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専業プウタ
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2,027
西日の色が、Dream Gateのレッスンスタジオを暗く染めていた。 美夏は、鏡張りの壁に映る自分をじっと見つめていた。
その隣に立つ男は、柊木(ひいらぎ)。事前に写真を見せられたたわけではない。まして天導から説明を受けたわけでもない。それでも美夏は柊木を一目見て思った。
──この人、カタギじゃない。
整った顔立ちの男だった。黒い髪を短く整え、細身の黒いシャツを着ている。鍛えられた身体は無駄がなく、立っているだけで言葉にならない威圧感を放っていた。
いわゆる『怖い男』のような分かりやすい雰囲気ではない。むしろ、笑えば人当たりのいい青年に見えるだろう。だけど、その目が違った。相手の動きを見る目。相手との距離を測る目。何かが起きたとき、どう動けば相手を制圧できるかを無意識に計算しているような目をしている。
彼は、芸能界にいる人種とは明らかに違っていた。
美夏の脳裏に、回帰前の記憶が蘇った。廃遊園地で自分を取り囲んでいた男たち。彼らにも、この男と同じ種類の気配があった。ただし、目の前の柊木は、彼らよりずっと洗練されている。
「そんなに見られると、照れるな」
柊木が笑った。
「すみません」
「いや。よく見ておいたほうがいい」
柊木は木刀を一本、美夏へ差し出した。
「俺の動きを真似するだけでは、映画では使えない」
「はい」
「相手を倒すつもりで動いて」
美夏は木刀を握った。
その瞬間、胸の奥に火が灯った。
倒す。誰を? 目の前の柊木ではない。脳裏に浮かんだのは、寿志清純(ずしきよすみ)の顔だった。回帰前、テレビ局の控え室で性的暴行に及ぼうとした男。抵抗し、逃げた美夏にストーカー行為を働いた男。寿志は人前では美夏に対する好意を口にしながら、一途な思いを拒絶された被害者のような顔をして、White Noiseをテレビから締め出した人格異常者だ。脳裏で寿志が笑っている。大きな歯を剥き出しにして、贅肉を揺らしながら、子供のように笑っている。なんて醜悪な笑顔だろう。
──ブッ殺す。
美夏は木刀を構え、腰を落とした。
柊木が指示を出す。
「もっと力を抜いて」
「はい」
「肩が上がってる」
美夏は言われたとおりに姿勢を修正する。
「じゃあ、来て」
一瞬の沈黙のあと、美夏は一気に踏み込んだ。
木刀を振り下ろす。柊木が受ける。乾いた音がスタジオに響いた。
美夏はすぐに二撃目を繰り出す。続けて、三撃目。柊木は軽く受け流す。
「遅い」
美夏は歯を食いしばり、さらに踏み込んだ。
木刀を斜めから振る。柊木は易々と受ける。美夏は足を払う。柊木は避ける。美夏は身体を捻り、逆方向から斬り込んだ。柊木が木刀を合わせた。再び、乾いた音が響く。
「悪くない」
柊木が言った。美夏は息を整える。
「本当ですか?」
「筋は悪くない。だが、まだ足りない」
「……何がですか?」
「それは自分で考えたほうがいいな」
柊木は木刀を下ろした。
「動きは間違ってない。足も悪くない。身体の使い方も、素人にしてはかなりいい。だが──」
柊木は美夏を見た。その目がすっと細くなる。
「フィクションを手本にするな。映画のように動こうと思うな。人間はあんなに綺麗に人を殴らない。観客を意識するのは、本物を知ってからでいい。……今は、殺すつもりで来い」
美夏の心臓が跳ねた。
期待していたわけではないのに、この言葉を待っていたような気がした。
「はい!」
威勢良く応えながら、美夏は木刀を握り直した。
頭の中に寿志の顔を思い浮かべる。
あの男を殺す。今度こそ、自分の手で。
「……行きます」
美夏は踏み込む。さきほどよりも速く。柊木の木刀を弾き、そのまま首を狙う。柊木が避ける。追撃を撃ち込む。さらに一歩、踏み込んで、木刀を叩き込む。
美夏は必死だった。絶対に逃がさない。絶対に、復讐してやる──
「そこ!」
柊木の声がして、次の瞬間、美夏の手から木刀が弾き飛ばされた。
乾いた音を立てて、木刀が床を転がった。
美夏は呆然と自分の手を見る。
柊木は淡々と言った。
「今のじゃ、死なないな」
「……」
「相手を殺したいという気持ちは伝わった。だが、それだけだ」
美夏は唇を噛んだ。悔しくて仕方がない。
回帰前なら、こんなことを言われても意味が分からなかっただろう。
