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奏と歩く帰り道。さっきから誰かにつけられているような気配があるのに、姿が見えない。曲がり角の先から近づく足音が、妙に耳に残った。
「奏先輩!」
少し息を切らせた背の低い男子が駆け寄ってくる。胸ポケットには一年生の名札――奏に接近している例の後輩、加藤だった。
「……加藤、なんの用だ?」
「すみません、氷室先輩。奏先輩とお話がしたくて」
俺ではなく、奏をまっすぐ見て笑う。その笑顔の奥に、一瞬だけ氷のような光がのぞいた気がした。
「この間の図書室でのお話……すごくためになりました。ずっとお礼を言いたくて」
奏の表情が僅かにこわばる。
「そんな、大したことしてないよ」と小さく答える声が、ほんの少し上擦っていた。
「でも俺、本当に……奏先輩の言葉に救われたんです。またお話、してもらえませんか?」
その目は真剣で、どこか熱を帯びていた。それを見た瞬間、胸の奥でざらつく感情が音を立てた。
(……なんだ、この感じ)
喉の奥まで「ふざけんな」がせり上がる。でも、奏が困るかもしれない――そう思うと、声を出すことができなかった。無表情を貼りつけ、加藤と奏のやり取りを黙って眺める。
「今度ね」と笑う奏。その瞬間、加藤がふと俺の方を見やった。笑っているのにその眼差しから、表現しがたい妙な圧を感じた。
加藤の背中が角を曲がって消える。こうして俺たちの貴重な時間を奪うことについて、加藤に文句を言ってやりたい衝動が胸を締めつけるが、理性がそれを押し戻す。
「……行くか」
短くそう言って先に歩き出した。小走りで並んだ奏に視線を向けないまま、ただ足を進める。やがて別れ道が近づいた頃、俺は立ち止まり低く言った。
「奏……ああいうの、やめろよ」
感情を抑えたつもりの声が、思ったより硬く響いた。
「え?」
「俺の知らない1年と、ふたりで盛り上がってさ。アイツ、絶対君のこと……」
「ちょっと待って、盛り上がってなんか――」
「俺から見て、そう見えたんだ」
自分でもわかってる。これは八つ当たりだ。だけど、あの加藤の視線と奏の視線が絡み、ほほ笑み合っていた様子が、俺の頭から離れなかった。
「……蓮、なんでそんな言い方するの」
「俺の前でああいう顔、するなって言ってる」
言い終えた瞬間、後悔が喉を詰まらせた。でももう遅い。奏の表情が、少しずつ硬くなっていくのがわかる。
冷たい夜風が、沈黙するふたりの間をすり抜けていった。
「……そんな言い方、ずるいよ」
やっと言葉にした奏の声は低く、どこか震えていた。
「ずるい?」
「だって、蓮はなにも言わずに横で黙って見てたクセに、あとからこうやって俺のことを責めるなんて」
胸の奥がチクリと痛む。でも、引き下がる気になれなかった。今ここで黙ったら、自分の中のもやもやが一生消えない気がした。
「俺だって……あそこで割って入ったら、奏が困ると思ったから我慢したんだ」
「我慢してたのはわかる。でも、こうやってあとで文句を言われるくらいなら、最初から言ってほしい」
奏の視線が、正面ではなく斜め下に落ちている。その横顔に、微かな苛立ちと寂しさが混ざって見えた。
「……俺、加藤くんに特別な感情なんてないよ。ただ後輩として、普通に接してただけなのに」
「でも、アイツはそうじゃない。君に気がある。わかってるのか?」
「わかってる。でもそれって、蓮が口を出すことなのかな?」
そのひと言が、鋭く俺の胸に突き刺さった。
「……そうか」
短く吐き捨てるように言って、俺は逃げるように歩き出した。後ろから奏の足音が追ってくることを期待したけど、その音はしばらくして止まった。
かなり先を進んだが、振り返る勇気は出なかった。名前を呼べばまだ間に合う――そう思った瞬間、喉に重い石が詰まったように息が苦しくなった。立ち止まると、冷たい夜風の冷たさが頬を刺す。
(まただ。俺は自分がキズつくたびにこうやって、大事な人を遠ざけてしまう)
加藤の視線、奏の笑顔、そして「それって蓮が口を出すことなのかな?」という言葉が、頭の中で何度も反芻される。胸の奥で、ざらざらとした不安と自己嫌悪が絡み合った。
(――今の不安定な状態でこのまま奏と一緒にいれば、きっと彼をキズつけるだろうな)
その考えが、夜気のように冷たく広がっていった。