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寮生活が始まって三日目。
仁人は、朝になると誰よりも早く目を覚まし、洗面所で顔を洗い、シャツの襟を整えてから太智を起こす。
一方で太智はというと、布団から顔だけ出して、
「じんと~……五分だけ寝かせて~な……」
と甘えたような声を出して、再び布団に潜り込む──そんな日々が続いていた。
「……それ、毎朝言ってるよ」
「せやっけ? ほな今日も五分だけなぁ……」
仁人は苦笑しながら、窓を開けてカーテンを引く。朝の光が差し込み、太智はまぶしそうに目を細めた。
「うー……じんと、やっぱ朝つよいなぁ。頼りになるわ~。ママかと思た」
「それ、褒めてるの?」
「もちろん。ママって最強やろ?」
そんな調子で、ふたりの寮生活は少しずつ「日常」になっていった。
太智は人懐っこく、誰とでもすぐ仲良くなれるタイプだった。
でも、なぜか仁人に対しては、ほんの少しだけ──距離が近かった。
食事のときは隣に座る。授業の移動も自然と一緒になる。寝る前には「今日あったこと」をぽつぽつと話すようになった。
「仁人って、なんやろ……なんか、不思議やな」
ある晩、太智がそう呟いた。
「不思議?」
「うん。初めて会った気ぃせぇへんのよ。なんでやろ。昔から知ってる気ぃするっちゅーか……」
仁人は、太智の言葉に心臓が跳ねるのを感じた。
──でも、期待してはいけない。
そう自分に言い聞かせる。
「……そっか。もしかしたら、どこかですれ違ってたのかもね」
「うーん、関西ちゃうやろ? 仁人の地元」
「うん、でも……夏休みに、親戚の家に行ってた時期はあった」
「へぇ~。和歌山とか、そういうとこ?」
仁人の手が、ピタリと止まった。
(気づく……? いや、まさか)
けれど、太智は眉をしかめて数秒考えたあと、笑って肩をすくめた。
「なんや、思い出されへんなぁ~。ま、いっか!」
──やっぱり、覚えていない。
でもそれでも、太智の中に“だいちゃん”の片鱗が残っていて、 仁人の中に“じんちゃん”の面影を感じているなら──それで、今はいい。
そう思いかけたその瞬間。
寮の廊下の角から、颯爽と現れたのは特進クラスの制服を着た佐野勇斗だった。
「仁人、ちょっといい?」
「勇斗……どうしたの?」
「いや、部屋で渡したいものある。ちょっと来れる?」
「う、うん。ごめん、太智くん。またあとで」
仁人は立ち上がり、勇斗と共に廊下を歩き出した。
背後から、太智が小さく呟くのが聞こえた。
「……仁人、あの人と仲ええよなぁ」
寮の裏庭。特進寮の一角にあるウッドデッキ。
仁人は勇斗から手渡された文庫本を受け取り、ぺらぺらとページをめくった。
「これ、中学のとき言ってたやつ」
「うん。覚えてたんだ」
「当たり前。仁人が好きな本くらい、覚えてるよ」
風が吹く。仁人の髪がさらりと舞う。
「……どう、太智ってやつ」
「……すごく、懐かしい。けど、彼は僕のことを覚えてない。いや、そもそも“女の子”だと思ってたし……」
「仁人」
勇斗が真剣な目で、仁人の名を呼んだ。
「もう、昔の約束に縛られるのはやめたほうがいい。──そう思う」
「……なんで?」
「だって……」
勇斗は言いかけて、ほんの一瞬だけ、目を伏せた。
「──それ、もう俺の出番がないから、って言ったら……怒る?」
仁人の目が見開かれた。
「……勇斗……?」
「冗談だよ」
そう言って、勇斗はいつものように笑ってみせる。でもその笑顔には、微かに影が落ちていた。