冬の寒い空気が体を包む。指の先はかじかみ、吐き出す息は白い。耳は痛く、手足はカチカチで動かすのが苦痛だ。正直もう正常に動かないだろう、自分で歩く気力さえなくなった。
こんなことになっても、どうでもいいと思う。
自分にとって、あの人がいなくなった世界になど、価値などない。あの人が目の前から消えて全てが色褪せて見えて、この世界に失望した。
本当はもっと早くあの人の元へ行きたかった。でも、あの人と約束したから、いけなかった。
「私よりも、絶対長生きしてね」
彼女はそう笑って、自分の小指と小指を絡めた。ほんとうに若い時にした約束だ。それでも、自分はその言葉が嬉しかった。「わかった」と返事をしてしまった。
今思えば、本当に愚かな行為だ。その約束のせいで、自分は5年も苦しんだ。色のない世界で、人形のように生きた。彼女のもとに行けないという、拷問を受けた。
でも、もうそれも終わりだ。
もう、いいだろう?君より5年も生きたさ。早く僕を君の元は行かせておくれ、早く君の笑顔を見せておくれ、早く、抱きしめさせておくれ。早く、早く…
立ち上がり、橋の欄干に手をかけた。もう朝日が昇る、早くやるに越したことはない。身を乗り出そうとしたその時、小さな鳴き声が聞こえた。
みゃあ、みゃあ…猫の声だろうか?声からして、とても幼そうだ。母猫を探しているのだろうか?周りを見渡すが、猫らしき影はどこにもない…申し訳ないが、母猫を探す手伝いはしてやれない。自分はその声を無視して川に目を戻すと、目を見開いた。
そこには、先ほどの鳴き声の主がいた。
冬の冷たい川に小さな子猫が懸命に鳴きながらもがいている。
衝動的に、橋の欄干を乗り越えた。
「はぁ、はぁ…」
胸に子猫を強く抱きながら、冷たい川から急いであがる。元々身体全体がかじかんでいたのもあり、身体中激痛が走っている。あまりの痛さに身体がこわばる。
はっとして胸の中の子猫の安否を確認する。
自分の手の中におさまるほど小さく、とても冷たい。だが、生きている。体をふるわせながらも、暖を取ろうと私にしがみつき、丸くなっている。
そんな小さな命が尊く、震えっぱなしの情けない自分の手で、強く抱きしめた。
しかし、どうしようか。
川に子猫が落ちていたというのに、周りに親猫は見えない。普通、親猫の鳴き声も聞こえて良いはずなのだが…
この子は、捨てられた子なのだろうか。違うとしても、こんなに自分のニオイがついしてまったらこの子は育児放棄されるのではないか?
胸の中の子猫に申し訳なくなり、胸が締め付けられる。では、見捨てればよかったというのだろうか。そんなこと、できたのだろうか。いや、彼女なら絶対にそんなことしない。むしろ、飼いたいと騒ぎ立てただろう。
微笑ましい光景が脳内に浮かび上がり、頬が緩む。そんな未来も、良かったかもしれない。
胸の中の子猫の小さな鳴き声で、意識が現実に戻る。
そうだ、こんなことをしてる場合じゃない。兎に角、最寄りの動物病院に行くべきだ。
自分は急いで橋の上まで走り、近くに停めていた車に乗り込んだ。子猫は自分から離れようとしないので、仕方なく服を脱ぎ、車の中で脱ぎ捨ててあったものを着た。子猫は、彼女のお気に入りだった膝掛けで包んだ。
本当は水気をとってあげた方が良いのだが、そんな時間はないし、一刻も早く病院に行くべきだと思い、サッとふいただけなのは許してほしい。
記憶を頼りに、急いで車を走らせた。
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