成宮の牧場の広々とした芝生で、さんさんと太陽を浴びながら、アリスは厩舎の傍にいる北斗の弟直哉を見つけた
彼はビールの樽を軽トラックに運び込んでいた。アリスはパレットに積まれているビール樽のラベルをじっと見た
手作りのラベルに印刷されていたのは、男性の横顔の切り絵らしいシルエットの下にビールの銘柄は
『Narimiya・Beer』と書かれていた
「ビールをここで作ってるの?」
驚いたアリスは思わず直哉に聞いた
「あっ!お嬢・・・義姉さん!」
受け答えの調子と突然緊張した様子の義弟が、アリスとはあまり話がしたくないのではと感じた
麦わら帽子をかぶってアリスに微笑む直哉は、笑うとドキッとするぐらいのハンサムだった。そして北斗によく似ていた
北斗が線の太い男性的な顔つきなのに比べて、直哉は北斗の顔より線の細さが繊細な印象をうけた
さらにはいかめしい北斗に比べて、愛想の良さが彼を余計にハンサムに見せるんだろう
しかしアリスはいかめしい顔の北斗が熱に浮かされたように、アリスを求めるその表情の方が、たまらなくハンサムでセクシーに見えた
結局のところどんなハンサムを見ても、アリスは北斗が一番良く見えるのだろうと思った
「これ・・・普通に買えるの?」
アリスは珍しそうにビール樽を観察しながら直哉に聞く
「そうだよ!ここらの酒場のいくつかに卸してる。だけど少量生産を心がけていてね、大量に作ると味が落ちるんだ。仕事を多くするとその品質が落ちるだろ?それと同じだよ 」
「凄い!あなたが作ってるのね!」
ハハッ
「そうだよ 」
直哉は人懐こい笑顔をアリスに向けた
「どうしてビール造りをするようになったの?よかったら教えてくれる?」
「あれは俺が18歳の時さ」
直哉が軽トラにもたれながら、話し慣れた口調で流れるように語り出した
よかった・・・どうやら寡黙な兄と違って、弟の方は陽気で話し好きなようだ
マナー講師のアリスは親しくなるマナーの基礎から始めた
相手の得意な事を聞き出て、褒めて、褒めて、褒めちぎってから、本来の自分の聞き出したい情報を集めるのだ
「兄貴が調べたんだ。ここの天候はビール造りに最適だってね、あの頃は馬の調教もあまり上手くいってなかった時期だったから、他にも何か売りに出来るものを考えていたんだ 」
へぇ~・・・とアリスは感心して目を丸くした。やっぱり北斗さんは凄い
「それで俺と兄貴はビール醸造の本を取り寄せてビール造りをしたんだ。でもやってみたら俺の方がビール造りには性格が向いてたんだ。今ではビール造りは俺の専門さ 」
それでいつも酔っぱらっているのかしら・・・
アリスはそう思ったが敢口にはしなかった
なるほど・・・ここには寡黙だけど、堅実で経営能力の才能がある牧場主と、美味しいビールを醸造する弟と・・・
後はあの小さな男の子・・・北斗さんは血が繋がっていない弟だと私に言ったけど
彼の事も、もっと北斗さんから聞きたい。なんとか自分を奮い立たせて、ここに来た目的を遂行しようとアリスは義弟に言った
「夫と話をしたいの」
その言葉を聞いても直哉は微笑みを絶やさなかったが、少し不自然に見えた
やっぱり・・・北斗さんには何かある
直哉はにっこり微笑んで言った
「兄貴は午前中は執務室で仕事をしているよ、仕事をしている時は誰も執務室には入れないんだ。兄貴しか出来ない仕事をしてるからね、俺達はみんな午後になるまで兄貴の邪魔はしないほうがいいことを学んだんだ。兄貴の手があくまで待った方がいいよ
それに・・・母屋は・・ちょっと今改装中でね、他人が入れる状況じゃないんだ」
「私は他人なの?」
唇を尖らせてアリスが直哉を睨んだ
「そんな!義姉さんが他人だなんて!」
しまったとばかりに直哉が言い訳をする
アリスは直哉の顔をじっと見たが、これについては彼は譲歩する気はなさそうだ
当然だろうアリスはここでは新参者だ、いずれはその決まり事も破棄させる
同じ敷地内にいて妻が好きな時間に、夫に会えないなんて、もし急用だったらどうすればいいのだろう
直哉は北斗のこと以外は親切に、なんでもアリスの質問に答えてくれた
それはやむことなく彼に施されている、ビールのせいかもしれない
直哉はここの牧場地のことや、成宮一族の歴史について快活に話した
すべて本来なら夫である、北斗の口から妻のアリスへ語られるべきことだ
「ねぇ・・・一つ聞いてもいい?」
厩舎は日陰で寒そうだったので、アリスは中には入らないようにした
「なんでも訊いていいよ」
直哉は愛想よくそうアリスに言ったが、目はどこか警戒の輝きを表していた
「あなたのお兄さんは・・・あまり私にしゃべってくれないのだけど、なぜだかわかる? 」
直哉は肩をすくめた
「俺達にもあまりしゃべらないよ、昔からそうだった」
「私にお手紙をくれるわ、一日することを指示してくれるの」
「しゃべるより書く方が楽なんだよ 」
アリスは眉間にシワを寄せたものの、直哉の返事にはまだ納得しなかった、彼らは何かに遠慮している
・・・というか隠している
「でも私は彼の妻よ・・・お手紙より直接話してほしいわ・・・」
「俺は弟だけど、今だによく置き手紙をもらうぜ」
アリスは嫌な予感がした、これから自分もそうやって話が出来ずに、コミニュケーションは手紙をもらうだけなのだろうか
直哉はアリスになんでもないことだとでも言うように言った
「いずれ慣れるよ 」
「できれば会話をしたいんだけど」
う~ん・・・と直哉が顎を人差し指と親指で挟む、やはり兄弟だ北斗と同じ仕草だ
「会話は一方通行になるだろ?兄貴は口数が少ないから、それだと公平にならない 」
「彼が口数が少ないのは理解しているわ、何もべらべらおしゃべりになれと言ってるわけじゃないの。ただ・・・ 」
彼ともう少し将来の事とか、お互いを知るために会話でコミニュケーションできる時間が取れれば・・・・
私達は・・・なんていうか・・・・情熱のままに身体から始まったから・・・
アリスは歌舞伎の松竹座のボックス席で、会って30分で彼にキスされたことを思い出した
直哉が眉間に皺を寄せ渋い顔で言った
「寡黙なのを・・・無関心だと誤解しないでほしい。兄はとても思いやりがある人間だ、できれば兄には辛抱強く接してほしい、わかりにくい人間なんだ 」
北斗が思いやりがある人間だということは真実だ、アリスにもそれはもうわかっている
「・・私にも・・・いずれは何でも、ちゃんと話してくれるようになるかしら・・」
直哉が微笑んだ
「もちろんだよ、緊張が緩めばね、だけどそれでもぺちゃくちゃしゃべることは無い、兄貴はおしゃべりじゃないから」
「充分よ 」
それはよかった。アリスもおしゃべりな人間はあまり好きではない
それでも・・・コミニュケーションの一端で時々は・・・彼と話がしたい・・・
「どうして彼は私と結婚したと思う?」
直哉はハンサムな顔をゆがめて、こまった顔で笑った
「それは本人に聞いてくれないと」
直哉が話はすんだとばかりに、ビールの樽を積み終え、次は馬の蹄鉄を変えるために真剣に馬と向き合いだしたので、アリスは仕事の邪魔になったらいけないと、遠慮してその場を離れた
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!