ある夏の日、月しか輝かない蒸すような都会の夜の空の下、スパイダー・ウェアデビルは己の半年を振り返っていた。
最初にこの力を手に入れたのはいつもの平日。もはや恒例や風物詩の類となったパワハラ上司の理不尽な叱責を受けていた最中、彼は人間を辞めて恐るべき怪物「ウェアデビル」となったのだ。
その力で上司を殺し、自分より先に出世した同僚を殺し、目をつけていた女性社員を一頻り楽しんだ後に殺した。この力で金を奪い取り、好きなものを食べて飲んで、気に入った女を片端から遊び倒し、気に入らない奴は皆殺しにしてきた。
スパイダー・ウェアデビル。は食物連鎖の頂点に立ったのだった。
しかし、そんな絶頂的日々を過ごしている時にそいつが現れた。
(((楽しんでいますね)))
まるで自分を嘲笑うかのような声! スパイダー・ウェアデビルはそのたった一声で殺意が爆発し、声の主に襲い掛かった。しかし、その結果は。
「ギヒィ〜……!」
スパイダー・ウェアデビルは半分吹き飛んだ自身の頬を抑えながら呻き声を上げる。人の顔ではない。蜘蛛と融合したような異形の姿だ。その恐るべき怪物が、まるで子供に踏まれそうになった蜘蛛のように怯え、逃げたのだ。
事が起こったのは一瞬だった。コンクリートをも貫く鋭く強靭な爪で斬り殺そうとした瞬間、顔の横で突然の爆発がおき、スパイダー・ウェアデビルの顔が吹き飛んだのだ。
何がどうなって爆発したのかはわからなかった。だがやったのが声をかけてきた人物だという事はわかった。残った四つの目で見たそれは人間ではなく、自分と同じ、異形の化け物であったが。
「ヒッ、ヒィ〜!」
思い出しただけでも全身が震える。逃げる寸前、その一瞬だけ見えた紀章の色は赤褐色、つまり自分と同じブロンズクラスだが刻まれていた数字は「Ⅰ」。「Ⅲ」の自分では勝ち筋はないことはないが、確実とは言えない。
知識として知ってはいた同族だが、実際に対面するのは初めてだった。まさか、あれ程までに恐ろしいとは思ってもみなかった。
黒地に白い斑点模様、魔法使いめいた鍔広のとんがり帽子、後ろから前側を包むような丈の短いポンチョマント、大きなスカート、大きな恐ろしい二つの目。
「クルクルクル」
そう、今まさにスパイダー・ウェアデビルの目の前に現れた怪物のような。
「ヒ!?ヒギィ〜!?!?!?」
いや「ような」ではない。現れたのはスパイダー・ウェアデビルの顔を吹き飛ばした怪物その者、アゲハ蝶・ウェアデビルだ!
「クルクルクル……『ブリニム・ティティ、タルアブラ・トウ・ブリビス』」
人語を話さぬ筈の怪物が呪文めいた言葉を綴る。それを聞いたスパイダー・ウェアデビルが一層怯えた。だが覚悟を決めたように立ち上がり、ハサミのような横開きの口をパクパクと開閉させ、言葉を発する。
「『ルシュ・ゼクダ、ペン・デシュム』」
何と! スパイダーも似たような文言を発したではないか!
月が見下ろすビルの屋上はこの一瞬で殺人闘技場と化した。二者は円を描くようにジリジリと間合いを測る。
「キシャァッ!」
先に仕掛けたのはスパイダーだ。着弾と同時にネットのように広がり、相手を封じる粘着弾を連続で発射する!
「クルクルクル!」
アゲハ蝶は身体を低くしつつ左右に揺れる奇妙な動きでこれを回避。さらにスパイダーへ向けて猛然とダッシュ!
「キシャァッ!」
爪で迎え撃つスパイダー! アゲハ蝶はやはり左右に揺れる奇妙な回避モーション。そして308口径マグナムめいたインパクトパンチがスパイダーの胸に叩き込まれる!
「ギエッ!?」
後ずさるスパイダーとの距離を何気ない足取りで詰め、更に右パンチ!「ギエッ!」左パンチ!「ギエッ! キシャーッ!」反撃の大ぶりな右爪をアゲハ蝶は左腕で受け止め、更にパンチを叩き込んだ! そして後ずさる。
「キッ、キヒィー!」
やはり勝てない。力の差は歴然だ。人間のような弱い獲物ばかり狩っていたスパイダーとは異なり、アゲハ蝶は戦闘慣れしている。経験の差が大きい。
「ギシャーッ!」
だが悲しいかな、それでもスパイダーは立ち向かう。あの文言を口にしてしまったからには、逃走は許されない。両手を広げ更に、おお、見よ! 彼の腹部を覆っていた装甲が開き更に二対の、計四本の腕が伸びた! 当然先端には鋭い爪が鈍く輝く。
「グッシャーッ!」
これこそスパイダーの必殺技「シヌ・ハグ」。強く抱きしめ、身動きが取れない獲物の首に食らいつき、毒を流して内臓を溶かしてすする恐るべき捕食攻撃!
だがアゲハ蝶は逃げ場のない掴み技が目前に迫っているというのにも関わらず、焦った様子も逃げる仕草も見せない。
爆発音! そして閃光! 「ギャアーッ!?」そして悲鳴! スパイダーの全ての腕が無残にも飛び散る! これだ、またこれだ。謎の爆発が目の前の同胞を守っている。これを解き明かさない限り勝利はないが、持てる武器の大部分を失った今のスパイダーではアゲハ蝶には勝てない。
「グエワーッ!」
やぶれかぶれの噛みつき攻撃! コンクリートを発泡スチロールのように砕く牙が迫る。だが見よ。あの奇妙な回避動作を取ったアゲハ蝶は、そのまま身体を回転させる。回転の勢いに任せ身体を浮き上がらせながら右足を上げ、スパイダーの顔側面に強烈なキックを叩き込んだ!
「グ」まず首の骨同士の接合が完全に断たれる。
「ギ」次に内部衝撃により頭の中身が全て粉砕される。
「ャ」そして首の肉と皮の繊維が一瞬で全て断たれる。
「ー」ゴルフティー上から打ち出されるゴルフボールめいて首が飛び。
「ッ!」爆発! アゲハ蝶が着地して背を向けてると胴体が誘爆! 後には何も残らない。
「クルクルクル……」
アゲハ蝶は暫し戦闘の余韻に浸る。閉じぬ黒玉のような目は月を見上げている。そんな怪物の姿は数分後、どこかへ消えていた。
スパイダー・ウェアデビル。本名「知朱 八月」、抑圧され、蔑まれ、最後には怪物となった男の生涯はこうして幕を下ろした。
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