「口から出任せ。災い唄い。不気味な乙女は口開く。静かに泣く子ら、許しを求め、不届き詫びて口約束。自ら鳴く仔は、恵みを求め、不思議な乙女は口閉じる」
魔法の嵐が巻き起こる。再び昼がやって来て、沢山の馬が謁見の間を駆け抜けていき、何もない空中から魔物が降ってくる。
誰もが魔法の嵐を退け、避けながらクオルの首を遠巻きに見て、次の一手を考えている。レモニカもまた己に出来ることはないかと頭を捻る。魔法少女の第四魔法が破壊できるのは非生物だけだと、ユカリとベルニージュが言っていたことを思い出す。
つまりユカリに首を刎ねられる前からクオルはすでに生物ではなく、いまも確かに生きていない、はずだ。もはやクオルの頭が魔法そのものになったのだ。とはいえそれはあまりにも不気味な光景だった。
「サイスさん。あれを封印できないのですか?」レモニカは蛇の姿になりながらも助けを求めるように言う。「一度は民家に閉じ込めたではありませんか」
「封印することは可能だが、どこに封印するというんだ」サイスは鐘の音の響く魔の剣とそこら辺に落ちていそうな木の枝を構え、無から生じた新たな魔物を相手取りながら言う。「奴を封印できても奴を黙らせられるわけじゃない」
魔物は潰しても潰しても湧いてくる。それも一筋縄ではいかない魔物が次々と現れる。サイスを狙うのは蛇のような魔物ばかりで、ベルニージュを狙う魔物はいかにも人間の男のような姿をしている。そしてユカリを襲うのは蛾のような魔物だ。ユカリが蛾を嫌っているというのをレモニカは聞いた覚えがない。そもそもそのような話をしていないからだが。
「レモニカさま」と呼びかけられ、男の姿になっていたレモニカははっと顔をあげる。
そこにいたのは召使のような姿をした女性だ。レモニカが何も言わずに見つめていると、その魔物はまた別の召使の女性へと変わる。
「レモニカさま。どこですか? レモニカさま。ご存知ですか? レモニカさま。貴女は貴女を許せますか?」
たとえ幻の吐く空虚な言葉だったとしてもレモニカの心は確かに痛みを感じた。しかしこの旅を乗り越えた精神は怯むことなく立ち向かう。ユカリやベルニージュのために何かができるはずだと信じている。
その時、レモニカの頭に一つの案が思い浮かぶ。とても名案とは言い難い。どう考えても危険であり、だから誰にもさせたくない。ならば答えは決まっている。
焚書官ルキーナの姿になったレモニカは駆け出し、クオルの首を拾うと玉座の据えられた陛を駆け上がる。
「レモニカ!」とユカリとベルニージュに同時に呼び止められるが足を止めることはない。
玉座の背後から柱廊を駆け抜け、王宮を飛び出し、岬へと向かって駆け出す。察したのだろうユカリとベルニージュも追ってくる。魔物たちも追ってくるばかりか、レモニカを捕まえようと周囲に湧く。
レモニカは魔物たちの腕を掻い潜り、炎や煙、不気味な液体をかわして突き進む。時にルキーナの細い姿で身をかわし、時に隆々とした男の筋肉で魔物を突き飛ばす。
岬の突端に小さな娘が現れて、涙を流して両腕を広げる。
「メールマは悲しいですわ。レモニカさま。メールマは許せませんわ。レモニカさま。メールマは――」
筋肉の引き締まる太い腕でレモニカは大きく振りかぶり、クオルの首を荒れ狂う北バイナの海に投げ入れた。
クオルの首は歌と魔法を率いて、それを追ったメールマの姿に化けた魔物と共に、崖下へと吸い込まれた。魔法の歌は遠ざかっていく。水の中ならば喋れるはずもない。もはや歌は聞こえてこず、魔法の嵐も、魔物の出現も止まった、と思いきや海の方から大きな歌声が聞こえてくる。
絶望的な気持ちでレモニカは崖の際まで駆け寄り、崖下を見下ろした。荒れ狂う海に波が立ち、何もかもを呑み込まんとする大渦が生まれ、それが人間の口のような形になり、呪文を唱え続けている。
海には新たな魔物が次々に生み出されているようだった。
