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ゆっくりと穏やかな声が近付いてくる。「八木さんと?」と、付け加えられた声に、どことなく冷ややかさを感じるけれど、表情は変わらない笑顔のままで。
「う、うん。 お疲れ様……でした」
消え入りそうな声を残して逃げるように、真衣香は繋がれていたままの八木の手を引いて歩き出した。
すれ違いざま、呼び止める坪井の声。
「はは、ちょっと待って。 まさか、仲良く手繋いで帰るの? 何で?」
乾いた笑い声。
振り返って見えた表情が、その笑い声のまま冷たい。
「はぁ? 何でって正気か? 野暮なこと聞く程、お前ガキじゃねぇだろ」
坪井の問いに答えたのは八木だった。
煽るように言って、繋がれている真衣香の手を思い切り引き寄せた。
弾みでよろけた身体を抱き寄せるようにして受け止める。
目の前の坪井に”野暮なこと”を見せつけるようにだ。
坪井は腕を組み、壁に背を預け、ジッと真衣香の表情を見逃すまいと射抜くように追いかける。
心がどこにあるのかを見抜かれてしまいそうな恐怖。それから逃れたい一心で八木のスーツをギュッと掴んだ。
「チッ」と、軽い舌打ちが響いたけれど。
真衣香はそれが坪井から発せられたものだとわかっても、もう驚きはしなかった。
やがて、坪井は壁にもたれかかっていた体勢を正し、八木の目前に歩み寄る。
「ねえ、八木さん。 聞いていいですか」
明るく響いたかのような声、けれど恐る恐る見れば、表情無く八木を見据える坪井がいる。
「手短にな」と答えた八木に、やはり坪井の表情は動かない。
「この二年何もなくてどうしていきなり、今、立花に手出すんです? 嘘だって普通にわかりますけど」
もっともな意見だ。
しかし八木はさして気にする様子も、焦る様子もなく平然と答えた。
「仮に嘘でもな、お前に関係ねぇだろって何回言えばわかるんだよ。 つーか話しかけてくんな、さすがの俺も自分の女がビッチ扱いされんのは我慢ならねぇんだわ」
吐き捨てるように言って、坪井に背を向け八木は歩き出した。
真衣香の腰を引き寄せて、手を添えて。
まるで、愛しい恋人をエスコートしてるみたいに歩く。
数歩進んだところで、ドン!と、背後で鈍い音がして、真衣香は肩を震わせた。
八木には何の音なのかすぐにわかったようで、ダルそうな溜め息を吐く。
「気にすんな、壁殴ってる暇ありゃ自分の意味わからん頭でも殴ってろってんだ」
八木が、真衣香の耳元で悪態をつく。
(つ、坪井くん、壁殴ったの!?)
”意味がわからない”と言う、八木の言葉に、真衣香は心の内で大きく頷いた。
(何に、怒ってるのかわからない……。 坪井くんが何考えてるのか全然わからないよ)
そう思うのに。
壁を殴ったにしては鈍く、そして大きく響いた音。
ああ、痛くはないのだろうか。そんなふうに彼を案じた自分に呆れながら八木の隣を……ただ必死に前を向いて、歩いた。