なんで優しいの?ってよく聞かれる
それはね僕の兄は生まれつき障害を持っていた
僕も言語能力検査に引っかかっていた
担当した検査の人は伝わればいいと
話して いたそうだ
それを気に食わない親戚達がお母さんに
酷く残酷な言葉を浴びせ続けた神経的肉体的も
僕はその空間がいつまでも慣れなかった
お父さんには何も言わなかった
僕が産まれる前親戚達と大喧嘩たからと
聞かされている
親戚の集まりも参加する事は少なくなっていた
でも従兄弟が集まる日はからなず行っていた
僕は従兄弟が大好きだったから
でもね家に帰るとお父さんさんとお母さんが
些細なことでいつも喧嘩してる日々が続いて
喧嘩した日の夜は僕と兄を連れ出して
夜の公園でお母さんが冷静になるのを
待っていた電話も持っていたので
家に帰る時はお父さんと連絡していた
小さい頃家にも学校にも居場所が
ないように感じ始めた
毎日のように言い争う声もう聞き飽きたと
言ぐらいに
何もしていたいのにお母さんから
怒られるまた兄を泣かせたなと
責められ泣くまで怒られる
誰も庇ってくれないそう思った
僕なのど見てはいないそう感じていた
小学校ではバイ菌扱い要らない存在だと
思えるほど言葉行動が多々あったでも
いつもなにか慣れて自分を隠すようになった
ストレスなのか掻きむしっりが悪化していた
気づけば指から血が流れているでも
手を止められなかった別に良かった
止められいたら癪に触るだろう
授業参加の日朝から父と母は
大喧嘩していた僕は黙って家を出た
お母さんが呼び止め一言お父さん殺すからと
正直信じられなかった
それでも隣でずっと支え仲良くしてる子が
居てくれたその子とは中高離れたんだけど
ある日スーパーで再開したとっても嬉しかった
高校ある日何もしていないのに
仲のいい後輩が僕のお母さんに
髪の毛引っ張っられたと泣きつた
それを信じたお母さんが僕を叱った
言葉は出ってこなかった
その場で泣くことしか出来なかった
でもディの職員さんが信じてくれた
それでも嬉しかった
ある放課後のこと
仲の良い?友だちと遊んでゆっくりしてると
男性の職員さんが近ずいて来て
○○君は遊びたくなかっと
聞かされてた遊んでるときは
楽しそうだったのに
僕は黙ってベランダに出た
頭の中がいっぱいなり
手首を無意識に掻きむしっていた
気がつくと帰りの会が始まっていた
ガーゼを取り中に入って
誰もいない場所を探したけれど
見つからなかった部屋の隅で
貼ることにしたそしてら
別の男性職員さんが近ずて来た
手首を見られたその瞬間職員さんの
驚いた表情をしていた
そしてゴミを捨てるのを忘れて
取りに行くと女性職員さんと
話していた僕はその職員さんから
ゴミといつもより引く声で
話した職員さんが渡しゴミ箱に
捨てることができた
その後散々仲のいい職員さんから
DMで怒られた
だから他人の痛みも傷もわかる
こんな人生だったけどちゃん
と信用できる相手
見つかったしかも3人
それでも僕は早く死にたい
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