「いったいどうすれば」レモニカは膝からくずおれて呟いた。
「こうすればいい!」と言ったベルニージュとサイスが一緒に投げ入れたのはクオルの体だった。ベルニージュはからかう。「これが救済機構の水葬の作法なんだよね」
「馬鹿言え。だが奴には十分すぎるくらい丁重だろ?」とサイスは答える。
「どいてどいて!」今度はユカリがグリュエーに運ばせてきた黒大理石の塊を地面に設える。「これでいい?」
「立派過ぎるくらいだ」と言って、サイスは剣を黒大理石に突き立てる。それはやはりボーニスの聖剣だ。「【沈黙】で良いんだな?」
次の瞬間、何処からか鐘の音が響き渡り、黒大理石が身震いするように振動すると、亀裂が入り、削られる。【沈黙】、無貌の骸、静寂、埋葬、死、透徹なる墓場、罪の印、禁忌の境、等々と呼ばれる最後の禁忌文字が黒大理石に刻み込まれる。
そして最も強力な光が全世界を照らし出し、禁忌文字の在り方が刷新される。光が収まると、ベルニージュの纏っていた茜色の円套は消え去り、代わりに羊皮紙とも違う薄い紙の束をベルニージュは手に持っていた。とうとう魔導書が完成したのだとレモニカにも分かる。それは他の魔導書と同じ姿だからだ。
ベルニージュはとても単純な口止めの呪いを、今しがた設えた墓石を礎にし、かつ三つの魔導書を触媒にして、海に向かって投げつける。その力は、人ではない何かになったクオルの力を凌駕し、その歌を海の底に封じ、永遠に黙らせた。海面の大渦は鎮まり、歌が止むと同時に魔法の嵐は眠りについた。海に生まれた魔物たちは海面から顔だけ出して恨めし気に崖上を見上げ、奇妙な遠吠えをあげている。
レモニカは安堵の溜息をつき、振り返る。ユカリ、ベルニージュ、サイス、そこに立つ三人の偉大な魔法使いはレモニカの目に輝いて見えた。
が、突然ユカリが血相を変えてレモニカに飛びつき、ベルニージュが呪文を唱え、サイスが剣を抜く。巨大な手がレモニカの胴を背後から掴んだ。サイスの剣は魔物の指を切り落とし、ベルニージュの炎は魔物の頭を灰にした。にもかかわらずレモニカは足を取られ、手を掴んだユカリと共に落ちる。
魔物は落下しながらもなおレモニカに手を伸ばすが、ユカリが間に立ちはだかって、紫水晶の杖で【噛み砕く】。ユカリの使役する魔法の風が二人を海面すれすれですくい上げる。
そうして二人は難なく地上へと戻っていく。いつの間にか魔法少女に変身して崖上を見上げるユカリの横顔をレモニカは見つめる。最後の最後まで足を引っ張ってしまった、とレモニカの心に影が差す。
「申し訳ありません。最後の最後までご迷惑をおかけしました。」
「何言ってるの? レモニカの勇気でみんな助かったんだよ。ありがとう、レモニカ」
そのユカリの言葉にレモニカの心は濃い緑の香る夏の日差しに照らされたように明るくなった。
「あ! ユカリさま! 上にはサイスさんが」と言ったのは少し遅かった。
レモニカの目の前に口を大きく開けて固まっているサイスがいた。ベルニージュも大きく目を見開いてレモニカに目を奪われている。
「ユ、エ、ラ、もうばれたし、いいか。ユカリ」ベルニージュは奇妙なものでも見るようにユカリに顔を向けて言う。「いつの間に裸の女が嫌いになったの?」
「え!?」とユカリとレモニカは同時に驚く。
レモニカの姿は、その場の誰も見たこともない女の、さらには一糸纏わぬ姿になっている。
波打つ豊かな髪は涼やかな秋の風に揺蕩う小麦畑のようながら、その露わになった柔らかな肌は春の訪れない北の大地を覆う何者にも踏まれることのない雪のようで、その歓喜が透けて見える瞳は最も熱い夏の雲一つない空と波一つない海を混ぜ合わせた宝石のようであり、輝かしい白い歯の零れる唇は新たな一年を祝って咲き誇る桜のように色づいている。
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