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土曜日がやってきた――覚悟しろ。|新織《にいおり》|鈴子《すずこ》!
『ときめく乙女のエンゲージラブ』略して『ときラブ』の王道キャラ|鷹影《たかかげ》|龍空《りく》をクリアしてこの日を向かえた。
少しは女心を理解できた気がする。
王道キャラの鷹影龍空の行動、セリフ、仕草のすべてを記憶した!
――まあ、キャラのモノマネだけはしたくないが。
さすがに攻略のためとはいえ、そこまで自分を捨てきれなかった。
だが、ひとつの戦術も持たずに、体当たりするには愚の骨頂。
少なくとも俺は『ときラブ』をプレイし、手ぶらというわけではない。
――さて、後は向こうがどう出るかだ。来い! 新織!
俺と勝負だ――というように、俺は自信満々でいた。
負ける気など微塵もなかった。
新織に会って自信をなくすまでは……
どうやら、俺の考えは甘かったようだ。
目の前の新織は、無表情で淡々と旅行会社が提案したプランを眺めている。
真剣に『温泉プラン』を見て、なにかつぶやいていた。
「うーん。大浴場だけでなく貸し切り風呂があるところも捨てがたい気が(ネタ的に)。露天風呂は絶対ほしい(特に男湯)」
――風呂にこだわりが?
さっきから、俺と口をきかずに一人で悩んでいる。
そんな真剣に悩んでいるのなら、相談してくれたらいいのだが、俺に相談する気はなさそうだ。
会話がなければ、選択肢も生まれないという|不具合《バグ》が起きていた。
「新織。どれがいいと思う?」
「確認中です」
ばっさり切り捨てられて、会話終了。
ハートの数が増えるどころか減りもしない。
むしろ、『話しかけないでください』というオーラを感じる。
俺はそんなに魅力がない男なのだろうか。
新織といると自分に自信がなくなる。
正直、今まで女性から迫られる側にいたため、こんなふうに冷たくあしらわれたことがない。
そんな俺が、こいつの攻略に苦心しているなどと、ありえるか?
いやありえない(即答)。
あの頭の固い上層部さえ、俺は手玉にとってきた。
――おかしい、おかしいぞ。
胸の前で腕を組み、首をかしげた。
「新織。そろそろ……」
「もう少し待ってください」
まだ話の内容も口にしてないというのに。軽くあしらわれてしまう。
なんだか、うまくいってないような気がする。
ちらりと新織を盗み見た。
――ミステリアスでクールな美人と噂されるだけあって、たしかに謎だ。だが、美人だ。
長い黒髪がさらりと落ち、新織は髪を耳にかける。
その仕草を見て、さっと目をそらした。
危険だ、これは危険だぞ!
オタクの勘が働く。
『こいつにハマりそうだ』と。
これは好みのゲームパッケージを見つけた瞬間に似ている。
封を開ける前のドキドキ感。
きっと俺はこれにハマるだろうという確信。
――いや、待て!
大事なことを俺は忘れている。
俺の攻撃を華麗にかわすのだから、新織にはもう心に決めた相手がいるのでは?
それか、深い過去の傷か?
優しく問いただしてみよう。
色気全開で。
すっと顔を寄せて、甘く囁く。
「新織――お前、もしかして……」
「|一野瀬《いちのせ》部長。ここの旅館ですが、紅葉が部屋から眺められるそうです。部長は紅葉に興味はありますか?」
「まあ、そこそこには……?」
「浴衣は着ますか?」
「あれば着るかな」
俺の言葉を遮り、上目遣いで俺を見てきた。
こいつ、できる――!
俺の攻撃を防ぎやがった!
それも俺に会話をさせず、カウンター攻撃を繰り出してくるとは何者だ?
もしや、新織鈴子はかなりの恋愛猛者なのではないか?
男心をお手玉のようにもてあそぶ悪女!
