そこにいたのは、平凡な少年だった。
灰色の髪に青い瞳。私を“お嬢様”と親しげに呼ぶ存在。間違いない、『アルメリアに囲まれて』の攻略対象者の一人である、リュカ・ドロレだ。
使用人という設定だから、いつかは屋敷で会うかもしれない、と気になっていたけど、まさかここでとは思わなかった。
攻略対象者の中で、唯一『アルメリアに囲まれて』が始まる前に出会う相手だった。
けれど、私の誘拐騒動で、顔を合わせる機会がなかったばかりか、エリアスもやってきてしまい、その存在を忘れていた。
「しばらく会わなかっただけで、僕のことを忘れてしまったんですか?」
「私がリュカを? そんなわけないじゃない」
すっかり忘れていたことを、匂わせないようにしながら、穏やかな声で返事をした。その間に、マリアンヌの記憶と私の記憶、『アルメリアに囲まれて』の設定を、急いで呼び起こした。
確か、リュカはマリアンヌの幼なじみという設定だった。
乳母の息子であるリュカも、マリアンヌと同じように兄弟がいなかったため、遊び相手として適していた。さらに歳も一歳年上ということもあって、マリアンヌの子守りにと、伯爵も容認していたのだ。
けれどリュカの性格は、エリアスのような頼りがいのある性格ではない。
一歳年上でありながら、甘えん坊という設定だった。そのため、成長して伯爵邸の使用人になった後も、マリアンヌとの間に壁を作らずに接していた。
だから、マリアンヌも次第にリュカの気持ちに応え始めて、最終的に駆け落ちする。伯爵家を見限って。
「もしかして、会いに行かなかったから怒っているんですか?」
「まさか。私がそんな理由で、怒るわけがないって知っているでしょう。一体、どうしちゃったの?」
いまいち、リュカの意図が分からず、当たり障りのない返事をした。リュカが幼なじみなこともあり、下手なことを言わないよう、気をつける必要があったからだ。
「実は、母からお嬢様に近づくことを禁じられていたんです。迷惑になるからと言われて」
あぁ、そうか。お母様を亡くしたことと、誘拐騒動が重なったから、気を遣ってくれたのね。
「ありがとう」
「だからって、酷いんじゃないですか?」
「え?」
酷いって何が?
距離も詰められ、私は咄嗟に右足を後ろに下げた。
「従者ですよ。僕を選んでくれると思っていました」
「それは、その……ごめんなさい」
リュカの話し振りからすると、別にマリアンヌとそういう約束をしていた訳じゃなさそうだった。記憶を覗いても、直近以外はあやふやで分からない。
「何であいつを連れてきたんですか?」
「あいつって、エリアスのこと?」
「はい。いきなり現れて、我が物顔で屋敷の中を歩いているんです」
つまり、気に入らない、ということね。
「連れてきたのは確かに私だけど、お父様が許可をしないと、屋敷で働くことはできないんだよ」
「分かっています。従者だって、旦那様が任命しないと叶わないことも」
「なら、いい加減諦めたらどうだ」
突然、冷たい声が後ろから聞こえた。振り向こうとした時には、すでに私の前にエリアスが立っていた。まるでリュカの視界に入れないように。
「今、お嬢様と話をしていたんだから、邪魔しないでくれるかな」
「話? 一方的だったように見えたけど」
私は大いに同意した。そうか。だから、怖かったんだ、リュカが。
「どこが?」
「言わなきゃ分からないのか。全く、面倒な奴だなぁ」
呆れた口調のエリアスに対して、顔は見えなかったが、怒っている気配をリュカから感じた。
さすがに言い過ぎだと思い、エリアスの背中に触れて宥めようとした。が、言い返したリュカの言葉に、私はその手を強く握った。
「なっ! お前なんか孤児のクセに!」
「リュカ!!」
握り締めた拳を胸の前に置いて、リュカへと近づく。すると、エリアスに制止されて、私は少しだけ冷静さを取り戻した。
けれど、怒りの炎までは、簡単に消えはしなかった。いくらリュカが、怯えた顔をしていたとしても。
「リュカは生まれた環境、地位を変えることができる力があるの? 努力しても、何をしても変えることができないものを非難したり、蔑んだりするのは、最低なことよ!」
上にいる奴が何を言う、と思うだろう。けれど、上にいる者だからこそ言えることだった。生粋の貴族ではない私だからこそ。
平民のリュカは、貴族から同じようなことを言われるだろう。それなのに、孤児だからとエリアスを蔑むなんて。そっちの方が酷いわ。
「お嬢様、僕は……」
リュカが、私に触れようと手を伸ばす。けれど、エリアスが私を制した手で、払い落とした。
「行きましょう、お嬢様。あんなのは放っておいて」
「……うん」
今のリュカはエリアスに嫉妬して、おかしくなっているだけだと、そう思うことにした。マリアンヌの中のリュカは、そんなことを言う人ではなかったから。
攻略対象者だからか、簡単にヒロインを好きになってしまうのだろうか。エリアスがそうだったように、リュカもすでにそうなのかもしれない。
私はエリアスに促されて、扉の方へ歩いていった。
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