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都心の繁華街。日中は昼食のため訪れた喫茶店において、盛大な宴会が催された。
名目としては、“今日を生き延びたお祝いに”という周辺住民の明解な理屈に併(あわ)せて、主役の二名を盛大に饗(もてな)そうというものだった。
囃し立てられるのは嬉しいが、これまで裏道を歩んできた葛葉からすると、あの騒ぎは本当に目が回った。
店主も店主で、気前よく振るまい酒をわんさと整えており、これを目当てに来店する者も多かった。
もちろん、迷惑だとは思うまい。
どんちゃん騒ぎの宴席は我らが族(うから)の本分であり、人々の楽しげな様は何より活力になる。
それに収穫もあった。
「御遣(おつかい)さん!」と、前を歩くブロンド娘が聞き慣れぬ呼び方をするもので、うっかりと返事に窮してしまった。
『“御遣”って言うんだっけ!? あなたみたいなヒトのこと!』
先頃、盛況を極める店内にて。葛葉の隣席を陣取った彼女は、矢庭にそんな事を捲し立てた。
辺りを見れば、快活な赤ら顔があちこちに。
この宴席を設けるにあたって、上述の名目を掲げてはいるものの、誰も彼もが好きに飲み食いし、歌っては踊るという、一種らんちき騒ぎを絵に描いたような光景だった。
いずれも、日頃の憂さを晴らすには恰好の場であったのだろう。
そうした席の中心に居合わせることができたのは、葛葉としても僥倖であり、結果として人々に笑顔を与えるに至った本日の働きについて、まこと申し分なく思う。
「御遣?」
「そ! “神剣遣い”とかって」
「あ、聞いたことあるかも。それは」
「あの牙スッパリやっちゃうんだもん! すごいよね! congratulation!!」
“神剣遣い”という語義は、たしかに旅の道々で幾度か耳にした覚えがある。
調べてゆく内に判ったが、昨今の世情に現れた強者(つわもの)らの中には、とくに格別の兵具を持つ者らがいる。
その連中がまた面妖で、信じられぬ不思議を自在に操ってみせるのだとか。
よもや妖術では無かろう。
いまの世の中に、神仙の類がどれほど居残っていることか。
否(いや)さ、そこに言及するのは野暮だろう。
「あ~、御遣さんか!」
「やっぱりなぁ」などと、店内のあちこちから得心の声が上がった。
“不思議”の成立には、なにも特別な形式や儀式など必要なく、大まかな土壌があれば事足りる。
たとえば人心を脅かす暗がりであったり、酸鼻な噂話、果ては恐怖心そのもの。
現在の世の在りかたを鑑(かんが)みるに、そうした土壌は整い過ぎているようにさえ思う。
「御遣……」
「あん?」
ふと、近場からおよぶ老い嗄(か)れの声を受け、葛葉の思惑はハタと止(や)んだ。
見ると、巌(いわお)のようにガタイの良い老骨が、酔客の衆に混じってグラスを舐めている。
年波を感じさせぬ身の持ち方と言おうか、背筋にしゃんと軸のある居住まいから推して、若かりし頃の景気はさぞ。
しかし表情は柔和に取りなされており、威圧感はない。
よくよく見れば、真っ昼間からこの店で飲んだくれていた爺さまだ。
「旅のお方」と、葛葉の念入りを他所(よそ)に、その老骨はいたって小粋(こいき)に語を次いだ。
「あのお爺ちゃん、何だって?」
「あん? や、刀見せてくれって」
「おぉ、カタナ!」
前をゆく快活な少女が、幼気(いたいけ)な仕草で両手を突き上げてみせた。
何がそんなに楽しいのかは知れない。
言うなれば知識欲か、未知の事柄を己の来歴に擦(す)り合わせ、無上の喜びを見出ださんとする者は少なからずいる。
幼気と言えば、あの爺さまの眼には果たして何が映っていたのかと、葛葉は思案した。
『眼福でした』
『そうかい、そりゃ……』
あれはまるで、かつて“本家”御用を務めた彼(か)の刀工──、わが親父殿が祖父とも父とも慕ったあの好々爺を、どういう訳か彷彿とさせる眼の色だった。
「……お前さん、親っさんに会いたいか? もう長いこと」
「あん? 会いたかねぇよ、ホームシックですかぃ?」
口内で転がすように唱えたところ、腰元から胡乱な応答があった。