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部屋の時計が、ゆっくりと時間を刻む。外の世界の音は、もう届かない。
カーテンはぴったりと閉められ、スマホは電源を落とされ、鍵はどこかに隠された。
敬太は、静かにベッドの上に座っていた。
両手の縄は、今はほどかれていた。けれど、逃げようとは思わなかった。
……いや、思えなかった。
その横で、凛はまるで花嫁のように微笑んでいた。
白いワンピースに身を包み、丁寧に入れた紅茶を敬太に差し出す。
「お砂糖は2つ、だよね?」
『……うん、ありがとう。』
「ふふ、覚えてるよ。全部、ちゃんと……。」
敬太は紅茶を受け取った。
凛の指先が、自分の指にふれるたびに、胸の奥がきしんだ。
怖い。
けれど、どこかで……
この感情さえも”愛”とすり替えていた。
凛は続ける。
「この部屋はね、2人の秘密基地なの。外の誰にも邪魔されない場所」
『……凛、……ずっと、ここにいるつもりなの?』
「うん。ねえ……それって、幸せじゃない?」
「だって、私たち……あんなに”愛してる”って言い合ってたじゃない」
『……あれは、気持ちを確かめ合ってたんだよ。でも、それを縛るための言葉にしちゃいけない……。』
凛は、ふとその言葉に首を傾げた。
「縛っちゃ、いけない?でもさ、敬太。私、縛ってほしいって思ってたよ?あなたの愛に。あなたの言葉に。あなたの存在に、ね」
凛の瞳は透き通っていた。
まるで、それが“正しさ”であるかのように、純粋な光を帯びていた。
敬太は思わず、目を逸らした。
凛は、さらにそっと近づく。
敬太の手を、自分の胸元に当てる。
「感じて……この心臓の鼓動。ねえ……これ、あなたのために、動いてるの」
「私ね、あなたに愛されることだけが、生きてる証だったの」
「だから、お願い……もう何も言わないで」
「“ずっと一緒”って、もう一度だけ……言って……?」
敬太は、呼吸が苦しくなった。
凛の言葉は甘くて優しいのに、なぜか逃げ場がなかった。
でも……
『……ずっと、一緒にいるよ』
気づけば、そう呟いていた。
凛の表情が、パッと輝く。
「本当に? ほんとにほんとに?」
『……あたりまえだろ、俺たち、愛し合ってるんだから』
その瞬間、凛は敬太の胸に顔をうずめ、ぽろぽろと涙をこぼした。
「嬉しい……嬉しい……ずっと怖かったの……いつか、あなたがいなくなるんじゃないかって……」
『もう、どこにも行かないよ』
「この部屋から出ないで……?」
『うん……出ないよ……。』
そう、口に出した瞬間、敬太の中でも何かが“音を立てて壊れた”。
外の世界なんて、もうどうでもいい……。
この部屋の中で、凛だけを見て、凛だけに縛られていれば、それでいい。
彼の中の“正常”と“狂気”の境界線は、もう溶けていた。
数日が経った。
日付の感覚は薄れ、外の音はすべて遮断されたままだ。
2人は、朝も夜も区別なく、ベッドで手をつなぎ、同じごはんを食べ、同じ夢を語り、同じ不安に怯えながら、同じ言葉を繰り返していた。
『愛してる』
「私も、愛してる」
そして今夜もまた……
ふたりは寄り添い合い、眠る。
けれど、ひとつだけ変わったことがある。
敬太の瞳に、黒いモヤモヤが浮かび始めていた。
そう、それはかつて凛の中に生まれたもの。
今、その影が、敬太の心にもじわじわと侵食していた。
この愛は、終わらない。
終わらせてはいけない。
終わるくらいなら、全部壊してしまえばいい。
その思考が、まだぼんやりとした輪郭を持ったまま、敬太の中で眠っていた。
次に壊れるのは、誰?
次に壊すのは、どちら?
2人の「愛してる」は、もう呪いのように、心に刻まれていた。