テラーノベル
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枕元で、若井の
スマートフォンが狂ったように震えている。
画面には「部長」「会社」「同期」
……数え切れないほどの着信履歴。
普段なら真っ青になって飛び起きるはずのそれらを、若井は冷めた瞳で見つめ、電源を無造作に切った。
「……もう、いいんだ。あんなところ」
若井はベッドから起き上がり、リビングへ向かう。
そこには、パジャマ姿のまま
ソファで丸まっている元貴がいた。
若井は迷わず、部屋中のカーテンを隙間なく閉め切り、遮光布の向こう側に太陽を追い出した。
「若井……。仕事、行かなくていいの?
……電話、すごかったよ」
元貴の声は、どこか現実味を欠いて、
ふわふわと浮いている。
若井は元貴の足元に膝をつき、
その細い手首をそっと握りしめた。
「行かないよ。……元貴を一人にして、
あんな場所で数字に追われるなんて、
もう耐えられないんだ」
「……バカだね。……君の人生、
めちゃくちゃになっちゃうよ」
元貴が自嘲気味に笑う。けれど、その手は若井の手を振り払おうとはしなかった。
むしろ、縋り付くような力が指先にこもっている。
「めちゃくちゃでいい。……元貴の歌を、俺だけが聴いて。元貴の闇を、俺だけが知っていれば、それでいいんだ。……涼架にも、会社にも、誰にもお前を触らせない」
若井はキッチンへ行き、手際よく朝食を作り始めた。
冷蔵庫の中にあるもので、元貴のためだけに。
会社で「期待の若手」と呼ばれていた若井の器用な指先は、今や、元貴をこの部屋に繋ぎ止めるためだけの道具に成り下がっていた。
ピンポーン、とインターホンが鳴る。
一度、二度。執拗な連打。
「……若井! 中にいるんだろ!
会社から連絡あったぞ! 開けろ!」
ドア越しに響く、涼ちゃんの怒鳴り声。
元貴がビクッと肩を揺らし、
助けを求めるように若井を見た。
若井は包丁を置き、濡れた手を拭うと、元貴の背後からそっと抱きしめ、その耳元に唇を寄せた。
「……静かに。……あいつは、ただのノイズだ。……俺たちがここにいる限り、あいつの声はお前に届かない」
「……っ、……うん……」
元貴がゆっくりと目を閉じ、
若井の腕の中に沈み込む。
外の世界では、若井という人間が「失踪」したことになっているだろう。
キャリアも、友人関係も、
すべてが崩壊していく音がする。
けれど、腕の中に伝わる元貴の体温だけが、今の若井にとって唯一の「真実」だった。
二人は暗闇の中で、静かに呼吸を重ねる。
301号室は今、誰にも邪魔されない、完璧な聖域へと変貌していた。
コメント
2件
スゲー、、、 なんか、言葉がブッ刺さってるわ🎵