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声が聞こえるほどに薄く、姿が見えぬほどに厚い仕切り幕の向こうで怒鳴り散らすコドーズと的外れな受け答えをする女の言い争いを聞き、ユカリはまだ檻に囚われている怪物たちの方を見る。色々な生き物がいる。その姿かたちだけではなく、何も気にせず床に寝転がっている者もいれば、落ち着きなく歩き回っている者もいる。そしてコドーズの怒鳴り声を聞くたびにびくびくと震えている者も。
獰猛な怪物を躾けるためならば、鞭打つこともある程度は仕方ないのだろうとユカリも思っていたが、少しばかり考えが変わった。
少なくともユカリには、彼らが己の置かれた状況を受け入れているのか嫌がっているのか、簡単に確かめる術がある。ただ尋ねればいいだけだ。
意を決して、並び立つ檻の中心へと足を忍ばせる。当然ながら不思議な獣たちからの注目を集め、ユカリは少しばかり緊張する。いくつかの生き物は好奇心に押されてユカリをまじまじと見、それ以外は気が付かないかのようなふりをしていた。
「逃げたいひとは私が逃がしてあげます」ユカリは怪物たちに囁くように【語りかける】。囚われの者たちは驚くが、すぐに耳を傾けてくれる。そしてユカリは魔法少女の輝かしい杖を埃が浮かんでいるだけの空中から取り出す。「檻も鎖もこの杖を使えば破壊できます。ただし、その後のことは保証できません。面倒を見るつもりもありません。自分で何とか出来、覚悟があるなら、それでも構わないなら、希望者は仰ってください」
囚われた者たちが一斉に答える。
「ここから出してくれ」「言いなりになるのはもうたくさんだ」「故郷に帰りたい」「どこでもいい。檻の中でなければ」
全てではないが、ほとんどの動物や怪物たちは逃げたがっている。しかしケブシュテラは何も言わなかった。ユカリがケブシュテラに近づくと、ユカリの想像上の母である焚書官の姿になる。姿は変わっても姿勢は変えず、焚書官が猫のように床に丸まってユカリに気づかないふりをする。
「昨日は助けてくれてありがとう。ケブシュテラはここから逃げ出したくないの?」
焚書官となったケブシュテラは鉄仮面の覗き穴の向こうで目を瞑ったまま首を横に振った。
少なくとも今は魔法の鎖を口に咥えていない。逃げ出そうと思えば逃げ出せるはずだが、ケブシュテラは逃げない選択をしたのだ。それが自分の意思に基づくものかは分からないが。
ユカリは少し寂しい気持ちから逃れるようにケブシュテラから離れ、逃げたがっている見世物たちの檻や鎖に杖で触れ、【空中を噛み締め】、破壊していく。魔法から解き放たれた奇妙な生き物たちは喜び勇んで天幕をくぐっていく。彼らなりに気遣ってくれているのか、出来る限り静かに出て行こうとしているが、気づかれるのは時間の問題だろう。
希望者を全て解放するとユカリは仕切りの方を睨んでコドーズを待つ。
しばらくしてコドーズと女の声が静まり、再びコドーズが怒鳴る。
「くそ! 今度は何の騒ぎだ!」
コドーズが目を血走らせて仕切りの向こうから飛び出してきた。逃げ出す怪物たちを呆然と眺め、その間に立ちはだかるユカリを射殺さん眼差しで睨みつけた。
コドーズは唾を飛ばして怒鳴る。「てめえは昨日の! いったい何をしてやがる!」
「グリュエー!」とユカリは鋭く風の名を唱えた。
コドーズが鞭を振りかぶると、同時に天幕の中へと大風が吹き込む。風に煽られ、コドーズの鞭は狙いが逸れて、ユカリのそばの地面を叩いた。すかさずユカリは杖で鞭に触れ、【噛み千切る】。
「この! てめえら、何を逃げてやがる! 戻れ! たたじゃおかねえぞ!」
