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ダイニングのテーブルに2人で向き合って座った。千紘が言った通り、野菜たっぷりのスープや卵料理などヘルシーなものが並んでいた。
いつかの油をたっぷり使った食事が用意されていたら、喉を通っていくか不安だった。
しかし、料理を見るにきっと千紘も自分と同じような状態なのだと察する。
「ちゃんと飯食ってた?」
「うん。外食ばっかりだけど」
引きこもりだった凪とは対照的に進んで外に出ていた千紘の行動を知って、凪は少しモヤモヤした。
凪は他人と関わりたくないと思ったが、千紘はそうではなかった。そもそも凪が仕事を休んだのだって客と関わるのが嫌になったからだ。
接客業の千紘にとって他人がいる空間は特別嫌なものではないのだと思い知らされる。ついこの間まで自分もそうだったはずなのに。
「外食ね……」
「その反応だと凪は外食もしてなさそうだね」
「あんまり他人がいるところには行きたくなかった」
「そっか。俺も外食っていっても行き慣れたところしか行ってない。凪と行った居酒屋とか」
「ああ……」
「全く人と関わらないと仕事行くのも嫌になっちゃうからね」
千紘はそう言いながら、箸を取った。凪もつられるようにして箸を持ったが、急に口渇感を覚えて水を一口含んだ。
「お前でも仕事行きたくないとかあんの?」
「あるよ。カットは好きだけど、それ以外は特に。アシスタント時代は辛すぎた」
千紘が思い出したように自虐的に笑う。凪は千紘の自然な笑みを久々に見た気がした。料理の品数が多くてどれを食べようかと迷う。一品ずつの量はそれほど多くないのに、色んな種類があってきっと朝から張り切って作ったのだろうと思えた。
暫く迷ってとりあえずサラダから手をつける。次々に少しずつ食べていくと、自分が思った以上に食事が続いた。
「俺も……セラピスト辞めることにした」
凪は言うか言わまいか迷った後、そっと口を開いた。
「辞めるの?」
千紘は驚いたように目を瞬かせた。なんだかんだ凪はセラピストを続けるものだと思った。ノンケの男と体の関係に至ったことも何度かあったが、結局は皆女がいいと戻って行ったからだ。
凪が仕事を嫌になった理由は千紘にもよくわからなかった。女性で反応しなくなったとしても、業務的に相手を満足させることはできる。
本番をしなくたって中にはそれでもいいから凪じゃなきゃ嫌だという客もいるだろう。
仕事として割り切れば続けられるはず。それなのに辞めるまでに至ったということは、完全に女性が嫌になったか、性的なことに興味がなくなったかどちらかしかないような気がした。
「俺、やっぱ多分女無理だと思う」
千紘は凪の言葉を聞いて、そっちかと思うのと同時に無理になったんだ……と唖然とした。
千紘が望んでいたことだったはず。女性になんか目を向けず、自分だけを見て欲しいと。
セラピストを辞めてくれることだって、密かに千紘が期待していたことだった。それなのに素直に喜べないのは、辞める理由が決して自分を好きになったからではないからだ。
「勃たないから?」
「いや、なんか生理的に無理になった。もしかしたら、女だけじゃないかもだし」
「男も無理ってこと?」
「んー……人と関わることに疲れたのかも。他人が一生に関わる人間の数に達した気がする」
「それは相当な出会いがあったね」
「って、それ言ったらお前の方が客多いか」
凪は、芋洗い式に次々とカットしていく千紘の姿を思い出した。人と関わった数なら圧倒的に千紘の方が多いような気がした。
「でも俺の場合は短時間だからね。凪みたいに1人と2人きりの空間で何時間もとかはないから。合わないなって思ったらカットだけしてアシスタントに投げちゃうこともできるから」
「ああ、そっか……」
「そういう面では、1から10まで自分が責任もって対応しなきゃいけないし、時間を買われてる分、自由はないだろうし」
「うん。多分そういうことなんだろうな」
「それで、辞めて暫くはまた休むの?」
「いや、とりあえずセラピストは辞めるけど、業界にはまだ残ることにした」
凪は千紘に電話をかけたあと、オーナーに連絡を取った経緯を思い出していた。
オーナーは、ようやく連絡してきた凪に苛立っている様子だったが、凪のいつもの余裕そうな声ではなく、覇気のない声を聞いて怒鳴るのをやめた。
「俺、セラピスト辞めます」
「辞めるって何? 辞めてどうすんの?」
「他人に触れるのが無理になったっていうか、女性が無理になったかもしれなくて」
「あー……彼女できた?」
「いや……」
「じゃあ、好きな子いるんだ?」
オーナーにそう言われて凪は心底驚いた。何をどう考えたらそうなるのか。売上が伸び悩んでいた時には、マメに営業かけろだとかSNSの更新をしろだとか言われたものだ。時には厳しい口調で言われることもあった。
しかし、今回はどこか冷静だった。
「いないですよ」
「そう? 彼氏ができた風俗嬢みたいなことを言うからさ」
「あー……」
そう言われると思い当たる節はあった。中には同業の女性もいて、凪にガチ恋状態になった客が「もうこの仕事続けるの無理。快くん以外に触られたくない。でも仕事辞めたらお金ないから快くんに会えなくなるし辛い」と言って泣いていたことがあった。
あの時は他人事で、どこか冷めた目で見ていたがオーナーからするとその状態に似ているのだろうと思えた。
「やっぱりそうなんじゃん」
「いや。多分違います。プライベートで会ってる女の子もいないし、もちろん客に手出したとかもないんで」
「まあ、違反に関しては俺も快を信用してるつもりだよ。クレーム入っても客の嫌がらせだって証明してきたしね」
「そうっすね……」
「でももったいな。今の売上捨てんの」
「わかってます。でも、このまま続けたらちゃんとした接客なんてできないし、それが原因で店の信用まで失ったら迷惑かけるんで」
「クレームが本物になる前に辞めるってことね」
「そんな感じです」
凪の意思が揺るがないと悟ったのか、オーナーは深くため息をつくと「じゃあさ、とりあえずセラピストは引退して内勤やったら?」と提案した。
「内勤?」
「そう。まだ言ってなかったけど、来月いっぱいで内勤1人辞めるんだよ。これから募集しようとしてたから」
「はあ……」
「とりあえず籍は残しておいて、セラピストに戻りたくなったら戻ればいいし、完全に無理だと思ったらそのまま内勤でいればいい」
凪は全く考えていなかった提案をされ、その道もあったか……と暫し考えた。