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凪は早々に後悔をし始めていた。何でこんなことになったのか……。ホテルの一室で上着をハンガーに掛けている千紘の背中を見ながら盛大な溜息をついた。
「わっ……すっごい溜息」
「溜息つかずにいられるかよ……。とうとう俺も頭がイカレた」
そう言った凪は、腕を目元に押し付けて、腰をズルズルと下に落とす。ギリギリの状態でソファーに座っている凪に近付いた千紘は、「凪上着は?」と尋ねた。
「んー……」
気だるく返事をする凪にふっと微笑んだ千紘は、凪のジャケットに手をかけた。
「ほら、脱いで。掛けてあげる」
「あー……」
自己嫌悪たっぷりの凪は、言い返す気力もなく千紘に手伝われながらジャケットを脱いだ。千紘はそれを丁寧にハンガーに掛けて、クローゼットにしまう。
それから冷蔵庫を開けて、サービスのミネラルウォーターを1本引き抜くと蓋を開けて凪に差し出した。
「とりあえず、落ち着いてみる?」
「……なんでお前の方が冷静なんだよ」
凪は軽く舌打ちをしてそれを受け取ると、ガブッと大きく一口水を喉に流し込んだ。千紘が笑いながら凪の隣に腰掛けると、体重でソファーが沈んだ。
軋んだ音を立てながら、少しだけ凪と千紘の距離が近付く。
「冷静じゃないよー? 今、すっごいドキドキしてる」
そう言って千紘はコテンと軽く凪の肩に頭を預けた。それをじとっと見下ろした凪は「言っとくけど、前みたいな無理矢理はなしだ。絶対に!」と強く言った。
「おっけー、おっけー。わかってる」
軽い返事をする千紘に怪訝な顔をする凪。やっぱり自分の判断は間違っていたかもしれない。そんな後悔でいっぱいになりながらも、もはやこれしか解決策が見つからないと藁にもすがる思いで千紘と合流した自分に嫌気がさした。
凪は目を閉じて過去を振り返る。初めて自分の後口を触りながら射精を経験してから1週間。やはり、キーポイントは『後ろ』だったらしく、凪は既に男としての自信を失いかけていた。
射精できるポイントは抑えたが、挿入するだけで絶頂を迎えられなくなった今、手間が増えたわけだ。更にそれを女性の前でバレずにこなすのは至難の業。
加えて射精をしたとて、今まで感じていた最高の絶頂は味わえなくなっていた。
絶対に思い出したくない。そうは思っていても、何となく思い出すのは千紘のこと。あの時の体の感覚などもう覚えてはいない。しかし、麻薬のように頭がとろけそうなほど快感に溺れたのはあれが初めてだった。
自分が主導権を握って女性とセックスをしていた時には、それなりに気持ちよかったが、『男よりも女の方が感度が良くて数倍気持ちいらしい』そんな話を聞くと羨ましくもあった。
その快感を味わってみたいと思うこともあった。考えてみれば、何度絶頂を迎えても体が反応するあの快感は、女性が感じる男以上の快感に近いのではないか。そんな興味が湧いてしまったのだ。
性への関心が人一倍強い凪。だからこそセラピストをしているのもある。男性を求める女性の気持ちは理解できるつもりだ。そして、女性を求める男性の気持ちはより強く理解できる。
しかし、その女性で満たされなくなったら? 仕事の内はまだよかった。彼女を作らないことは都合がいいし、可愛い客が金を払って会いに来てくれるのだから不自由なんてない。
しかし、本気で恋愛をしようとした時、果たして自分の体は女性で満足できるのだろうか。そう考えたら途端に恐ろしくなった。
ただ、凪にはまだ確認していないことがある。女性とのセックスで射精できないことは実証済。しかし、元凶である千紘とはどうなのか。後口を触れば絶頂を迎えられることはわかったが、もし仮に千紘でもあの時と同じような快感が得られなければ、相手など関係なく自分の体に異常が生じている証拠となると感じた。
以前のようには絶対にいかない。凪にはそんな自信もあった。急にパッタリ女性で射精できなくなくなるなんて、そんなバカな話があってたまるか。
これは体に何か異常が起こってるんだ。決してコイツのせいなんかじゃない。そう思い込もうとしている自分がいた。しかし、それと同時にもし本当にそうだったら、この先もう誰としても満たされないまま一生を遂げるのではないかという恐怖もある。
千紘では反応したくない気持ち半分、あの時の快感への好奇心半分。そんな煮え切らない思いを抱えている時に限って千紘から電話がきたのだ。
「凪に会いたいなぁ……」
甘ったるいようなゆったりとした声が響く。それでいてとても重低音なものだから、たっぷりの砂糖とミルクの中にビターなコーヒー豆でも落としたような気分になる。
「この前会ったばっかだし……」
そう言いつつも、凪は興味の湧いてしまった快感が頭の片隅にチラつく。
「毎日だって会いたいんだよー。会ってギュッてしたい」
「あのなぁ……」
「ギュッってして一緒にいるだけでもいいんだけどなぁ……」
自分が普段女性に言うようなセリフを、まさか一生の内に男から言われることがあるとは思わなかったと凪は冷静に思いながら少し考えた。
「くっついたらお前、止まんなくなるだろ」
「んー? 凪が嫌がることはしないよー」
「散々したろ!」
「あの時はね。あれは、あれ。もうしない。凪のこと大事だから」
さらりと言われると、急に照れる。女性に言われるのとは全く違った。同じようなセリフでも、女性が言うと可愛らしく守ってあげたい気分になった。けれど、こんな低い声で言われても気分はとことん複雑である。
ただ、あの無理矢理がなくなっただけマシなのか……と考えてしまう辺り、千紘を甘やかしてしまっていることは否めなかった。