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(生きたい⋯⋯俺は!まだ生きたい!!)
男の心臓は破れんばかりに打ち
鼓動の一つひとつが耳の奥で爆ぜる。
視線が彷徨う。
目の前に立つ三人──
琥珀の眼光を光らせる巨躯
氷色の冷気を孕む神父
そして、三人の中で
一番小柄で柔らかげな眼差しの青年。
(なんとか──なんとか逃げねぇと!)
その瞬間
選んだのは最も〝弱そうに見える〟標的。
へたり込んでいた足に渾身の力を込め
男は低い姿勢で地を蹴った。
砂利が弾け、崩れた石畳が鳴る。
狙いはただ一つ──
優男を倒し
再び後ろに控える少女を盾にすること。
(そうだ!
あの女を、もう一度人質にすれば──!!)
だが、その思考は完全に〝読まれていた〟
時也は一歩も退かず
むしろ自然な流れで立ち上がると
相手の突進の力をそのまま受け流した。
足裏は石畳のわずかな段差を正確に踏み
身体はしなやかに軸を保ったまま旋回する。
合気の理──
相手の力を無力化し、逆に地へと返す術。
男の巨躯は抵抗する間もなく宙を泳ぎ
背から石畳に叩きつけられた。
「が、はっ──!」
肺の中の空気が一気に吐き出され
視界に眩く白が散った。
仰向けに転がったまま空を見上げると
崩れかけたホテルの輪郭が
逆光に歪んで見える。
そして──
そこに映り込んだのは、冷たい銃口だった。
「⋯⋯あ、俺の⋯⋯」
喉が痙攣し、言葉が喉奥で潰れる。
見下ろすのは
先ほどまで微笑みを絶やさなかった青年。
だが、いまその唇に浮かぶのは
底冷えするような柔らかい笑みだった。
「僕が一番小柄だからと⋯⋯
侮ってもらっては困りますよ」
銃口の先に宿る冷たさと
鳶色の瞳に光る静かな怒気。
男は全身の血が凍るのを感じた。
ソーレンが、口端に獰猛な笑みを刻みながら
紫煙を吐き出す。
「はは⋯⋯まぁ、わかるぜ?
俺らと一緒に並んでると
時也が一番倒しやすく見えちまうよな?
でもなぁ──〝一番柔らかそうなとこ〟が
大抵は一番厄介なんだよ」
その声は嘲笑であり、警告であった。
アラインは長い黒髪を一房弄びながら
氷色の瞳を細める。
「心が読める相手に
体術だけで挑むなんて⋯⋯それこそ無謀さ。
ボクですら
時也を寝技に持ち込むのは容易じゃない。ねぇ、今の気分はどうだい?
自分の浅知恵が──
見事に跳ね返された感想は」
指先で遊ぶ刃がわずかに光を反射するたび
男の胸は圧迫され、呼吸が乱れていく。
時也は銃を構えたまま
変わらず穏やかな声音を保った。
だがその穏やかさは
もはや赦しの微笑ではない。
逃げ場を完全に断ち切った
冷徹な支配の笑みだった。
廃墟の中に満ちるのは、煙と鉄の匂い。
その只中で、拘束された男の生への渇望は
もはや悲鳴に近い鼓動だけを響かせていた。
薄暗いサービスヤードの空気に
煙草の紫煙が漂った。
ソーレンが苦々しげに笑い
咥え煙草を噛み直す。
「──ん?おいおい。
時也、お前なぁ⋯⋯
それじゃあ、相手に
〝遊び道具〟向けてるのと変わんねぇぞ?」
彼の琥珀色の瞳は鋭いが
同時に呆れの色も滲んでいた。
その言葉に被さるように
アラインが低く愉快げに囁いた。
「ふふ。時也⋯⋯
安全装置を外さずに銃を突きつけてたらね
獅子の威嚇も
子猫のじゃれ合いに見えちゃうんだよ?」
するりと、彼は時也の隣に滑り込む。
その動きは
蛇が獲物に纏わりつくように自然で
次の瞬間には彼の白い指が
時也の手の甲へと重なっていた。
銃口の角度を保ったまま
アラインは顔を寄せ
まるで耳元で秘密を教えるように
声を落とす。
「ほら、見てごらん?ここ──
親指の付け根のすぐ上
このレバーが〝セーフティ〟だ。
下げれば撃てる状態、上げれば安全状態。
今は上がっていた。
つまり──〝撃つ気がない〟と
敵に宣伝していたようなものさ」
冷えた金属音が、カチリと指先で鳴る。
「⋯⋯わからなかった訳では、ありません。
ただ、警告にはそれで充分だと──
そう判断しただけです」
時也の鳶色の瞳がわずかに揺れる。
だが、アラインもソーレンも
その声音がただの言い訳であることに
気付いていた。
彼が機械に疎いことは
二人にとって〝周知の事実〟だったから。
アラインは口角を僅かに吊り上げ
時也の手の甲を撫でるように指を這わせる。
「はいはい。素直でよろしい。
でもね、少しくらい
現代の武器を扱えるようになろうか?
構造を覚えれば、ただ撃つだけじゃない。
〝相手の銃に安全装置を掛けて無効化する〟
っていう防御にも使えるんだから」
彼の説明は、慈父の教えのように緩やかで
しかし指先の動きは
狩人が獲物の急所を示すように正確だった。
「ほら、人差し指は絶対に
このトリガーガードの外側に添える。
焦って掛ければ暴発するから。
支点はここ、中指と薬指で
しっかりグリップを握る。
親指は反対側に添えて
両手で支えれば⋯⋯そう、今みたいに」
時也は鳶色の瞳を真剣に細め
一つひとつの所作に耳を傾ける。
合気道の型を学ぶときと同じように
正確さを求めて動作をなぞる。
その華奢な肩口に
アラインは顔を預けたまま
愉快そうにその姿を見下ろしていた。
だが、その蒼の双眸は時也ではなく──
その背後を僅かに盗み見る。
そこには、息を詰め
真っ赤に染まった顔を両手で覆う
アビゲイルの姿があった。
彼女の視線は時也とアラインに釘付けで
推しと推しの〝あまりに近い距離感〟に
胸の奥で熱が暴走しかけている。
アラインの心に、冷ややかな愉悦が走る。
(さぁ、アビィ。
これはボクからの試験だよ。
信仰で時也を焼かないように
ちゃんと加護を抑えられるかどうか──
その祈りが本物か、証明してごらん?)
桃色の鳥が静かに羽を揺らし
風が緩やかに吹き込む。
冷たい鉄の匂い、湿った石壁の匂い
そのすべてが
舞台装置のように張りつめていた。
一方で、アラインの横顔には
時也の無垢な真剣さを隣で見つめながらも
誰よりも愉悦を覚える者の笑みが
浮かんでいた。