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約束の土曜日、俺は朝から張り切っていた。
昨日はオンラインゲームも早々にログアウトし、今日のブランチはフレンチトースト。
休日は朝食と昼食を一緒にとるようにしている。
俺の部屋に乱入してきた|晴葵《はるき》の分も用意してやった。
土曜の昼からなんの用だよと思っていたら、俺の部屋にスマホを忘れていったらしい。
それで、慌てて取りに来たというわけだ。
今日は|奥川《おくがわ》と『魔法少女☆ルン』の限定フィギュアのためにゲームセンターに行く約束をしていたため、連絡をとれないことに気づいたとか
いつの間に奥川と仲良くなったのか、まったく違う二人を繋げる『魔法少女☆ルン』。
なんて偉大な存在だ。
「ふーん。貴仁は|新織《にいおり》さんとデートかぁー」
「なんだ。うらやましそうだな」
「まーね」
あっさり晴葵は認めてきた。
晴葵は甘党でフレンチトーストにたっぷりのメープルシロップをかける。
しかも、おかわりのフレンチトーストだ。
見ているだけで胸やけしてくる。
夕方から奥川とゲームンターへ行き、そのまま飲みに行くそうだが、楽しそうでなにより。
晴葵のことを『おしゃれでかっこいい洗練された男』と勘違いしている我が社の女性社員たちが、本当の姿を知ったら卒倒するろう。
「休みの日は寝坊するな~」
どうせ昨日の夜遅くまでアニメを見ていたに違いない。
『今期アニメは豊作だ!やったね!』と大喜びしていたからな。
「貴仁が起こしてくれなかったら、危うく大事な集まりに遅刻するところだったぜ」
「なにが大事な集まりだ。お前と奥川しかいないだろうが」
「俺たち以外にフィギュアをゲットしたい奴はたくさんいるんだって!」
「……同志の集まりか」
「そーゆうこと!」
得意顔をした晴葵の顔は母親ゆずりの女顔。
芸能事務所からスカウトが来るレベルの容姿。
そんな男がアニメで一喜一憂しているとは誰も思わないだろう。
「あ、でもさ。新織さんとのデートなら、限定フィギュアを諦めてたかもなー」
「晴葵が新織を狙っていたとは知らなかった。新織はモテるんだな」
知っていたけどな。
海外支店から本社異動になり、戻ってきた時から気になっていた。
余計なことを話さず、一人静かに物思いにふけり、窓の外を眺める彼女のことを。
憂いを秘めたそのまなざしとミステリアスな雰囲気に興味を持たない人間がいるだろうか。
「見ての通り、美人だからね」
晴葵は俺と新織がデートするのが気に入らないらしく、皿の上でフレンチトーストを細かく分解していた。
昨日から仕込んだ俺のフレンチトーストをきちんと食えよ。
俺が作るフレンチトーストは砂糖が入った牛乳に一晩浸し、フライパンで焼く直前に卵液にからませるホテル風フレンチトーストだ。
そして、バターとメープルシロップ、カフェオレ、サラダ――完璧な布陣だ。
「前々から狙ってたんだけどなー。話しても手応えがなくてさ」
「お子様は好みじゃなかったんだろ」
そう晴葵に言ったが、昨日の晩、落ち着かなくて、そわそわしていたせいでフレンチトーストの下ごしらえなんかをしてしまった。
遠足前の子供か。俺は。
「誰がお子様だよ! 貴仁より俺のほうが大人だっての! だいたいデート前に乙女ゲームってどういうことだよ!? 困惑しかねーよ!」
「これはテンションをあげるための必要な作業だ!」
俺は朝からデートの前哨戦として『ときラブ』をプレイしていた。
脳内をしっかり恋愛モードにしておくつもりだ。
大事なのは狙っている相手と遭遇すること、そして好感度。
そして、今日は大事な『イベント』である。
この『イベント』によって、エンディングが大きく分岐するのだ。
選択肢には、じゅうぶん気をつけなくてはならない。
俺は乙女ゲームからしっかり学んだ。
「新織さんと付き合ってみたかったのにさ~」
「正直で結構なことだ。だが、新織は俺と付き合っている。残念だったな」
『ときラブ』のエンディング曲が流れる。
俺は完璧だ。
やりきった。
これでデートも――
「なんだ?」
突然、スマホが鳴った。
着信は社長からだった。
休みの日に珍しい。
「まさか将棋かチェスに付き合えと言うんじゃないだろうな」
「|貴仁《たかひと》がデートに行けないなら、俺が代わりに行ってやるよ」
晴葵が嬉々として言ったのを軽く無視した。
社内一周男にデートの代役を誰が頼むか。
「もしもし?」
『一野瀬君。休みのところ悪いね。実は大変なことが起きてしまったんだ!』
社長はひどく動揺していた。
「落ち着いてください。いったいなにが起きたんですか?」
『娘が事故にあった! |紀杏《のあ》が婚約者と言い争いをしていて、車道に飛び出したんだ』
「紀杏――いえ、お嬢さんが?」
「婚約者がいたのかよ!?」
晴葵は驚いていたが、俺は知っていた。
なぜ、俺と同時に海外支店から戻らなかったのかというと、恋人がいたからだ。
結婚すると聞いて、安心していたが、戻った紀杏は俺につきまとった。
幸せなはずの紀杏が、俺に付きまとう理由がわからなかった。
どういうことだ?
