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✧≡≡ FILE_016: フラッシュ ≡≡✧
──ザザ……ザ……ッ……
《──で、その“夢の金属”とやらは、28.7度でなければ超伝導しないそうだな。なんとも慎ましやかな夢だ》
《夏日が来たら終わり、という話だ。温暖化が進めば夢どころか、ただの高価な金属になる》
《国の中枢を支えるインフラに使うには、“気温が上がりませんように”と祈るしかないのか。いいご時世だ》
《所詮、研究室の中だけの話を、“国家規模の現実”に持ち込むから滑稽なんだ》
《本来は“原発依存を減らすため”に研究が始まったはずだが……皮肉なものだ。結局のところ、我々は原発を手放せていない》
《いや、むしろ以前より必要になっている。予測不能な素材に国の送電網を委ねるくらいなら、既存の原子力のほうがまだ計算できる分、現実的だ》
《やはり原子力は手放せんな。ロシアも中国も原子力に回帰している。我々だけが理想を掲げて真夏に停電なんて哀れな未来を……私は見たくない》
《まったくだ──ルミライトとやらが“太陽より強い”というなら、まず夏日を乗り越えてから出直してもらおうじゃないか》
《我が国の気候に勝てない時点で、話にならんよ》
……ッ……ッ……ガガ……ザー……
「あー! くそっ!」
机をガン、と力いっぱい叩いた。
薄い鉄板が揺れて、卓上の“盗聴器”がかすかに音を立てる。
「何が“慎ましやかな夢”だ!言いたい放題言いやがって」
悔しさが喉に熱く溜まり、奥歯が鳴る。
政府のバカ共がまたほざきやがったか。温暖化が進んでるのは原発のせいだっていうのに。
その原発と火力に依存して、際限なく電気を使い、CO₂も熱もばら撒いてるから気温が上がっている。その“上がった気温”を理由に、今度はルミライトすら否定するのか──どこまで過去の失敗にすがって、未来を潰せば気が済むんだ。
「……自分たちで温暖化を加速させておいて、ルミライトは使えない。“だから原発が必要だ”って?……笑えるな。最初から未来を作る気なんて、一ミリもないくせに」
でも、ルミライトは違う。
廃棄物も出さない。放射線も出さない。
ただ28.7度、それだけ保てば、完璧な超伝導が得られる──なのに、“夏場に冷却装置が少し要る”ってだけで、役立たず呼ばわりだ。
「ほんの数度、冷やせば済む話だろ……。それが何だ? たったそれだけのことで、何万人も殺せる原発のほうが“現実的”だって……?」
声は出さず、唇だけが震えていた。
怒りというより、もう吐き気に近いものだった。
「原発がいらない世界を、あと一歩で作れるってのに──その一歩が面倒だからって切り捨てる気か?」
キリスの拳が、机の端をかすかに震わせた。
許せなかった。
理想が否定されたことではない。
“命を守れる技術”が、誰の手にも届かないまま切り捨てられていく、この仕組みそのものが──許せなかった。
目を伏せ、舌打ちひとつ。
その唇の端は、乾いてひきつっていた。
原発なんて──
あんな危険なエネルギーに、人間の生活のすべてを預けている現状こそ、滑稽じゃないか。
……でも。
キリスは、机の隅に置かれたモニターを見た。
世界中の発電データ。再生可能エネルギーの出力グラフ。
その隣には、今なお稼働を続ける原子力発電所の数値。
その数字は安定している。異常なほどに。
「……チッ……」
冷たく、吐き捨てるような音が漏れた。
わかってる。
わかってるんだ──こんなものが、まだ必要なのは──原発は今この瞬間も数千万人の暮らしを支えてる。それでも、そうまでして守っているのが、“こんなもの”だという現実が、たまらなく腹立たしかった。
「……だからって、それが正しいわけじゃないだろ」
目を細めた。悔しさが、喉の奥を焼くようだった。
現実が、理想を押しつぶしてくる。
──諦めたくない。
それでも、この現実に膝をついたら、俺の人生は負けな気がした。
どうすればいいのか──本当に、それだけだった。
今のルミライトは、少しでも暑くなると、すぐ力を失ってしまう。
28.7度を超えると、超伝導じゃなくなる。
ただの金属になってしまう。
そうなると、電気はうまく流れず、熱がたまって壊れやすくなる。
こんな状態では、原発の代わりなんてできない。
国の電気を全部これに任せるなんて、無理だ。
じゃあ、どうしたらいい?
──どうすれば、金属は変わる……?
