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数日前のことを思うと、少し不思議な気分になった。明らかにそれを感じたのは、昨日からだった。
異世界に転生してから十八年。そう、十八年経っても、相手から向けられる好意に、何度もざわっとさせられた。自然と背けたくなるのを、作り笑いで誤魔化しながら、何とかやっていけていた。
本来、私は人の輪に入るよりも、一人でいる方が良いという、所謂一匹狼タイプだったため、距離を置く付き合いの方が、とてもし易かった。けれど、孤児と言う境遇では、そうとも言っていられない状況が多々あり、持ち前の愛嬌で、それをどうにか躱していた。
そんな中でも、私を引き取ってくれたイズル夫妻を始めとする、エヴァンさんたちには、そのような感情を感じたことも、思ったこともなかった。彼らの善意の中に、下心やお節介と言った、私が感じる悪意がなかったからだ。
けれど、それだけが理由ではなかったことに、最近気がついた。今思えば、可笑しな話である。その理由がまた単純だったからだ。
好意には好意で応えているのと、悪意で返しているのとの違いだった。
手首に巻かれたリボンを見た。着けられてから、もう何度も見たリボン。
向けられた愛情に、愛情で返そうと、いや返しているから、ざわっとしなくなったんだ。けれど、リボンを結んでから、マーカスのスキンシップというか、甘えが少しずつ様子を伺うように、増している気がした。
例えば今朝のこと。
マーカスが出ていく時に、祝福を要求された。つまるところ、前世の世界での、行ってきますのキスである。恋人同士になる前から、度々要求されてはいたが、なかなか慣れなかった。
けれど、リボンを外したいほどの苦痛はない。つまり、そういうことなのだと悟った。
「あっ、もう出ないといけない時間だ。急がないと」
そろそろ行く時間のような気がして時計を見ると、四時を示していた。マーカスとの待ち合わせ時間から逆算して、学術院にある図書館に行って返却し、さらに次に借りる本を選ぶ時間を考慮すると、この時間に家を出るのがベストだった。
昨日は、あんな軽口を言っていたが、さすがに二日連続交替して貰うようなことは、相手に悪いため、きちんと定時で上がるように、マーカスにお願いした。すると、当たり前のことを言ったにも関わらず、不満そうな顔をされた。
定時だと、お店の開店に間に合わない、からだと嘘か本当か分からない言い訳をされた。が、少し遅くなってからでもお店は出せる、と言ってこちらも譲らなかった。
これにも渋る反応を見せたのは、先日夕方だけお店を出せなかったことを、気にしているのだろうか。別にマーカスのせいじゃないのに……。
だから、こちらが妥協した。私が困らない程度の願い事を一つだけ聞く、と。そしたら、少し驚いた後に満足げな顔を見せ、何だか早まった判断をしたような気がして、少し不安になった。
「とりあえず今は、そんなことを考えている暇なんてなかったんだった」
急いで返却する本の入った鞄を手にすると、玄関へと向かって行った。そこで私は、いかに浮かれていたのかを、思い知ることになる。
最初は玄関だ。鍵を閉めた直後、財布を忘れたことに気づき、慌てて部屋まで取りに行った。
次にお店。通り沿いに出て、お店を確認すると、札がOPENのままになっていることに気がつき、急いで札を裏返し、CLOSEにした。
それで終わればよかったのだが、大通りにある店のショーウインドーに、何度も足を止めた。通り慣れた道なのだから、手あたり次第目を奪われることなど、普段だったらあり得ないことだった。けれどこの日は、それほど注意力が散漫になっていた。
そして図書館にたどり着いた頃には、マーカスとの待ち合わせ時間が、あと僅かとなっていた。
「これじゃ、返す時間しかない……」
とほほ、とアンリエッタは溜め息をついた。自業自得とはいえ、仕方がなかった。
同棲している関係で、二人で出歩くとなると、このように待ち合わせをするようなことはなく。わざわざそれをしたい、というほどの付き合いもしていない。偶々、そういう状況になっただけだった。
前世で恋愛をしている暇すらなかった私としては、緊張しないというのが可笑しかった。今からドキドキしていて、どうするんだ、と言い聞かせながら、図書館へと向かった。
建物が見え、扉を確認しても尚、気持ちが落ち着かなかった。だから、いつもは感じるはずの違和感に、気がつけなかった。勘が働かなった。そうとしか、言い様がない。
「‼」
扉に触れた瞬間に現れた魔法陣を前に驚き、どうして、と内心思わずにはいられなかった。どうして気が付けなかったの! と。
目の前の魔法陣はとても大きく、アンリエッタの身長を超えていた。危険なものだと瞬時に判断し、すぐさま背を向け走り出した。が、魔法陣の反応も早かった。
元々アンリエッタの動きに反応するようにできていたのか、もしくは展開してからすぐさま発動するようにできていたのか分からない。しかし、魔法陣から出てきた物は、まるでアンリエッタを捕らえようとしているかのような、紐の様な形をした物だった。
「うっ!」
それらがアンリエッタの首、胴、足を捕らえ、扉に展開された魔法陣へと、一気に引っ張った。
「ん~~~!」
助けを呼ぼうと叫ぼうとしたら、口を覆われ言葉を発せない。アンリエッタは周囲を見渡し、人を探した。
いくら日中でも、ここは学術院だ。学生でも教授でも、誰かしらいてもおかしくはない。ましてや、ここは一般も使うことが出来る図書館の入り口だった。けれど、普段ならいるはずの人の姿が、一人も見当たらなかった。
魔法陣が背になっていて、気がつくのが遅くなったが、体が少しずつめり込んでいるのを感じた。このままだと、どこか知らない所に連れていかれる。そう思ったアンリエッタは、動かせる手を使い、手首に巻かれた青いリボンを解いた。
待ち合わせ時間に現れなければ、マーカスが探しに、図書館まで来ることを期待して、リボンを投げた。
見つければ、私に何かあったと、思うはずだから。誰だかは分からなくても、そういう危険性があることを、マーカスは知っているから。
お願い。助けて……。
魔法陣に吸い込まれながら、意識が遠のくまで、アンリエッタは落ちたリボンを見ながら、希望を託した。