一生懸命やっている。メンバーの誰よりも努力している。だから、いつか認めてもらえる。ずっと、そう思っていた。けれど、実を結ばない努力に手をさしのべる者はいなかった。自分に何が足りないのか、美夏には分からない。どこをどう改善すればいいのかすら、分からない。ただ、壁があるのを感じる。高さも厚さも分からない。それでもこの、見えない壁を越えなければならないことだけは分かる。
美夏は床に落ちた木刀を拾った。
「もう一度、お願いします」
柊木が眉を上げる。
「休まないのか?」
「まだできます」
「……そうか」
美夏は木刀を構えた。
寿志を殺す。今度こそ。あの醜悪な笑顔を叩き潰す。そのためなら、何度でも立つ。
「来い」
柊木が笑った。美夏は勢いよく踏み込んだ。
西日が沈みかけた窓の向こうで、街の明かりが一つ、また一つと灯っていく。
その光を背に、美夏は何度でも木刀を振るう。
しかしその太刀筋が壁の向こうに届くことはなかった。
◇
いつの間に夜になっていたのだろう。レッスンスタジオの窓には、街の明かりしか映っていない。長時間の練習で身体は重かった。美夏は汗を拭いながら、床に置いた荷物をまとめていく。
「遅くなったな」
柊木が、壁の時計を見ながら言う。
「送っていくよ」
「え……?」
美夏の手が止まった。
「この時間に一人で帰るのも面倒だろ?」
「いえ、大丈夫です。タクシーを──」
「そう言うと思ったよ」
柊木は苦笑しながら続けた。
「初対面の男の車なんて、乗りたくないよな」
「……」
「ましてアイドルともなれば、一度のスキャンダルが命取りになりかねない」
何も言えない。図星だった。
柊木は整った顔立ちをしている。普通に街を歩いていれば、女性から声をかけられても不思議ではない。けれど、美夏には分かっていた。この男は、裏社会で生きている。理由を説明しろと言われても困る。ただ、纏っている空気が違う。笑顔の下に、刃物のようなものを隠している。彼にはそんな気配があった。
言葉を失う美夏に、柊木が言った。
「心配しなくていい。天導さんの商品を傷物にするような真似はしない」
「……商品?」
思わず美夏は、柊木の言葉を繰り返した。
柊木は何でもないことのように頷いた。
「ああ。天導さんにとって、アイドルなんて商品だろ?」
美夏は黙った。
柊木の、その認識に驚いたわけではない。
この男が、天導のことをよく知っていることに驚いた。
美夏は、天導が自分を『商品』として扱っていることを知っている。しかしそれは回帰前の廃遊園地の一件があったからだ。あのようなことがなければ、天導の腹のうちを知ることはなかっただろう。彼は、穏やかな人柄で知られている。
しかし柊木は、まるで当然の事実のように『商品』と口にした。いったい、この男と天導はどんな関係なのだろう。美夏は柊木を見た。柊木は笑っている。その笑顔からは、何も読み取れない。
美夏はバッグを肩に掛け、柊木に軽く微笑んだ。
「……分かりました。お願いします」
「よし。ついてきてくれ」
それだけ言うと、柊木は先に歩き出した。
廊下を抜け、エレベーターホールに向かう。
美夏は数歩遅れる形で、その背中を追った。
──罠かもしれない。
そう思いながら。それでもいい、と美夏は思う。むしろ、危険な人物との接点を望んでいた。彼は、天導が自分に差し出した人物だ。その繋がりを辿れば、回帰前には知らなかった何かに行き着くかもしれない。
エレベーターで地下駐車場に降りる。
蛍光灯の白い光が、コンクリートの床を照らしている。
車はほとんど停まっていない。皆、帰宅したあとなのだろう。
柊木は静かな駐車場を横切り、一台の黒い車の前で足を止めた。
「乗って」
「はい」
美夏は後部座席に入った。
ドアが閉まる。車内には、ほのかな革の匂いが漂っていた。
柊木が運転席に乗り込む。エンジンがかかり、低い駆動音が地下駐車場の静寂を乱した。
コメント
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しらなみさん、第13話読みました! 美夏の「♡♡♡つもりで」っていう気迫がすごく伝わってきて、木刀のシーン、手に汗握りました。柊木の「フィクションを手本にするな」って言葉、彼のバックボーンを感じさせる台詞でゾクッとしましたね。それにしても、天導さんとの関係性が気になります…。 美夏が何度も立ち上がる姿に、応援したくなりました!次話も楽しみにしてますね🌷