「ここですか?」
とある部屋の前で、北斗はジェシーに尋ねる。
「うん。あっ、俺が先に入ったほうがいいかな」
扉を開けると同時に、「高地、俺だよー」と明るく声を投げる。
ベッドで寝ている優吾は、柔らかな笑みを浮かべている。「北斗さん」
「松村北斗です。初めまして」
「いいよ、そんなに硬くならなくて。ジェシーみたいに高地で大丈夫。北斗、でもいい?」
北斗は笑ってうなずいた。
「北斗も胃がんなんだよね。スキルス?」
「いや、一般的なほう。スキルスって進行が速いんだよね?」
「そう。1ヶ月くらいでマジでダメかもって思って、逃げるようにここに来たんだよね。北斗はどのくらいで来たの?」
「俺は…2ヶ月半くらい。父親は病院で最期を迎えたから、ホスピスっていう存在を知らなくて」
「そうなんだ」
「でももっと早くに来ればよかったなって」
「そっか。治療ってなにしてたか、聞いても大丈夫?」
「うん。抗がん剤で、エスワンとシスプラチン」
「へえ。俺は術前化学療法だった。胃をちょっと摘出したから、ご飯が食べづらくてさ。最近は体調もあんま安定してなくて…」
だから、この間はジェシーと一緒に食堂に来なかったのだろう。
北斗も、入院中は副作用やがんの影響で食べ物が喉を通らず辛い思いをしたが、優吾も同じだったようだ。
「北斗は体調悪くなってない?」
「うん、今のところは」
「良かったね」
と笑うが、すぐにその笑顔は崩れる。優吾はわずかに顔をしかめた。「ん…」
「どうした?」
ジェシーが反応する。
「いや、ちょっと…痛いだけ」
手元にあったボタンを押した。それは、ベッドの柵に取り付けられているポンプに繋がっている。
「それって…モルヒネ?」
北斗が聞くと、
「うん。痛くなったときに自分で投与できるんだ」
「すごい」
「北斗もしてもらったらいいよ。すぐ楽になるから」
「でもまだそんなに痛みは出てないから…」
でも、これからひどくなってくるのか、と考えたら怖くなってきた。
「もうこんくらいでよくなってくるんだよね」
そうなんだね、と北斗はほほ笑んだ。
北斗が優吾の部屋を出てジェシーと別れると、ベッドに寝転んだ。
真昼の光は、痛いぐらいに燦々と降り注いでいる。その日差しに包まれ、だんだんと眠りの底へ落ちていきそうなところで、コンコンとドアをノックする音がして引き戻された。
「はい」
ゆっくりと身体を起こし、立ち上がってドアを開ける。
「こんにちは」
笑いかけたのは樹だ。
「良かったら、一緒に外行きませんか? 海でも見に」
そういうえば、行きたいとは思っていたが海に出たことはないというのを思い出し、快諾した。
「ぜひ」
部屋のテラスから出られるというので、北斗は樹を中に招き入れる。
「すごい綺麗」
「いやいや、物がないだけですよ」
「俺、整理整頓が苦手で、ここに来てまで部屋がぐちゃぐちゃになっちゃって…」
目じりにしわを寄せる。
テラスの柵の一部がドアになっていた。それを押すと、石でできた小道が続いている。
「うわあ」
「めっちゃいいとこですよね。俺も昨日来てびっくりしましたもん」
「すごい…気持ちいい」
爽やかな風が、2人の間を通り抜ける。樹が頭をそっと押さえた。
「…あの樹さん、それって…」
その後の言葉が言いづらく、北斗が言葉に詰まると、
「あ、これはウィッグ。安っぽいけど色が気に入ってて。北斗くんの帽子も素敵だね」
自然と、北斗も「くん」と呼ばれたことに違和感を覚えなかった。
「ありがとう」
「この色、病気になる前に染めてた色と同じ感じで。俺、実は音楽やってたんだよね」
北斗は聞き捨てならない言葉に、ん、と反応した。
「ラップ。昔から好きで、友達とデュエット組んで。路上ライブしたり、たまにライブハウス行ったり。別に売れたわけじゃないけど、楽しかったなあ」
当時の活気を思い出したかのように、口角を上げて話す樹。
「これからもっと頑張ろうかってときに、病気がわかって。もうできないってなって、相方も地元に帰っちゃって…、一気にどん底に落とされた感じだった」
「そっか…」
「…あ、ごめん。俺の身の上話ばっかしちゃったね」
「ううん。俺もちょっと似てる感じだったから」
「え?」
「俺は一応作詞家っていう肩書きで働いてて。音楽会社に就職して、好きなこともできて、なんていうか…幸せだった。まあそこそこの収入もあって、俺これでいけるんだって思い始めたときに、健康診断で引っ掛かっちゃってさ」
「え、ちなみにどんな曲書いてたの?」
以前書いたものでちょっとは売れただろうという曲名を挙げると、樹の目が輝いた。
「あ! 俺それ知ってる! 好きなんだよね。まさか詞を北斗くんが書いてたなんて」
「でもそのくらいだよ。あとはさっぱり。…で、がんって言われてから何もかもが嫌になっちゃって、会社も辞めて。だんだん治療もしてらんなくなって、故郷に逃げてきたんだ」
なぜか話し終えたあとは清々した気分だった。胸のつっかえが取れたような。
「そうだよね。嫌になっちゃうよね。俺だって、相方とか家族に八つ当たりして。今考えたら、バカだったなって」
初めて、北斗は共感してくれる人を見つけた。初めてこの気持ちを共有できた。それは樹も一緒だった。
「やっぱあったかい瀬戸内だからかな。なんかここに来てから、心もあったかくなったっていうか落ち着けた気がする」
樹は温かな目で言う。
「そうだね。俺も帰ってこられてよかった。樹くんにも出会えたし」
へへ、と照れ笑いがもれる。
「そろそろ戻ろうか」
しゃがんでいた2人は立ち上がり、海に背を向ける。
が、
「うっ、ゲホッ…ゲホッ」
突然樹が胸を押さえ、咳き込んだ。
「え、大丈夫⁉」
「だい、じょうぶっ…」
驚きながらも、背中に手をやってさする。「落ち着いて、深呼吸」
だがなおも樹はゴホゴホと苦しそうだ。
「誰か呼んでこようか?」
「いや…いいよ」
でも、と建物のほうを見つめる。とりあえず部屋はすぐそこだし、入ろうか。
背中を押し、中に戻る。樹の部屋の入り口まで支えた。
「ありがとう。もう大丈夫」
「うん、じゃあね」
扉が閉まると、隣に帰った。
病気は、人それぞれだ。その程度も。
北斗には咳の症状はないから、動揺してしまった。
でも、みんなそれぞれの場所に爆弾を抱えているのは同じ。抗がん剤治療をしなくなっても、樹もちょっと咳き込む日はあるだろうし、北斗だって少し痛む日があるだろう。
人が苦しんでいるのを見たら、なんだか胃がキリキリとする気がした。右手を上腹部に当てる。
樹のことを思うと、複雑な気持ちがせり上がってくる。どうにか寝てやり過ごそうと、ベッドに潜った。
続く
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