俺が海外支店を去るまでは、恋人と仲良くやっていたはずだが?
社長も結婚すると言って喜んでいた。
相手は紀杏の我儘をオール百パーセント受け止められる寛容な男だ。
バランスがとれた二人だと思っていたが、結婚間近で大喧嘩になるとは……
社長は電話向こうで泣いている。
仕事を離れたら、娘思いな気の弱い男なのである。
『一野瀬君。本当にすまない。こちらにきてもらえないか。動揺していて医者の話を一人で聞く勇気がないんだ……」
妻が早くに他界し、残ったのは娘一人だけ。
大事な一人娘が事故にあったとなれば、社長の心痛もわかる。
だが――時計を見た。
待ち合わせは夕方だ。
「わかりました。すぐに向かいます」
病院の場所を聞いた。
そばで聞いていた晴葵は俺の腕をつかんだ。
「新織さんのデートはどうするんだよ?」
「間に合わせる」
動転している社長を放っておけない。
妻を亡くし、再婚もしないで一人娘を大事に育ててきた。
紀杏が海外支店に行きたいと言い出した時、社長は反対したらしいが、父の元を離れ、勉強させてほしいと言われ、泣く泣く見送ったほどの愛娘ぶり。
その反面、紀杏は父親の干渉を嫌って海外支店にやってきた。
『自分の力を試したいんです! 社長の娘とは思わず、私のことは一社員として指導してください!』
海外支店に来た時、そう宣言していたのを思い出す。
だが、甘やかされて育った紀杏は挫折した。
できると思っていたことが、うまくできず、日常生活においても失敗ばかり。
社長に頼まれて面倒を見ていたが、俺も仕事が忙しく、四六時中一緒にはいられない。
気づけば、紀杏は甘やかしてくれる今の婚約者と出会い、仕事より結婚を選んだ。
――海外支店時代の忙しさの半分は、紀杏のせいなんだが、危なすぎて面倒を見るしかなかったんだよな。
「社長の娘はさ、貴仁のことが好きだろ? 気づいているのに行くのかよ?」
俺は紀杏の気持ちに気づいていた。
紀杏の気持ちに気づいていながら、気づかないふりをした。
なぜなら、俺はあの頃もゲームオタクで、付き合う時間がなかったからだ!
いや、待てよ。
これは堂々と言えない。
社長令嬢より、ゲームを優先したなどと言えば、晴葵から白い目で見られそうだ。
アニメオタクとゲームオタクは、似て非なるもの。
両方が好きというやつがいるが、必ず、どちらかに情熱を全振りしているのだ。
極めてこそ、真のオタク!
「不誠実だ!」
晴葵は俺を誤解している。
お前はもっと俺を理解しろよと思いながら、晴葵に言った。
「安心しろ。浮気じゃない。社長が俺を頼ってきたんだ。こんな状況の時に一人でいろとは言えないだろう?」
「それなら、行けばいいけど。罠じゃないよな?」
心配しているのは、罠にはまって社長と紀杏に捕まることらしい。
それは絶対ない。
お人好しな社長だからこそ、俺は心配している、
「お前はアニメの見すぎだ。紀杏が少しおかしいのも、マリッジブルーかなにかだろう」
晴葵は険しい顔をしていたが、紀杏の怪我の具合と社長の様子を見るまでは、デートに行ったところで、デート中も気になってしまうだろう。
甘やかされて育った紀杏のことだ。
マリッジブルーになって社長を困らせているだけだ。
そう俺は思い、社長が言っていた病院へ向かった。