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放課後の教室。沈黙が、壁のように漂っていた。
遥は窓際の席に座り、腕を組んで顔を伏せていた。
日下部は無言のまま、数席後ろからじっとその背を見ていた。
顔の痣ははっきり残っている。
目元の腫れ、切れた唇、袖口から覗く赤黒い滲み。
痛々しいのに、日下部は何も言わない。
椅子を引く音も、ため息も、問いかけもない。
ただ「ここにいる」という、無言の選択だけが、遥に向けられていた。
遥は、それが怖かった。
(なんで、まだ俺を見てる?)
(なんで、おまえはそんな顔で、そんな目で──)
視界の端に映る日下部は、壊れかけているくせに、微動だにしない。
何も言わず、何も求めず、ただ沈黙だけを差し出してくる。
その“無言の踏み込み”が、遥にはたまらなく苦しかった。
(俺が、壊したんだ。なのに)
(まだ、信じる気かよ)
遥の指が、膝の上でわずかに震えた。
(優しくされるたび、刺さる)
(おまえのまっすぐさが、いちばん俺を追い詰める)
──それでも日下部は立ち去らない。
逃げることもしない。
遥は、その沈黙がまるで自分を「許す」と言っているようで──
余計に、信じられなかった。
一方で、蓮司の“演出”は静かに、確実に進んでいた。
「共犯」という言葉が、教室の隅に貼られた一枚のプリントに書かれていた。
手書きではない。タイピングされた活字だ。
差出人も、目的も書かれていない。
ただそこに、“客観的な視点”を装って綴られた文章があった。
「最近、日下部と遥の様子が変です」
「誰も言わないけど、不自然に守り合ってる気がします」
「もしかして、何かトラブルを“隠してる”んじゃないですか?」
文末には、「証言求む」「匿名OK」「DMへ」という一文が添えられていた。
翌朝、誰かがそのプリントの写真をSNSにアップした。
文面だけ切り取って、こう書き添えた。
“実は前から気になってた。日下部、変わったよね?”
“正義感強いふりして、実は裏あるタイプっぽい”
それはただの噂ではなかった。
“仕掛けられた”噂だった。
誰が始めたのかは、もう問題じゃない。
火種は撒かれ、風が吹いた。
教室の空気が、ざらつき始める。
遥は、その変化にすぐ気づいた。
だが──日下部は、何も言わなかった。
痛む身体を押して、何事もないふりを続けた。
ただ、視線だけが変わっていた。
遥を、見る目。
まっすぐに、迷いなく、ただひとつの意思を灯した目。
「まだ、壊れていない」
そう語る目が、遥の胸をわずかに軋ませる。
だが──遥の中の“自己否定”は、そう簡単には折れなかった。
(俺が、触れたから──壊れたんだろ)
(だったら、もう何も望むな)
歪んだその思考は、蓮司が巧妙に煽った“世間の声”によって、さらに増幅されていく。
遥の殻が軋む。
日下部の沈黙が、それを静かに押し続けている。
──どちらが先に崩れるのか。
静かな戦いは、いまも教室のどこかで続いている。