原発を終わらせるなんて、既存の金属でどうにかしようとする時点で困難だ。
土台が弱いのに、上だけ直しても意味がない。
──構造そのものを作り替えるしかない。
キリスは椅子を強く蹴るようにして机へ戻り、パソコンを開いた。
荒れた呼吸のまま、研究論文の検索欄に指を叩きつける。
「……金属」「安定化」「耐熱性」
片っ端から、雑に入力しては結果を開いていく。
画面が何度も切り替わり、無数の論文が流れた。
そのうち、ふと視界に止まる単語があった。
──高エントロピー合金。
手が止まった。
聞いたことはある。
だが、まともな研究者ならまず選ばない“方法”だ。
金属をただ混ぜるのではなく、五種類以上の元素を“ほぼ均等に”混ぜて、まったく新しい格子を作り直す。
そんなやり方は、失敗すればただのガラクタになる。
実験そのものが無謀に近い。
しかし、“本当に全部を混ぜ直したら、熱にも電気にも壊れない、まったく新しい金属が生まれるんじゃないか?”
……ドヌーヴに、相談してみるか。
そう思った自分に、わずかな苛立ちが走る。
本当は相談なんてしたくない。
あいつは自分よりずっと後にここへ来て、しかも本来の専門は“法律”──まるで金属とも化学とも無縁の世界だ。
研究室で初めてビーカーを触ったような男が、どうして今では世界最高峰の発明家などと並んで語られるのか。
「……………」
……だが、だからこそ苛立つのだ。
ドヌーヴは、ただの素人上がりではない。
元最高裁判所判事であり、元法学教授であり──今では世界一発明家だ。
法律の世界から突然こっちに飛び込んできて、気づけば発明家として世界一流の評価を受けている。努力だけでは辿りつけない領域に、当然のように立ってしまう天才。
友人だ。
友人で──尊敬している。
それでも、同時に、自分とはライバルの様な存在でもあった。
「……癪だな」
思わず、喉の奥で呟く。
すると──
「──また残業?」
音のない部屋に、声が落ちた。
「……わあっ!」
フラッシュは反射的に背筋を伸ばした。立ち上がった背がさらに2cm伸びた気さえした。
入り口には、コイル。
白衣の下からのぞくスカート、手にはファイル。表情は柔らかいのに、目だけが“いつまでいるの”と訴えていた。
「いや、これはその、残業っていうか……作業確認というか」
「夜中に“作業確認”は、立派な残業よ」
すぐに否定が刺さる。
穏やかに見えて、その言葉には“逃げ道を残さない癖”があるのが彼女だ。
「もう日付変わってるの気づいてる?また研究室に泊まり込みなんて、やめてよね」
「……忙しいのは、研究員にとって、褒め言葉じゃないんですか?」
フラッシュがそう返すと、コイルは一瞬だけまばたきをした。
「忙しさと無茶は別ものよ」
「じゃあ、これは無茶じゃないです」
「じゃあ、残業じゃないって言ってたさっきの発言と矛盾するけど?」
「え、あ、それは……」
言葉のルートが行き止まりにぶつかったような顔になるフラッシュ。
そこで、コイルはふっと笑って言った。
「あいかわらず強引な理屈で逃げるのね」
優しい呆れだった。
フラッシュは、言い返さなかった。
代わりに、小さく息を吸って、視線をお腹に向けた。
「……それはこっちのセリフですよ」
以前よりも──確かに大きくなっていた。コイルのお腹。形として、もう明らかに“命”を抱えている。それを見てしまえば、もう見なかったことにはできなかった。
「こんな時間までいていいんですか……あなたこそ。お腹に赤ちゃんいるんですから。休むのも、仕事のうちですよ」
その言葉に、今度はコイルの動きが止まる。
背筋に、すっと空気が通った。
──これが、彼の“本音”なのだと、すぐにわかる。
「……気遣ってくれて、ありがとう」
コイルはそう言って、少しだけ頬に微笑みを浮かべた。それは“研究者”としての顔ではなく、“母”になろうとしている人間の表情だった。
「……実は今日、病院に行ってて」
言葉の出だしが、いつもよりゆっくりだったのは、たぶん話す内容を選んでいたからだろう。
「朝から定期検診に行って……そのあと一度帰って洗濯物干して……すぐにまた学会の論文添削、夕方にここのミーティング挟んで、それから──」
自分で話していて、スケジュールの密度に少し笑ってしまった。
「気づいたら、もうこんな時間」
「ちょ、ちょっと……!何してるんですか!休んでくださいよ!」
フラッシュは感心というより、驚きに近い声を出した。
ただでさえ忙しいのに、新しい命を抱えているということが不安になった。
「……ドヌーヴは何してるんです?」
言葉が出た瞬間、自分でも“あっ”と思った。けれどもう止まらない。
「日本に帰ってる場合ですか。こっちで奥さんがバタバタしてるってのいうのに──」
「──家をね、探してるのよ」
「………………家?」
「向こうで新しい住まいを探してるの。赤ちゃんが生まれたあと、しばらく日本で暮らすつもりだから」
「……へ、……へぇ」
フラッシュは、思わず口をつぐんだ。
喉元に浮かんできた言葉は、どれも口に出すには幼稚すぎて。
結局、そのまま飲み込んだ。
