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ティアの為に用意された部屋は、大慌てで整えたとは思えないほど、細部まで心遣いが表れているものだった。
ベッドはティアが4人寝ても余裕があるほど大きく、メイドの独断と偏見で用意されたクマの縫いぐるみも、大小共に毎晩、ティアの添い寝を担当している。
家具もティアの身長に合わせた小ぶりな造りになっているし、ソファには以前使用したオフホワイトのブランケットと、馬車で愛用していたパッチワークのクッションもある。
壁紙はベージュ地に桃色のマグノリア柄で、ガーリーで優しく落ち着きのある空間を作り出している。
片側の壁は一面クローゼットになっており、その中にはグレンシスが選んだティアの為のドレスがぴっちぴちに掛けられている。
メゾン・プレザンにあるティアの自室は、ただ寝るためだけにあった。そのため木目が剥き出しの壁にベッドと、造り付けの机しかなかった。
だから、こんな豪奢な部屋に放り込まれて、ティアは委縮すると思った。けれど、温かみのある部屋をティアは、すぐに気に入った。
けれど現在、ティアは娼館に戻りたいと願っている。それはもう切実に。
───チュンチュンと、鳥のさえずりが窓の外から聞こえる。
朝の清潔な陽の光が、部屋に優しく差し込んでいる。
ロハン邸でお世話になって5日目。ティアは今、ベッドの上で朝食中である。
ベッドのすぐ横には、グレンシスが大変不機嫌なご様子でいらっしゃる。しかも、これが日に何度も。
「なぜ、食事をとらないんだ」
しかめっ面のグレンシスは、唸り声をあげる。
ベッドのすぐ横は、グレンシスの固定席となってしまったようで、椅子だけは、ひと回り大きいものに取り換えられた。
最初はそれに、むず痒い気持ちを覚えたティアだけれど、今はそれが要らぬ気遣いだったと痛感している。
きっとグレンシスの後ろに控えているメイド2人だってそう思っているだろう。
ただ騎士姿のグレンシスもさることながら、普段着の彼も恐ろしくカッコいい。怒った顔も、もちろん。
とはいえ、何事にも限度がある。
つい先日、横柄で不遜な態度でいるグレンシスの方が好きだと気付いたけれど、至近距離で凄まれてしまうと、やっぱナシ的な感情がどうしても生まれてしまう。
「ティア、黙ってないで答えろ」
こらえ性が無いのも標準装備だったことを、ティアは思い出す。詰問口調になったグレンシスから逃れることができないことも。
「ちゃんと食べています……よ?」
最後は伺うように語尾を上げたティアに、グレンシスの眉がピクリと撥ねた。
「この程度でちゃんと?お前、ふざけているのか?」
簡易テーブルの上には、ティーカップとほぼ同じ大きさの陶磁器のボウルにスープが半分。そして、子供の握り拳ほどの齧りかけのパンが1個ある。
ティアからすればいつも通りの朝食だし、多分人並みに食べているはずだ。
そう言い返したいけれど、こういう時のグレンシスに何を言っても無駄だ。下手に反論しようものなら、あり得ない理屈をこねまわされるだろう。
過去の経験からティアがぐっと押し黙っているのに、騎士様はまだ怒り足りない様子だ。
「ったく、呆れたやつだ。こんなもの、鳥の餌にもならん」
鼻を鳴らして憤慨するグレンシスに、ティアは乾いた笑みが出そうになる。
それはちょっと言い過ぎだ。犬の餌程度にはなっているだろうと、言い返したいけれどティアはぐっとこらえる。
だってグレンシスは、自分の思い通りにいかないから怒っているわけじゃない。ティアのことを案じて、案じすぎてこんな態度に出てしまっているから。
それにグレンシスだって、最初から威圧的な態度だったわけじゃない。優しく食べるように提言してくれていた。
