料理が運ばれてくる間、凪は急に気まずくなる。美容院では周りに人がいたし、今の今までメニューを決めるという作業があったから。
特にする事がなくなった今、どんな会話をしたらいいのかわからなかった。
世間話をするのも違う気がした。友達のようになんでも話せる仲でもないし、プライベートなことを話すのは絶対に嫌。
千紘をなるべく刺激しないよう、どうにか写真を消してもらう方向にもっていかなければならない。
そんな難易度の高いミッションをさっくりこなせるほど、経験値はない。いや、どんな人間だって初対面の相手に犯された挙句、写真で脅されている現状なんてそうはない。
経験値で片付けられる問題ではなかった。
「凪はいつも忙しそうだね」
そんな凪をよそに、千紘の方から話しかけてきた。凪は、グラスの水を一口飲んで「忙しいよ。ずっと。お前もだろ」と言った。
「うん。休憩中とか、家にいる時とかホームページで予約見てる」
「……気持ち悪」
凪はぞぞっと背筋に悪寒が走るのを感じた。執着されていることには気付いていたが、まさか自分の仕事スケジュールまで把握されているとは思ってもみなかった。
「何分入ったんだって見る度に今、違う女の子といるのかあってショック受ける」
両手で頬杖をついてむくれる千紘に、凪は盛大なため息をついた。ガチ恋している凪の客となんら変わらない反応だからだ。
ホームページに掲載されるスケジュールを見て落ち込む客は多い。しかし反対に嫉妬心を煽り、予約を入れさせることもできる。
凪に相当入れ込んでいる客の1人は、つい先日も凪が別の客に貸し切られて泣いていた。金を払わなければ会えない。その関係はもどかしく辛いもの。割り切って遊べる人間ばかりではないのだ。
「あのな……仕事だし」
「お客さん好きになった事ないの?」
「ない」
「どんなに可愛くても?」
「客としての好きはあるよ。可愛いもある。でも本気で好きになったことはない。金が発生してる時点で営業」
「じゃあ、俺は特別」
千紘は、きらっと目を輝かせた。少し前のめりになって凪の目を見つめる。どこがだよ、と気だるそうに息を吐く凪は「お前のは脅し。ある意味特別かもな」と嫌味を言った。
凪の嫌味など取るに足らない千紘は、その言葉にすっと瞼を上げ、瞳を揺らした。どんな形であれ、凪の特別になりたいと願っていた。
ある意味でもどんな意味でも特別であったらそれでいい。今、凪の中に自分がいる。そう思っただけで、千紘はとてつもなく歓喜した。
「嬉しい……」
「おい、なんでだよ」
ガクンと項垂れる凪。嫌味も否定も全く効果がない。凪はどんな言葉を選んだら少しくらい響くんだろうかと考えたが、それ自体千紘の思惑にハマりそうでやめた。
「ねぇ凪さ、仕事順調じゃん?」
「は? まあ、だから何。さっきから」
「客とえっちするの?」
「……は?」
酒も入ってないのに最初からこんな話。男同士、好きな女のタイプで盛り上がった流れならこの手の話も上機嫌で話すが、相手は自分を犯した男。そして、男が好きな男。
仕事内容をネタにするには少々相手が悪い、と凪は嫌そうに顔をしかめた。
「ほら、裸で触れ合うわけでしょ? んで、凪は女の子しか無理って言ってたじゃん。ていうことは、仕事中だったとしても勃つわけ?」
「……勃つこともある。慣れすぎて勃たねぇ時もあるけど」
「プライベートではえっちしてる?」
「お前には関係ねぇだろ! なんなんだよ、だから」
「関係あるよ。凪、もしかしてもうイケないんじゃないかと思って」
千紘は、眉を下げて子犬のような顔で凪を見つめた。まるで少しだけ罪悪感を持っているかの雰囲気だった。
「……は?」
凪は、またしても気の抜けた声を上げた。このことに関しては散々悩んでいたのだ。どんなに好みの女性とセックスしようとも、射精感がやってこない。当然、射精することもできない。
機能的にダメになってしまったのか、気持ちの問題なのかわからないが、以前に比べて気持ちいいとも思えなくなった。
「付き合った人によく言われるんだよね。俺とセックスしてから他の人じゃイケなくなったって」
千紘はさっと目を逸らして言った。あの時は本能のまま凪を抱いたが、もしかしたら凪の体に変化が起こっているのではないかと後になって思ったのだった。
凪はぽかんと口を開けたまま、二度瞬きをした。まさか、千紘の方からそんなことを言ってくるとは思ってもみなかったし、過去に自分と同じように射精できなくなった人間がいることにも驚いた。
「は……え?」
「ほら、ナカからと外からと両方攻めちゃったでしょ? だから、それと同等かそれ以上の刺激がないと中々イキにくい体になっちゃうというか」
「なっ……そんなこと」
「今まで通りならいいんだけど。むしろ、それで感度増す場合もあるわけだし……」
千紘に言われ、凪はぼーっと考えていた。初めて触られた後口。誰にも触らせたことなどなかった。もちろん挿入なんて以ての外。
ただ、最初から痛みはなかった。違和感はずっとあったが、時間をかけてじっくり解されて徐々に広がっていくのがわかった。
その間、千紘の指だけで何度も射精をした。竿に触れられることもなく、後口だけで何度も。
「ま……さか」
俺のイケない原因ってそこ!? 突っ込んで扱いても後ろ弄らないとイケないってこと!? いや、嘘だろ!? だってあんなの最初で最後だぞ! そんなわけない! そんなわけ……。
凪はチラリと千紘を見る。潤んだ瞳を向けられて、大袈裟に目を逸らした。
そんなわけねぇー! そんなことがあってたまるか! この俺が、後ろじゃないとイケないなんてことがあるわけがない!
「だ、大丈夫……」
凪は必死にそう言ったが、声は震えていた。決して目を合わそうとしない凪を見て、千紘はニヤリと口角を上げた。
「そっか……。それならよかった。凪が不自由して、仕事にも支障が出てたら困るなって思ってたんだ」
「いや……仕事順調だし……」
「毎日忙しそうってことはそうだよね。でももし、苦しくなったらいつでも言ってね」
千紘は満面の笑みで言う。
「……はい?」
「凪のお手伝いなら喜んでするから」
「なんのお手伝いだ!」
凪はガタンと音を立てて腰を浮かせると、前のめりになって千紘に詰め寄る。千紘は一瞬目を大きくさせ、すぐにまた目尻を下げる。
「だから、凪が気持ちよくなるお手伝い。女の子じゃ気持ちよくなれなくなったら、俺がいつでも」
「絶対ない! お前に頼むことなんか絶対にない!」
いくらイケなくなったからといって、誰がこんなヤツに協力を頼むか! 凪はかあっと頭に血が上るのを感じた。
大体、誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ、と怒りが収まらない。
あんなことさえなければ、今頃仕事も順調だったし、こんなふうに脅されることもなかった。凪は、上手くいかない現状にまた悲しくなった。
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