テラーノベル
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冬。外はしんしんと雪が降り積もり、かつての戦場だった庭園は、今や静寂に包まれた純白の遊び場となっていた。
家の中では、囲炉裏の火が爆ぜる音だけが響いている。元貴が市場で手に入れた茶葉を淹れていると、奥の部屋から、珍しく少しだけ落ち着きのない足音が聞こえてきた。
「……ひろぱ? 何してるの?」
ひょい、と暖簾から顔を覗かせた元貴は、思わず持っていた茶托を落としそうになった。
そこには、国最強と謳われたあの若井滉斗が、床に座り込み、眉間に深い皺を寄せながら「あるもの」と格闘していたからだ。
彼の大きな手の中にあるのは、色鮮やかな唐渡りの絹糸と、一本の細い針。
滉斗は、戦場で大軍を屠った時よりも真剣な眼差しで、小さな布の塊を凝視していた。
「……元貴か。いや、その。……お前の羽織の袖が、少し綻んでいたからな。直そうと思ったんだが……」
見れば、滉斗の指先にはいくつもの小さな傷跡(おそらく針を刺した跡)があり、不器用極まりない運命の糸が、ぐちゃぐちゃに絡まっている。
「最強の剣士」としての威厳はどこへやら、今の彼は、糸一本を穴に通せずに途方に暮れる、迷子の子犬のようだった。
「ひろぱ、それ……僕のためにやってくれてたの?」
元貴が歩み寄ると、滉斗は決まりが悪そうに顔を真っ赤に染め、糸を隠そうとした。
「……笑うな。剣を振るより、この細い銀の棒を操る方がよっぽど難しい。お前に格好いいところを見せようと思ったんだが……この有様だ」
ふい、と顔を背ける滉斗。その耳の先まで林檎のように赤くなっているのを見て、元貴の心臓は跳ね上がった。
戦場で見せる氷のような冷徹さも、自分を抱き寄せた時の力強い腕も大好きだが、自分のために慣れない裁縫に挑み、挙句の果てに拗ねてしまうこの男が、愛おしくてたまらない。
「あはは! ひろぱ、可愛い……!」
「……可愛いと言うな。俺はこれでも一応、お前の夫で、この街の用心棒なんだぞ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、滉斗は元貴に手を引かれるまま、膝の上に頭を乗せられた。いわゆる、膝枕の体勢だ。
「もう、無理しなくていいよ。ひろぱの手は、僕を守るための手でしょ? 針仕事は僕がやるから」
「……だが、たまにはお前に何かしてやりたいんだ」
滉斗は元貴の膝の上で、観念したようにふーっと息を吐いた。
そして、上目遣いで元貴を見つめると、消え入りそうな声で呟いた。
「……元貴。さっきの、もう一回言ってくれ」
「え? 何を?」
「……『可愛い』ってやつだ」
その破壊力に、元貴は顔を覆った。
普段は「俺についてこい」と言わんばかりの不愛想な男が、二人きりの空間でだけ見せる、無防備な甘え。
翡翠の瞳を揺らしながら、少しだけ期待に満ちた表情で自分を見上げる滉斗。
(……だめだ。これ以上は、僕の心臓が持たない……!)
元貴はメロメロになりながらも、愛おしさが爆発し、滉斗の頬を両手で包み込んだ。
「ひろぱは、世界で一番かっこよくて、世界で一番可愛い僕の旦那様だよ!」
「……お前、それは言い過ぎだ……」
照れくさそうに視線を泳がせながらも、滉斗は元貴の手のひらに、自分の頬をすり寄せた。
かつては血の匂いと氷の冷気しか纏っていなかった彼が、今では元貴の淹れた茶の香りと、生活の温もりに包まれている。
外の雪はまだ降り続いているが、二人の小さな家の中には、どんな術式よりも温かな春が満ちていた。
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