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・・・番外編『初めての時』・・・
夜の街は、雨上がりの匂いがしていた。
ネオンが濡れたアスファルトに反射して、ぼんやり光っている。
ピザ屋の閉店作業を終えたエリオットは、店の前で背伸びをした。
「ふー…今日も疲れた」
バイザーを少し持ち上げて、髪を整える。
その時だった。
「……まだ帰ってなかったのか」
低く落ち着いた声。
振り向くと、そこにはチャンスがいた。
黒いスーツに黒いネクタイ。
相変わらず無駄に整った格好で、壁に寄りかかっている。
「チャンス!」
エリオットの顔がぱっと明るくなる。
「迎えにきてくれたの?」
「まあな」
チャンスは肩をすくめた。
そのままエリオットの前に歩いてくる。
距離が近い。
エリオットは少しだけ首を傾げた。
「ねえチャンス」
「なんだ」
「そのネクタイさ」
指先が、ふと動いた。
黒いネクタイに触れる。
さらっとした布の感触。
なぜか――
ものすごく気になる。
「……?」
チャンスが眉をひそめる。
「おい」
エリオットは考えるより先に、
そのネクタイを軽く引いた。
くいっ。
チャンスの体が少しだけ前に寄る。
距離が、一気に縮まった。
「……」
「……」
二人の顔が近い。
エリオットは一瞬、きょとんとした。
そして、ぽつりと言った。
「……あ」
「何だよ」
チャンスの声は低い。
でも怒ってはいない。
エリオットはネクタイを持ったまま、少し笑った。
「なんか」
「?」
「これ、しっくりくる」
チャンスの眉がぴくっと動く。
「は?」
「いや、なんかさ」
エリオットはネクタイをもう一回くいっと引いた。
また距離が近くなる。
「こうすると」
少しだけ顔を傾けて、チャンスを見る。
青い目がキラキラしている。
「チャンス捕まえた感じする」
「……」
一瞬の沈黙。
それからチャンスがため息をついた。
「お前な」
「うん?」
「普通、人のネクタイ引っ張らねえんだよ」
「そうなの?」
エリオットは本気で驚いた顔をした。
でも手は離さない。
チャンスはしばらく黙っていたが、
ふっと口元だけ笑った。
「……まあいい」
「え?」
「お前なら別に」
そう言って、エリオットの腰を軽く引き寄せる。
今度はチャンスの方が距離を詰めた。
「ただし」
低い声。
「引くなら覚悟しろ」
「覚悟?」
エリオットは首を傾げる。
チャンスはネクタイを握っているエリオットの手を見て、言った。
「それ、俺の弱点になる」
「え」
「つまり」
チャンスの顔が少し近づく。
「お前が引いたら、俺は絶対離れねえ」
エリオットは一瞬ぽかんとした。
それから、にこっと笑った。
「いいじゃん」
またネクタイを引く。
くいっ。
「じゃあ捕まえとく」
チャンスは小さく笑った。
その夜から――
エリオットの「ネクタイの癖」が始まった。
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