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専業プウタ
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胸騒ぎがした。神経がざわめくような、心許ない感覚がある。疲れているはずなのに、やけに眠りが浅い。無意識のうちに何かを感じ取っていたのだろうか。目覚めた美夏が最初に見たのは、スマートフォンの画面に並ぶ大量の通知だった。
SNSのトレンド欄には、寿志清純(ずしきよすみ)の名前がいくつも並んでいる。昨夜の生放送で飛び出した、あの発言。
『まあ、人気が出なくても気にしなくていいんですよ。アイドルにはAV女優になるって道がありますからね。デビューさえできれば、あとはイージーモードでしょ』
さらに、『俺もAV撮ってみたかったんだよなぁ。映画は無理でも、AVなら俺にも撮れるかなって』──という、有名映画監督にしてはどうにも違和感のある言葉。生放送中には、笑いとも困惑ともつかない微妙な空気が流れた。だが、一夜明けた今、あのときの曖昧な空気は跡形もなく消えていた。
問題発言の切り抜き動画が拡散され、発言の文字起こしが貼りつけられ、批判の投稿が次々と増えている。
『女性の人生を何だと思ってるんだ』
『若い女の子を励ましたつもりだという擁護もあるが、もしもそうなのだとしたら、その想像力のなさが一番怖い』
『こういう人間が映画監督をやってるのか』
『番組側も、あの発言を笑って流すつもりだったの?』
『AV業界も含めた全方位を馬鹿にしてるよなコイツ。どんだけ世の中をナメてんだ』
美夏は、画面をスクロールする手を止めた。
昨夜、神代和茂(しんだいかずしげ)が寿志に向けて放った言葉が、頭の中によみがえる。
『それは他人の人生を消費する人の視点ですよ』
その言葉を受けて、子供のようにきょとんとする寿志。あのときの寿志は、神代の言葉の意味を理解できていないようだった。そして今も、おそらく理解していないのだろう。回帰前の彼の態度を思い出しながら、美夏はスマートフォンを伏せた。
胸の奥には、奇妙な感覚があった。
寿志が炎上しているのに、清々した、とは言い切れない。寿志の非常識な発言が世間に知れ渡ることは、これまで彼の言動に苦しめられてきた人々にとって、一つの転機になるかもしれない。けれど、彼が失脚すれば、すべてが解決するというわけではない。美夏は、寿志清純が監督を務める映画の主演女優だ。騒動が大きくなれば、彼女もまた、寿志に関わる人間として見られるようになる。批判されるのか。擁護を求められるのか。それとも、何も言わないことを責められるのか。まだ何も起きていないのに、選べる道が少しずつ狭まっていくような息苦しさがある。
そのとき、スマートフォンが震えた。
White Noiseのグループチャットに、赤根菜生(あかねななせ)からメッセージが届いている。
『みんな、昨日の番組のことで変な連絡が来ても、すぐに反応しないでね。事務所にも確認しておくから』
続けて、朝霧舞白(あさぎりましろ)が短く返信した。
『わかった。菜生も無理しないで』
美夏はそのやり取りを見つめた。
菜生は、いつもこうだ。自分のことよりも先に、周囲への影響を考える。昨夜の放送で、彼女は寿志に対して、ごく自然な疑問を口にしただけだった。映画を何本も撮っているのに、なぜ『映画は無理でもAVなら』という言葉が出てくるのか、と。しかしそのやり取りも、切り抜かれて拡散されている。そして寿志の信者とおぼしき人物が、菜生の疑問を揶揄するようなコメントをつけていた。おかしいのは寿志の方だ。しかし菜生も巻き込まれ始めている。菜生本人に伝えた方がいいのだろうか、と美夏が思ったそのとき、菜生からもう一通のメッセージが届いた。
『……実は、ちょっと困ったことになってる』
菜生のそのメッセージには、スクリーンショットが添付されていた。
画像に映っていたのは、SNSの誰かの投稿。アカウント名は、『搾取される弱者男性』。投稿には、昨夜の放送をめぐる批判への反論が書かれていた。
『人生のベテランの寿志監督が、世間知らずな若い子たちに、厳しい現実を生きのびるための方法を教えてやっているのに、感謝されるどころか袋叩きにあっている。こんな世の中じゃ、誰も何も言えなくなる』
その投稿に何故か、菜生のアカウントが引用されている。
『こういう女が、男の善意を踏みにじるんだろうな』
美夏は眉をひそめた。
投稿者は、寿志の発言を擁護したいらしい。それ自体なら、意見の違いで済む話かもしれない。だが、菜生の名前を出す必要はない。菜生が寿志を罵倒したわけでも、彼の人格を攻撃したわけでもないことは、美夏も覚えている。彼女はただ、質問をしただけだ。寿志の名を知る者なら誰でも疑問に思うようなことを言っただけに過ぎない。それなのに、このアカウントは菜生を、年上の男性を不当に攻撃する女として扱っている。
美夏は投稿者のプロフィールを開いた。
アイコンは、顔の見えない男性のシルエット。プロフィール欄には、社会の不公平や男性の生きづらさについて考えている、といった文言が並んでいた。
投稿をさかのぼると、寿志の発言が炎上する以前から、似たような主張を繰り返している。『搾取される弱者男性』曰く──
──弱い立場の男性は、いつも搾取されている。
──女性は男性の苦労を理解しない。
──少しでも男が反論すれば、すぐに加害者扱いされる。
美夏は、画面を見つめたまま考え込んだ。
この人は、本当に寿志のことを庇いたいのだろうか。それとも、自分が信じたい物語に、寿志の炎上を当てはめているだけなのだろうか。その違和感を言葉にできないまま画面を眺めていると、『搾取される弱者男性』が新たな投稿をした。
『あなたみたいな人がいるから、まともな男が声を上げられなくなるんですよ』
その投稿にも、菜生のアカウントが引用されている。そしてその投稿は、誰かに拡散されていく。彼は数分おきに新しい投稿をする。それらのすべてに、菜生のアカウントを引用して。昨日の生放送のいったい何が気に障ったのか、『搾取される弱者男性』は、何故か菜生に粘着していた。
美夏は息を吐いた。まだ、始まったばかりだ。寿志の発言をめぐる騒動は、本人の名前を離れ、少しずつ別の場所へと広がっている。そして、その矛先は、昨夜同じステージに立っていた菜生にも向き始めていた。
コメント
1件
うわ、めっちゃ重い展開……。美夏が感じてる「まだ何も起きてないのに選べる道が狭まっていく息苦しさ」、すごくわかるよ。それにしても菜生に粘着してる『搾取される弱者男性』ってアカウント、めちゃくちゃ胸糞悪い。弱者を自称しながら他人を消費する構図、まさに神代さんが言ってた『他人の人生を消費する人の視点』そのものだよね。白波さんの空気感の描き方、今回も丁寧でゾワっとしたよ。菜生、大丈夫かな……。