ」
「自分を偽ってヘラヘラして楽しい?」
「それ、どの口が言うんだ?」
「私はクラスメイトに媚びは売らないわ」
「仕方ないだろ。誰と仲良くするかで学校での過ごしやすさってマジで変わるからな」
俺は中学時代、運動も勉強も容姿も普通で目立つところがなく、いつスクールカースト底辺に堕ちても不思議ではない危ういポジションだった。
高校では変わりたくて、髪型や制服の着こなしも気を遣っている。
そこまでしたなら、あとは誰と仲良くするかだ。
「ふーん。スクールカーストトップになりたいの?」
「そこまでは考えてない」
俺の場合は、二軍あたりでリア充を目指すほうが現実的だ。
「市花の彼氏になればなれるかもしれないわよ」
「そりゃあな。中学時代もあの子の彼氏は一目置かれてたし」
「市花を彼女にしないとね」
「そうできたらいいけど……って、何してんだよ!?」
緋咲が正面から身体を密着させてきた。ズボンのチャックに手が伸びている。
「や、やめろよ」
「だって律、私のセフレになるって同意したじゃない」
「でもここでそんなことしたら――」
「クラスメイトたちにバレてもいいなら、騒いでもいいわよ」
緋咲の胸が当たっている。
双子とはいえ市花は服越しでもわかるくらい胸が小さいが、緋咲はとにかく大きい。手で掴むと零れるくらいに。
「……っ」
緩くなったズボンの隙間から手を入れられて直に触られた。股間を守るというトランクスの役割が果たされていない。
「最後までシたのに、この程度でびっくりするの?」
「シチュエーションが違う!」
「こっちは素直に反応していて可愛いわね」
返す言葉がない。緋咲の言う通りだからだ。
「見られるかもって思うと興奮する?」
首筋に緋咲の吐息が掛かり、力が抜けそうになった。
「……ん」
「気持ちいい?」
「……別に」
俺にもプライドがある。
「ふーん」
「おい」
「なあに?」
「セフレになれば、本当に市花に言わないでくれるんだよな?」
「ええ」
「それって、いつまでだ? 例えば俺が市花と付き合ったとしたら?」
「市花と付き合ったらセフレはやめてもいいわよ。もちろん全部黙っておいてあげる。期間限定のセフレ契約。面白いでしょう?」
「面白いわけないだろ。好きでもない奴に勝手な都合で呼び出されるんだぞ」
今の言葉が癪に障ったのか、緋咲の手の動きが速くなった。
それはさすがに、マズい。
「緋咲っ」
「なあに?」
「ここでそれ以上は……」
「それ以上は、何?」
俺は緋咲の肩を掴んだが、押し返すだけの力が入らなかった。
「でも――」
緋咲は俺の首筋に優しくキスをした。
「出しちゃったら懇親会に参加できなくなって可哀想だし、やめてあげる」
緋咲は悪戯っぽい笑みを浮かべて俺を一瞥すると、さっさと店に戻ってしまった。
どうしよう。外から見てもわかる状態だし、今すぐ動き回れない。
仕方なく男子トイレの個室に行き、正常に戻るまで時間を潰す羽目になった。
俺がやっと店に戻れたのは十分後。市花に「おかえり」と言われて、肩がビクッと震えた。
「た、ただいま」
「どうしたの? 具合でも悪い?」
「え!?」
「顔が青いよ」
「だ、大丈夫!」
二つ隣の真面目系女子たちのテーブルを見ると、緋咲が口元を手で押さえて楽しそうにしていた。
あいつ――
猛烈にムカついたが、心配そうに首を傾げている市花の手前何も言えない。
「本当に大丈夫だから」
「それならいいけど」
先程と同じ場所に座るなり、ポスンと優しい衝撃があった。
隣に座る市花の太ももが、俺の太ももにくっついている。
偶然だろうか。
それなら市花も困っているかもだし、変な誤解をされないように離したほうがいいだろうか。
身体をよじって距離を取ろうとしたら、俺の太ももに市花の手のひらが乗せられた。
「律君が席を外している間、寂しかったな」
「ト、トイレが混んでて」
「あたしね、本当は律君と一緒にいたいから懇親会に参加したんだよ」
市花が甘えるように俺の顔を覗き込み、俺の太ももを優しい手つきで撫でた。くすぐったい。
緋咲のせいで熱を持ったアレをせっかく収めたばかりなのに、今そんなことをされると非常にマズい。
「この間は律君のおかげで元気になったし、嬉しかったから。律君ともっと仲良くなりたいなって」
「あ、ありがとう! 皆喜んでるよ」
手首を掴んでお触りを止めると、市花は何故か酷く驚いた顔をした。
「あ、そろそろ会計するみたい」
俺は市花の手を離し、バッグから財布を取り出した。
そのすぐ後、全員で店の外に出た。
七階で解散という形だが、京次郎が一軍女子たちにこの後遊ぼうと誘われて明らかに困っている。
他人事として眺めていると目が合い、何故か俺に手を振ってきた。
「律!」
「何?」
「僕たちこの後遊ぶ約束してたよね!?」
そんな覚えはないが、必死な姿を見て頷いた。
「約束、してた」
「だからごめんね。今日は律と一緒に帰るから」
「伊坂もきていいのに」
一軍女子グループのリーダー格が言った。
「ごめん、男だけでゲームするんだ」
そこまで言われてやっと諦めた一軍女子グループは、八階にあるゲームセンターに行くために階段を上った。
その背中を見届けたところで、俺たちのところに市花が近付いてきた。
「律君、もしよかったら一緒に帰らない?」
「え!?」
「だってあたしたち近所でしょ」
