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カーテンの隙間から、
容赦のない朝の光が差し込む。
301号室のリビング。
若井は一晩中、一睡もせずにソファで
その時を待っていた。
寝室のドアがゆっくりと開く。
目をこすりながら出てきた元貴は、
リビングに座り込む影に気づき、短く息を呑んだ。
「……若井くん? なんで、ここに……。
鍵、返してって言ったよね」
元貴の声には、明らかな困惑と、
昨夜の拒絶の残滓が混じっている。
けれど、若井は立ち上がらなかった。
ただ、濁った瞳で元貴を見上げ、低く、這いずるような声でその名を呼んだ。
「……元貴」
「え……?」
呼び捨て。
昨日まで「元貴さん」と呼び、一歩引いたところで敬意を払っていた若井の口から出たその響きに、元貴の身体が微かに震える。
「若井くん、何言ってるの。
……早く帰って。昨日の話、まだ怒ってるんだから」
「元貴。……外に、涼架さんが来てたよ。
夜中ずっと、ドアを叩いてた」
若井はゆっくりと立ち上がり、
元貴との距離を詰める。
一歩、また一歩。
逃げようとする元貴の肩を、
逃がさないように強く掴んだ。
「……あいつは、お前の『過去』を守ってるつもりなんだろうね。でもさ、元貴。
……お前が今、誰の助けも借りずにここで震えてるのを、あいつは見てないだろ?」
「……離して。……若井くん、怖いよ」
「若井くんじゃない。……若井、だ。
……いいか、元貴。お前の『闇』なんて、俺が全部塗りつぶしてやる。
……あいつに頼らなくても、俺がお前を、どこにも行けないようにしてやるから」
元貴の瞳に、恐怖と、そしてそれ以上に深い「諦め」のような色が浮かぶ。
かつて天才と呼ばれ、壊れて捨てられた彼にとって、この圧倒的なまでの執着は、
毒であると同時に、初めて自分を「一人の人間」として求めてくれる救いのように感じられたのかもしれない。
「……元貴。……返事は?」
若井の指が、元貴の顎をくいっと持ち上げる。
至近距離で見つめ合う二人。
元貴は、震える唇を小さく開いた。
「……っ、……わかい……」
その瞬間、若井は勝利を確信した。
スペアキーを握りしめ、自分を拒絶したはずの男を、呼び捨てで縛り付ける。
それは、爽やかだったサラリーマンが、愛という名の深淵に完全に沈みきった瞬間だった。
廊下の向こうで、誰かの足音が聞こえる。
けれど、もう二人の耳には届かない。
この部屋は今、世界から切り離された、二人だけの心地よい檻になったのだから。
離さないよ。