コドーズが短くなった鞭を再び振り上げると、鞭は元の長さ以上に伸びて、天幕から出ていく怪物を狙う。再び大風は鞭の軌道を逸らし、ユカリの杖の届く方へ吹き流す。そうしてユカリは再び鞭を【噛み千切る】が、鞭はすぐに元の長さに戻った。そういう魔法の道具なのだろう。きりはあるかもしれないが、相手をしてはいられない。
コドーズは顔を真っ赤にして吠えたてる。「おい! がき! 何の恨みがあってこんなことをしやがるんだ!」
「恨みじゃないです。可哀想だから逃がしてあげました。見てください」ユカリはケブシュテラや逃げない選択をした檻の中の怪物たちを指し示す。「貴方を頼りにしている子たちもいます。優しく接してあげてください。逃げだしたくならないように」
「可哀想だと! てめえが決めることじゃねえんだよ!」コドーズは血管を浮き上がらせてわめく。
轟風のごときコドーズの怒りは、しかしユカリの心を波立たせることはなかった。ユカリに【万物との会話】について説明するつもりはなく、ただ丁寧に辞儀する。
「それでは、ご迷惑をお掛けしました。失礼します」
ここにいるつもりのない怪物たちが逃げ去ったのを確認し、ユカリも出て行こうすると、コドーズが呼び止める。
ユカリが振り返ると、獅子の姿のケブシュテラの巨体が宙に浮いていた。コドーズの魔法の鞭がケブシュテラの首を絞めて空中に持ち上げている。ケブシュテラは苦しそうに舌を出し、唾液を垂らして嗚咽する。
コドーズ団長は邪な笑みを浮かべて言う。「可哀想だと思うなら、見殺しにはしないよな?」
その通りだった。ユカリはグリュエーを制止し、魔法少女の杖を掻き消した。
「半端なことをするからだ」とコドーズは嘲笑う。「お前が奴らを可哀想だと思うのなら、お前は奴ら全てを逃がすべきだったな」
蛇のように身をくねらせる鞭がケブシュテラを床に降ろすが、変わらずその太い首に巻き付いたままだ。ユカリはすぐにでもケブシュテラに駆け寄り、抱き締めたかったが、大人しくそこに立っている。
「終わりました? 終わったみたいですね? よかったよかった」と仕切りの向こうから女が言った。
先ほどまでコドーズと話していた女が仕切りの向こうから顔を出す。炭で染めたような黒い髪に、眠たげな赤茶色の瞳、病的に肌の白い女だ。張り付いたような微笑みを浮かべて仕切りの此方側を見回す。爬虫類の鱗のような奇抜な模様の描かれた紺の長衣を見るに、どうやら魔法使いらしいと分かる。
「てめえ! 山猫! 何が他に類を見ない頑丈な檻だ! 簡単にぶっ壊されてるじゃねえか!」
クオルと呼ばれた女はわざとらしく目を見開き、両手をひらひらと上げる。
「あら、本当ですね。まぁまぁ、でも状況から察するに、私がお売りした鞭で状況を収めたわけじゃあないですか? そこは感謝してくださってもいいでしょう?」
火に油だった。
「何で俺が感謝しなきゃいけねえんだ! てめえの売って寄越したつまらねえもののせいで商売あがったりなんだよ!」
「本当に頑丈なんですよ? 引き渡し時に散々試して見せたじゃないですか。今はむしろそんな檻を簡単に壊せてしまう人物について考えましょう。恨みでも買ったんです?」
コドーズは一層喚き散らし、クオルという女はおかしな的外れの慰めの言葉をかける。しばらく通じ合わない言い合いをしたのち、クオルが提案する。
「分かりました。では、こうしましょう」
クオルはユカリには聞こえないように何事かをコドーズに囁く。すると先程までの八つ当たり的なコドーズの怒りは収まった。何かしらの取引をしたのだろうことはユカリにも分かる。クオルの囁きやコドーズの微笑みが促す予感が、あまり良くない未来が待ってるぞ、と言っている。