でもベッドでの生活を強いられていればお腹は空かないし、働きもしていないのに、沢山食べろと言われても、それは無茶ぶりだ。
何よりティアは、きちんと食事を取る大切さを知らなかったし、楽しさも知らない。
そんな根本的な認識の違いから、ティアは黙り、グレンシスの苛立ちは増す。部屋は息をするのすら辛い空気が充満している。
それに耐え切れなくなったメイドのミィナは、恐れながらと前置きして口を挟んだ。
「ご主人さま、そうカッカしては、ティアさまも委縮してしまいます。それに、怒られながらでは食は進みません……ので、えっと……」
おずおずとご主人様に進言してみたけれど後が続かず、ミィナはもう一人のメイドに救いを求める。
一方、いきなり無理難題を振られたもう一人のメイドのアネッサは、げっと小さく呻く。でもすぐに、こんな提案をした。
「なら、果物を剥いて差し上げたらいかがでしょうか?ちょうど新物の梨が手に入りました。これは、夏の疲れを癒す効果もありますし、のど越しもよろしいです」
メイドの提案に、グレンシスの表情が一変する。
「なるほどな。それはいいかもしれない。よし、貸してくれ」
「はい」
ホッとした表情を浮かべたアネッサは、いそいそと手にしていた蓋つきの籠から梨と果物ナイフを取り出し、グレンシスに差し出した。
グレンシスは、慣れた様子で梨の皮をむき始める。
「お上手ですね」
スルスルと円を描きながら一本線に伸びていく梨の皮を見つめて、ティアは思わず感嘆の息を漏らす。
「まあな。遠征に出れば自分の事は自分でしなければならないし、食事当番だってあるからな」
「……そうなんですか」
てっきりナイフも剣も、同じ刃物だからという理由だと思っていたティアは、目を丸くする。
驚いた拍子に、三つ編みの片方が胸元に滑り落ちる。
それを乱暴に背中に流しながら、ティアがグレンシスの手元を見つめていれば、頭上から呆れまじりの声が降ってきた。
「なんだ?俺のことを、何でも人にやらせるお貴族様とでも思っていたのか?」
「そこまでは思っていません」
「なら、どこまで?」
「………内緒です」
しれっと生意気なことを言い返すティアに、グレンシスは苦笑する。けれど、本気で気分を害したわけではない。
「これくらいの大きさなら口に入るか?」
剝き終えた梨を皿に綺麗に並べたグレンシスは、ティアにそう尋ねる。
「一度は無理ですが、齧ればいけます……あ」
なぜか、グレンシスはティアに渡す前に、梨を一切れ自分の口に含んだ。
シャクっと音を立てて、グレンシスが梨を齧る。
「初物だから甘みが足りないと思ったが、意外にいけるな」
途端に梨の瑞々しい香りが部屋に広がり、ティアの食欲がそそられる。はしたなくも、こくりと喉が鳴ってしまう。
「ほら、お前も食べろ」
差し出された梨を一切れ取ると、ティアは口に含む。
シャクっとグレンシスが食べた時と同じような音と共に、爽やかな甘みが口に広がった。
「………美味しいです」
「そうか。良かった」
グレンシスは眉を上げて笑った。
「ところでお前は、梨と桃、どちらが好きなんだ?」
「そうですねぇ。見た目は桃の方が好きですが、梨の食感の方が好きかもしれません」
「奇遇だな。俺も一緒だ」
「………そうですか」
──シャク、シャク、シャク。
ティアは無心に梨を頬張る。梨独特の甘みと酸味が絶妙で、大変美味しい。
けれど、頭の中ではこれを剥いてくれた人のことばかりを考えていた。
グレンシスもまた、ハムスターみたいに口いっぱいに頬張るティアに目を細める。
食欲が無くても、果物なら食べてくれること。
桃より梨が好きなこと。
みつあみがとっても似合うこと。
短い会話だけれど、互いの事を少しずつ知っていく日々。
傍にいるメイド達にとったらこの光景はとてもじれったく、もどかしさしかないけれど、ティアとグレンシスにとってこの時間は、かけがえのないものだった。