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四月半ば。桜が散り始め、学校の中庭には新入生たちの笑い声が響いていた。
太智は仁人と一緒に昼食をとっていた。学食の窓側、少し静かな席。
「仁人、これ食べる? からあげ、ひと個多かったんやけど」
「……え、いいの?」
「当たり前やん。うち、揚げ物はそんなに食べへんねん」
「……意外」
「なんでやねん!」
軽く突っ込んでくる太智の明るい声は、まるで春の陽だまりのようだった。
でも仁人は、その笑顔の裏に小さな“もどかしさ”を感じていた。
(だいちゃん……)
太智が自分を“じんちゃん”だと気づかないこと。それが、仁人の心を少しずつ締めつけていた。
ふと、学食の入口から誰かが入ってきた。
「仁人、ここにいたんだ」
勇斗だった。
「……勇斗」
「特進は昼休み短いんだよ。ちょっとだけ顔出した」
「そっか……」
勇斗は太智にも軽く会釈する。
「塩﨑くん、仁人がいつもお世話になってるみたいで」
「えっ、いやいや、うちの方こそ! 仁人はめっちゃ優しいし、助かってるわ~」
にこやかに返す太智。
でも、そのやりとりを聞いていた仁人は、何かが引っかかった。
(「仁人」って、呼び捨てなんだ……)
それがなぜか胸の奥にじわりとしみて、仁人は無意識に箸を強く握っていた。
勇斗はそんな様子を横目で見ながら、短く言った。
「……また放課後、ちょっといい?」
「うん……わかった」
そうして勇斗は、また静かに学食を後にした。
──それからしばらくして。
寮に戻った太智は、勉強机に向かってノートを広げていた。横では仁人が読書をしている。
「……なあ、仁人」
「ん?」
「昔、和歌山に来たことって、ホンマにあるん?」
仁人の手が、また止まった。
「……うん。小学校低学年の頃まで、毎年夏休みになると、親戚の家に行ってた」
「へぇー……うち、近くの公園でよう遊んでたんやけどな、めっちゃ仲ええ子がおって。そんときは女の子や思てたんやけど……」
「……!」
太智の指が鉛筆を回しながら止まる。
「その子、なんて名前だったか覚えてへんねんけど……“じんちゃん”って呼んでた気ぃする」
仁人は、心臓の鼓動が速くなるのを感じながらも、黙ってうつむいた。
「……偶然、かな」
「そっか……うーん、でもなぁ……じんと、笑った顔とか、寝顔とか、めっちゃその“じんちゃん”に似てんねん。不思議やろ?」
太智の目はまっすぐ仁人を見ていたけれど──その表情は、あくまで“思い出を話す”顔だった。
「じゃあ、もし僕が“じんちゃん”だったら、太智くんは──どうする?」
「え?」
太智は驚いたように目を見開いた。
「いや、それは……うーん、そしたらビックリやな! じんちゃん、男の子やったんか~って! でも、それでいっこ謎が解けるかも」
「……なに?」
「昔のじんちゃんに、『だいちゃん、だいすき』って言われたことあってん。ほんまに、将来結婚しよーな、って。でもあれって、恋愛の“好き”やなくて、お兄ちゃん的なアレやったんかな~って、ずっと思っててん」
──仁人は、何も言えなかった。
あの約束は、仁人にとって、初恋であり、永遠の記憶だった。
けれど太智にとっては、ただの“思い出”でしかないのかもしれない。
その夜、仁人はベッドの中で、太智の寝息を聞きながら──胸の奥に小さな痛みを抱えたまま、静かに目を閉じた。