「そっか、そうだよな」
「そうだよ」
「京次郎も途中まで一緒だけどいい?」
「もちろん」
市花が微笑みを向けると、京次郎は真面目系女子たちとエレベーターを待っているらしい緋咲のことをチラリと見た。
「うちのクラスの海瀬さんと帰らないの? 双子なんだよね?」
「あー……うん。双子だけどあんまり話さないから」
「そっか。系統が違うもんね」
京次郎は気に留めていないようでサラリと流したが、俺は少し気になった。
市花は父親の都合で、小学四年生のときに県外からこっちに引っ越してきた。
確か父親と二人暮らしと言っていたような気がする。
それが事実なら、両親が離婚して緋咲は母親側に引き取られて別々に暮らしているということだろう。
「C組は懇親会がないから、B組が羨ましいな」
「海瀬さんが企画したら?」
「それは恥ずかしいかなあ」
俺たちは三人で駅に向かって歩いているところだが、会話しているのは市花と京次郎ばかりで混じりづらい。
「京次郎君ってインステグラムやってる?」
「やってない」
「え!? 私服がおしゃれだから絶対にやっていると思ったのに」
「僕そういうの疎いから。同じクラスの女の子たちも同じ反応してたよ」
二人の後ろを子犬のように追い掛けていると、不意打ちで市花が話を振ってきた。
「律君はインステグラムやってる?」
「やってない。市花はやってるよな」
実は俺はインステグラムのアカウントを所有している。市花の投稿を閲覧するためだけに作ったから一件も投稿していないが。
アカウント名もIDも初期設定のまま。胡散臭さムンムンだし、言えない。
「インステ、やってるよ! よく知ってるね」
「うちのクラスの女子が話してたんだ」
「もしかして土屋さんかな?」
「うん。よくわかったな」
土屋さんは一軍女子グループのリーダー格。つやつやの長い黒髪を緩く巻いた、おしゃれで華やかなタイプだ。
うちのクラスでは一番可愛い子扱いだが――緋咲が地味な陰キャのフリをして本当の容姿を隠しているからでもある。
緋咲が本気を出したら、一番の座は確実に緋咲のものになる。
「インステ、土屋さんたちにフォローされたんだよね」
「別に仲良くないだろ? それなのにフォローして関わろうとするなんて、女子の世界ってコミュ力高いな」
「女子はねー、結構インステきっかけで仲良くなることが多いんだよ」
「「へー」」
俺と京次郎はまったく同じタイミングでマヌケな声を出した。
「ほら、この子、最近高校で一緒に行動してるんだけど、仲良くなったきっかけはファッションの趣味が合うってインステの投稿を見てわかったことなんだ」
市花が俺たちにスマホの画面を見せてくれた。
市花と、ボブヘアの女の子の自撮りが表示されている。
わざわざ紹介されなくても、俺はこの子の存在を認識している。
ここ数日、よく市花と並んで歩いているから。
「そうだ、今度この子とあたしたちで遊びに行かない?」
心臓が止まりそうな俺に対して、無邪気に「楽しそう」と答えたのは京次郎だった。
「やった! じゃあ来週の日曜日とかどうかな?」
「僕は大丈夫だよ」
「律君は?」
「俺も大丈夫だ!」
こうしてとんとん拍子に話がまとまった。
「ダブルデートだね」
「ぶっ」
あえて連想しないようにしていたフレーズを市花に言われて、びっくりした。
「あ、僕二人とは違う電車だからそこの階段で下りるね」
「うん。じゃあね!」
「おー、気をつけてな」
「今日はありがとう! また来週」
京次郎は俺たちに手を振って、地下鉄の駅に繋がる階段を駆け下りた。
俺と市花は地上の駅に入り、地元の駅へ。
最寄り駅からも同じ方向に向かって歩く。十分程で市花の家が見えてきた。
欧州の海沿いにありそうな、白い壁の大きな一軒家だ。
「送ってくれてありがとう」
「送ったっていうか、帰り道だし」
「そうなの?」
「そうだよ。だから気にしなくていいから」
市花が無事に家の中に入るのを見届けようとしているのに、不思議なことに市花は俺の目の前に立ったままじーっと上目遣いで見つめてくる。
「な、何?」
「インステグラムやってないなら、LIME。交換しよ?」
「そっか。交換しないと待ち合わせとか不便だもんな」
ポケットからスマホを出して、QRコードをスキャンした。
表示されたアイコンは、市花が某人気カフェチェーンの春限定ドリンクを持って写っている自撮りだった。
めちゃくちゃ可愛い。ずっと見ていられそうだ。
「それじゃあ来週、学校でね」
「ああ」
俺がスマホを手にしたまま、市花が玄関のドアを閉めてからも足を動かせないでいると、再び開いた。
「律君!」
「う、うん?」
立ち尽くしていたのを知られたなんて、正直恥ずかしい。
「LIMEしていい?」
「外で待ち合せるならLIMEで繋がってたほうが安心だもんな」
「そうじゃなくて、用もないのにLIME送られるの苦手だったりしない?」
「しない! むしろ好き!」
「そっか。あたしいっぱいLIMEしちゃうかも」
「してよ! 待ってるから!」
「ありがとう! さっそく後でLIMEするね。バイバイ!」
「バイバイ……」
笑顔で手を振った市花が可愛すぎて、俺の頭はどうにかなりそうだった。
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