新織を見たが、淡々としていて、そんなふうには少しも見えなかった。
――だよな。
「風景を楽しむのは、老若男女問わず。紅葉が見えるというのは。ポイントが高いですよね? いかがでしょう?」
困惑気味の俺の頭の中でピコンと音がなる。
選択肢が浮かびあがった。
→【いいと思うよ。温泉旅行とか彼氏と行ったりするのかな?】
【そうだな。いい案だ】
悩んだ結果、下の選択肢を選んだ。
上を選ぶとセクハラかと勘違いされる恐れがある。
それだけは避けたい。
「そうだな。いい案だ」
「ですよね」
普通の会話になってしまった。
これは失敗か?
けれど、新織から伝わる俺への感情はそんな悪いものじゃない。
「温泉は仕事の疲れを癒してくれるイメージがありますから、参加希望者が増えるはずです」
社員旅行はちょうど紅葉シーズン。
温泉はアンケートでも人気がある。
「湯めぐりできる温泉街にし、女子社員にはエステプランをつけたらどうでしょうか。それに紅葉を眺めながら露天風呂に入るなんて、とっても素敵ですよね」
にっこりと新織は微笑んだ。
選択肢は間違ってなかったのだと俺は確信した。
紅葉、温泉、浴衣――この響きがいいのか?
とりあえず、俺の選択肢は正解だったらしい。
頭の中でハートの数が増えた音がした。
「そうだな。プランのコースごとにバスをわけて、最終的に旅館に合流する形にしよう。そうすれば、細かいニーズにも答えられるな」
新織は力強くうなずいた。
浮わついたところがない真面目なタイプだ。
くだらない質問をして好感度を下げるところだった。
危なかった。
俺の危機を救った『ときラブ』に感謝した。
「それじゃあ、このプランにして細かいところは旅行会社の担当と詳しく話してみよう」
「はい。紅葉に温泉、浴衣ですよね!」
念を押すかのように新織はその単語を繰り返した。
「そうだな。趣があるな」
新織は和風のものが好きなのだろうか。
今日のランチはホテルバイキングなのだが、和食のほうが好みだったか?
「新織は和食派か?」
「いいえ?好き嫌いはありませんけど?」
不思議そうな顔をされた。
どうやら違ったらしい。
つかみどころがないな。
もう少し踏み込むか?
頭の中でスッとチェスの駒を進める。
「 そうか。ならよかった。今日はホテルのランチバイキングにしたんだが、好き嫌いがないなら、もっと素敵なところがよかったかな」
「素敵なところですか?堅苦しいのは苦手なのでランチバイキングで私はじゅうぶんです」
「俺もだ。新織が彼氏と一緒にどんなところに行くのか気になって聞いたんだ」
俺の『お前が気になっている』という遠回しの言葉に気づいてくれただろうか。
新織は俺の目を見つめる。
そうだ―――このまま。
そっと新織の頬に触れようと手を伸ばした瞬間、俺の腕のあたりを見て目をそらした。
「私は一人行動がほとんどですから。一人で入れるような店が多いですね」
俺の目を見ずに腕時計のほうを見ている。
もしかして、これは拒絶?
「新織は彼氏がいないのか」
「ええ。自分の時間を大切にしたいので」
ズキッと胸が痛んだような気がした。
ん?
なんだこれは。
「面倒なので一人が気楽でいいですね」
きっぱりと新織は言い切った。
面倒――まさか俺はフラれたのか?
失恋か?
いや、これはゲームだ。
だから、失恋ではない。
それなのに俺は胸が苦しかった。
『ときラブ』を思い出した。
なんて言っていた?
あの人気キャラ鷹影龍空は。
鷹影龍空『不思議なんだ。君といられるだけで嬉しいと思う自分がいる。けれど、君がいないと胸が苦しい。この感情はいったいなんなのだろうか』
タカ子(ヒロイン)『それは恋です!』
――おいおい。うそだろ?
俺の無駄に記憶力がいい頭は『ときラブ』のイベントスチルまで鮮明に思い出していた。
この後、龍空はヒロインを抱き締める。
そして、二人は恋人になる。
つまり俺は。
「新織。俺はお前のことが好きらしい」
温泉のパンフレットを手に微笑んでいた新織がそのままのポーズで固まっていた――
まるでCMの映像のように。