テラーノベル
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教室に入った瞬間、空気がぴりついているのがわかった。肌に刺さるような視線。
笑っているのに、笑っていない目。
(……ああ、今日もか)
遥は何も見なかったふりで、自分の席へ向かう。
蓮司はすでに着席していて、今日も当然のように、遥の隣の椅子に足を投げ出していた。
「おはよ、遥」
その声だけは、相変わらず柔らかい。
「……おはよ」
ぼそりと返す声に、どこか“本物”の感情がにじんでしまいそうで、遥は自分でぞっとした。
演技だった。恋人ごっこ。
その“役”にのめり込むほど、境界が曖昧になっていく。
「ねぇ」
前の席の女子が、机の上に身を乗り出してきた。
名前も顔も、遥はよく覚えていない。ただ──いつも、最初に“攻撃”を仕掛けてくるやつだ。
「昨日さ、泣いてたよね、放課後。どしたの?」
「……泣いてねぇよ」
「えー? 見たって子、いたけど?」
その声に、数人の女子が笑った。
嘲るように、値踏みするように。
「ねぇ、蓮司。ほんとにこいつのこと好きなの?」
別の女子が、今度は蓮司に話を振る。
蓮司は少しあくび混じりに笑ってから、遥の方をちらりと見た。
遥の表情は動かない。
「さぁ? どーなんだろ」
「なにそれ~、付き合ってるって言ってたじゃん」
「言ってたの、遥じゃね?」
笑いが、じわじわと広がっていく。
教室のあちこちで、声に出さない笑いが湧いてくる。
「泣き顔可愛かった~とか言って、嘘だったんだ?」
「てか、ぶっちゃけ、蓮司くんに媚びてるだけでしょ? きも」
「ぶすのくせに色目使ってんなよー」
「“俺の”遥? ぷっ、なにそれ、ウケるんだけど」
女子たちの声が、刃物のように突き刺さる。
蓮司は止めない。ただ、面白そうに眺めている。
遥が、どうするのかを。
遥は、ぎり、と奥歯を噛んだ。
涙は、流さなかった。
けど、指先が震えているのは、自分でもわかった。
(……誰でもいいから、殺してやりたい)
そんなことを考える自分がいちばん怖くて──
でも、それ以上に怖いのは、何も感じなくなりそうな自分だった。
「──蓮司」
声が、かすれていた。
けれど、なんとか笑顔を作って、遥は蓮司の袖を軽く引いた。
「今日も、一緒に帰ろ」
一瞬、女子たちが黙った。
空気がぴしりと緊張したあと、また、ざわりと波立つ。
「ふーん、そゆとこだけ、恋人っぽいんだ」
「演技上手だねぇ。……“下手なAV”かと思ったわ」
爆笑が起こる。
遥は笑っていた。
笑顔の形を保ったまま、内心で何かが、また一枚剥がれていった。
──演技なんだ。
──ずっと、演技してる。
(でも、どこからが“嘘”で、どこまでが“本当”だった?)
日下部の顔が、脳裏に浮かぶ。
無言で、何も言わず、それでも目を逸らさなかったあの男の顔。
(あいつ……今日、どこで見てる?)
見んなよ。
見ないでよ。
──でも、もし見てくれてるなら、助けて。
いや、助けないで。
突き放して。
……でも、ほんの少しだけ──
遥は、下唇をかんだ。
笑いながら、また、壊れていった。
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