ドヌーヴは“仕事”をしに行っていると思っていたが、“家族の未来を整えていた”という事実が、あまりにも眩しかった。
「いざというときの支援施設の手配まで……あの人、ちゃんと考えてるのよ。私たちのために」
「……………」
言葉が、また止まる。
今度は、止めたのではなく、出せなかった。
けれど、次の一言は、勝手に口を滑り落ちた。
「……日本、行っちゃうんですね」
少しだけ、声が低かった。抑えているつもりでも、震えが滲んだ。
「ルミライトが完成したら、ね」
さらりと、そう言った。
「でも、子どもが大きくなるまでの間だけよ」
「……そう、ですか……」
“間だけ”──その一言が、やけに遠く聞こえた。
何ヶ月か、何年か。数字では測れない長さを含んだ「間」。それは、彼女の未来から自分が切り離される猶予のようにも感じられた。
「………………」
沈黙が続くのを見かねたように、コイルがぽつりと話を切り出した。
「赤ちゃんの性別が、今日わかったの」
その言葉に、フラッシュはわずかに眉を動かした。声を整える間もなく、口が反応する。
「……どっちだったんですか」
できるだけ平坦に言ったつもりだったのに、自分の耳には、想像以上に震えが混ざって聞こえた。
「──“女の子”、だった」
答えはやけにあっさりと返ってきた。
どこまでも穏やかで、あたたかくて──でも、フラッシュの胸の内では、何かがざらざらと崩れていた。
「…………女の子……」
絞り出したその声は、言葉というより音に近かった。
硬直した顔を無理やり通した、絶望の表情。
返事をするための言葉はいくつも頭に浮かんでいたのに。「おめでとうございます」でも、「よかったですね」でも、あるいは、もっと軽く「かわいい名前を決めなきゃですね」なんて軽口でもよかったのに。
だけど、どれも“おめでとう”に聞こえてしまいそうで──それを自分の口から出すのが、どうしてもできなかった。
だってそれは、彼女の幸せを心から喜べない自分を認めることになるのだから。
(──聞かなきゃ、よかった)
心の奥で、誰かが呟いた。
報告してくれたことが嬉しくないわけじゃない。でも、“彼女の未来”が、いよいよ輪郭を持って迫ってくる──その現実を突きつけられるには、まだ覚悟ができていなかった。
“女の子”というその一言が、まるで自分には絶対に届かない場所で、彼女がちゃんと“家族を作っている”という証明に聞こえた。
だから、もう会話なんて終わらせてしまえばよかった。
けれど、そうしなかった。
いや、できなかった。
このまま黙っていたら、彼女がどこかへ行ってしまう気がした。心じゃなくて、現実として、距離が離れてしまう気がした。
──だから。
「……名前、決まったんですか」
喉の奥から、かすれたような声が出た。
聞きたくなかった。けれど、それ以外に繋げる言葉が、どうしても見つからなかった。
コイルは少し目を細めて、穏やかに笑った。
「まだ正式じゃないけど……“ルミエル”って名前にしようと思うの」
その名前が落ちた瞬間、まるで部屋の中にやわらかい光が差したように感じた。
「『光』……って意味ですか」
訊くつもりはなかったのに、声がまた勝手に漏れた。
「そう。ルミナスより柔らかくて、真っ直ぐで──何より、言葉の響きが“あの人っぽい”気がして」
あの人。──ドヌーヴのことだろう。
“光”の名を娘に。
未来に灯す名を、夫と重ねて。
それは美しい話だった。
眩しすぎて、目を逸らしたくなるほどに。
「……羨ましいですね」
空気が一瞬、止まった。その瞬間、心臓が跳ねる。言葉が先に、感情を追い越した。
「い、いや、今の、あの──」
反射で言葉をつまらせる。舌が自分のものではないみたいだった。
「すみません!なんでもないです。俺──」
「え?」
呼吸が急に狭くなる。言い訳を掴もうとして、全部すり抜けた。
「もう、帰ります。疲れて、頭回ってないみたいで。……その、お身体……気をつけて」
「フラッシュ?……ちょっと……」
それだけ言うと、逃げるように背を向けた。歩き出す足は妙に速くて、早歩きなのか、逃走なのか、自分でも判断できない。
──廊下に出た瞬間。我慢していたものが吹っ切れた。
「……っ……っ……」
音のない世界で、涙がこぼれ落ちたのだ。
声は出なかった。出したくなかった。
泣き声は、誰にも聞かれたくない。だってそれは『敗北』を宣言するようなものなのだから。ただ、ぽた、ぽた、と床に落ちる滴の音だけが自分の足元を、突き刺した。
“光”の話を聞いて涙を流すなんて、滑稽だ。泣く理由を探せばいくらでも言い訳はある。
疲れていたとか、ストレスだとか、めでたくてとか。
──全部違う。
彼女の幸せを祝うはずの心と、祝えなかった自分。
どちらが本物かなんて、今はわからない。
ただひとつ分かるのは──
──どうして、彼女の隣が俺じゃなかったんだろう。
そんな切ない未来だけだ。
呟けば終わってしまう気がして、言葉にはしなかった。でも胸の中では、はっきり形になっていた。
あの頃から届かない光を、まだ追っていたことに、気づいただけだった。