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「羽理っ!」
そちらへ行ったからといって、塀に阻まれて敷地の外へ出ることは叶わないのだけれど、それでも畑の外周に沿って逃げられてしまったら、捕まえるのは困難に思えた。
そうこうしているうちに何かの拍子、数奇屋門の方へ行かれてしまったら、最悪外へ出られてしまう。
「羽理っ、頼むから止まってくれ! 弁解くらいさせろ!」
たまらず声をかけた途端、大葉の焦る気持ちを察したみたいに、羽理の背後を付き従うようにチョロチョロしていたキュウリが、不意に羽理の前へ飛び出した。
「ひゃっ」
いきなりキュウリに行く手を塞がれて驚いた羽理が、小さく悲鳴を上げて立ち止まって。
そのお陰で大葉は羽理に追いつくことが出来た。
「羽理。やっと……捕まえた」
背後から愛しい彼女の名を呼んで、ギュッと腕の中に囲い込むように閉じ込めれば、羽理が逃げたいみたいに身じろいだ。
「あ、あのっ、けど……私、……私っ」
そうしながら何を言っていいのか分からないみたいに言葉に詰まる羽理を背後から腕の中へ抱き締めたまま、大葉は「不安にさせてごめん」と素直に謝った。
キュウリがつぶらな瞳でそんな自分達を見上げているのがちょっぴり恥ずかしく思えてしまった大葉だけど、そんな理由でこの先の言葉を飲み込んでしまうのはダメだと懸命に自分を鼓舞する。
「さっきの俺の言葉、聞いてたか? 俺は……羽理にしか興味ない。見合い相手だったらしい彼女は確かに幼い頃を知ってる子だけど、ホントにそれだけなんだ。今更言い寄られた所で何とも思わないし、好みのタイプだって言われてもピンとこねぇ」
そこまで言って、大葉はずっと黙ったままの羽理をくるりと自分の方へ向き直させると、両腕に手を添えるように彼女を捕まえたまま、じっと羽理の顔を見下ろした。
涙で泣き濡れたアーモンドアイは、大葉が如何に羽理のことを傷付けたのかを如実に物語っているようで、胸がチクチクと痛む。
でもそれと同じくらい、愛する羽理の心を、自分がこんなにも揺さぶることが出来たんだと思うと嬉しくもあって。
「本当……?」
そんな、愛しくてたまらない羽理にうるんとした瞳で見詰められた大葉は、「当たり前だろ」と即答した。
「見合いの話をしていなかったのも、隠そうとして黙ってたわけじゃねぇよ。うちの社長が俺の身内だってお前が知ってると思わなかったから……ただ単に要らん心配を掛けたくなかっただけだ。黙って見合いして、あわよくば羽理と見合い相手とに二股掛けてやろうとか……そんな七面倒くさいことは思ってねぇから」
じっと真摯なまなざしで羽理を見下ろせば、ややして大葉の言葉に羽理がこくんと素直にうなずいてくれる。その愛らしい仕草にどうしても我慢出来なくなった大葉は、羽理の頭頂部に吸い寄せられるように唇を押し当てて「ホント可愛いな……」とつぶやかずにはいられなかった。
脈絡のない大葉からの言動に、羽理がソワソワと戸惑うのを見下ろしながら、大葉は実家へたどり着くまでの道すがら、羽理に告げねばと思っていたことを全部言おう! と思う。
「もともと見合い話自体、きてすぐ必要ないって突っぱねてたんだ。それを伯父がどうしてもって引き下がらなくて書類を押し付けられてたんだけどな。忙しさにかまけて机ん中に放りっぱなしになってた。けど――」
「けど?」
「羽理にプロポーズしてOKもらえて……その、……だ、……」
「だ……?」
サラリと嬉しかった気持ちを言ってしまおうと思ったのに、猫みたいに丸くて綺麗な羽理の目で見上げられたら、言葉がつっかえてしまった。そのせいで昨夜のことをやたら意識してしまった大葉は、見下ろした羽理の髪の毛の隙間からちらりと見えた首筋の鬱血痕に、〝面映ボルテージ〟が振り切れてしまう。
「その……、あれだ。お前、昨夜俺に、その、……あー、だっ、だ、……かれてくれただろ?」
「だ、……かれて……?」
大葉の言葉を何の気なしにオウム返ししてから、羽理はしどろもどろに告げられたそれが、『抱かれてくれた』だと認識したらしい。ぶわっと耳まで真っ赤にして、何故か背後にいる柚子たちを気にする素振りをする。
その不可解な行動に大葉がキョトンとしたら、
「あの、私の不調の原因……柚子お姉さま……気付いて、ました……」
とか言われて、一瞬遅れて羽理の言葉を理解した大葉は「まじか……」と盛大に溜め息を落とした。
あとで柚子から色々言われるのは必至だと諦めつつも、大葉はもう一人の姉――七味から言われたことを思い出す。
「まぁ、それはあれとして……その、……と、とにかく! お前が俺に全部委ねてくれたから……。だから俺もちゃんとけじめ付けなきゃいけないなって思ったんだ」
羽理に結婚を申し込んで承諾してもらって……そのまま彼女の〝初めて〟までもらってしまったのだ。伯父から持ち掛けられていた見合い話を宙ぶらりんにしておくのは、男として余りにも不誠実ではないか。
「今日会社へ行って社長に……っていうか伯父に会ったのは羽理にプロポーズしてOKもらえたって報告と、だから見合いは出来ないってハッキリ伝えるためだ」
「本当……?」
「ああ、本当だ。何なら今から恵介伯父さんに電話して確認してもらったって構わねぇよ。大体今日こんな格好をしたのだって、伯父さんに俺の本気を分かってもらうためだったし」
色々ありすぎて汗だくになってしまったからヨレヨレ感は否めない。けれど、スーツにきっちりネクタイまで締めた自分の姿を見下ろしたら、不意に羽理がギュウッとしがみ付いてきた。
スリスリと大葉の胸元におでこを擦りつけるようにしながら、「かっこいい」と言ってくれて――。
今まで大葉の手に怯えて隅の方へうずくまって震えていたように見えた仔猫が、やっと気を許してすり寄ってきてくれたような……そんな錯覚を覚えた大葉だ。当然のように甘えん坊な仔猫ちゃんに思いっきりハートを鷲掴みにされてしまう。
大葉は羽理の背中を片腕でギュウッと抱き締めると、思いっきり照れまくっている顔を見られないよう彼女の後頭部を自分の胸へ押さえつけるようにしながら言った。
「羽理。俺が甘やかしたいのも可愛がりたいのも……一生そばにいて欲しい、結婚して欲しいって思えるのも……お前一人だけだ。……愛してる」
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