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2 エスプレッソ
この街に……俺らの所に、こいつが来てからどのくらい経つだろうか。
苦いはずの珈琲に似つかわしくない、大量の砂糖をまぶしたような、脆そうでいて馴染まないこのオンナ……陽葵が、俺たちのリーダーで大事なダチである乱数と似ている様な錯覚に陥ることが度々あった。
あるときはコロコロと飴玉のように笑い、あるときは敵であるラムダ軍団やタチの悪い野良ラッパーと対等に闘う。
かと思えば、幼い少女の様に予想外のコトをする。
流石、乱数が見込んだだけのことはある、と言うとこいつはどんな顔をするのだろうか?
「帝統さん、何ですか?人の顔をじっと見て…… 」
陽葵にそう言われ、ふと、自分はどんなカオでこいつを見ているのだろうかと気になった。
「いや、別に……つうか、そろそろタメ口で良くねぇか」
要らぬ想像に少し恥ずかしくなり、目の前にある大量のクッキーを鷲掴む。
「だいすさ……帝統、独り占めは駄目……」
恥ずかしそうに自分を静止する細い腕を見て、更に恥ずかしくなり掴んだクッキーを口に放り込んでそっぽを向くと、ニヤつきながらメモを取る文豪と目が合った。
「おや帝統。照れてるんですか」
おなごと触れ合うなんてヤラシーですねぇと言われ、口に含んだクッキーを横にぶち撒ける。
「なっ、ちげーよ、こいつが……」
「だいす、汚い」
ぶち撒けた先には、唾液の付いたクッキーを浴びた乱数のジトっとした視線があった。
「う。悪ぃ」
バツが悪そうに、己の袖で乱暴に拭う。
「もぉ〜。ボク、シャワー浴びてくるから」
「用意します。徹夜続きでしたものね。あと、これを……」
怒るでもなく、寧ろ笑いながらいそいそと準備をする2人を見送る。
そういえば、乱数のアレ。
陽葵はいつも何処で入手してくるのだろうか。
乱数の命綱とも言える、体に悪そうなピンク色のロリポップキャンディ。それが、乱数があいつを側に置く理由なのだろうか。
横を見ると、幻太郎も興味深そうにソレを眺めていた。
理由が何であれ、あいつらが言い出すまでは何も訊く気はないが。幻太郎もそうだろう。
ふと、あの日乱数が陽葵に耳打ちをしていた言葉を思い出す。
——俺は、お前のことを知っている——
アレが脅し文句で、陽葵が大人しく自分達の仲間でいる理由であるなら、少し胸糞悪い気がした。
部屋に戻った陽葵は、唖然とした。
あれだけ大量に用意した、3人の為に焼いたクッキー。帝統が皿の上のものを全て平らげることを見越して避けておいた予備の分まで無くなっている。
「だ、帝統?クッキー全部食べちゃったの?!」
大袈裟に頬を膨らませると、悪りぃ悪りぃと、目の前の男から間の抜けた返事が返ってきた。
「美味かったからよぉ、つい」
これは、悪いと思っていない顔だ。
「そんなに食べたなら、お夕飯は無しでいいよね」
かつて憧れたあの人なら、こんな意地悪言わないだろうな、と思いながら帝統の顔を見遣る。
「えー!全然食えるよ!マジで」
子犬の様に、クゥンと鳴きそうなその顔を見て、陽葵は思わず手を差し出していた。
「帝統」
「お、おう?悪かったって!」
「お手。おかわり」
不安気な表情に笑いそうになりながら、目の前の男を躾けると、素直に手を乗せてきた。
「帝統、ちんち……」
「おい!オンナの前で何言おうとしてんだよ、幻太郎!」
食い気味に叫ぶ帝統が可愛らしくて、思わず破顔してしまう。
「はいはい、小生は、帝統の陽葵に破廉恥なことを……」
「はあ?!バカ、違うって」
「ちょっとぉー、ボクの陽葵に何してるのぉ〜」
髪から水を滴れせたままの乱数が乱入してくる。
いつもどおりのやりとりに、愛おしさが込み上げる。
こんな得体の知れない女を受け入れ、何も訊かず共に居てくれる。
今はこの大事な友人達を、自分の出来る限りの力で護りたいと思った。
いつかは全て話さねばなるまい。
いつか。
それでも、この人たちは自分を受け入れてくれるのだろうか。その時が来ない事を密かに願う。
話してしまえたら、きっと楽になる。
だけど、その時はきっと別れの時だ。戻らねばならない場所がある。
チクリと痛み苦味が上がってくる胸を押さえ付け、今日も何も知らない顔で3人と日常を過ごして、できればずっとこのまま。などと願うのは、裏切りなのだろうか。
この日々も、あの人達とすごした日々も。
全て偽りなのだから。