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「あんまり簡単に大事とか言うなよ。言葉を選ばないと」
凪が息を吐きながら言えば「簡単だよ。本気だから」と返されてしまう。
凪も幾度となく『大切』『大事』という言葉を客に使ってきた。ただ、この言葉は『好き』よりもリスクが少なく都合がいい反面、相手を選ばないと依存され、メンヘラ気質な女性は「大事だって言ったくせに! 全然大事にしてくれないじゃん!」なんて癇癪を起こすこともある。
千紘にも軽はずみで使うな、と言いたかったのだが真面目な口調で言われてしまうと凪の方が調子が狂う。
無理矢理はなし、大事にする、という言葉を鵜呑みにするのはバカげている。そうは思うのだが、それが本当だとするのであれば自分の体に一体なにが起こっているのか確かめられるかもしれない……そんな考えが頭を過ぎった。
「なぁ……」
「んー?」
「俺と密室で2人きりでもガッツかない自信ある?」
「自信? そんなのあるわけないじゃん」
ケタケタ笑う千紘に、凪はなんでこんな質問したんだか……と自分に呆れた。しかし、すぐに千紘が「自信はないけど、凪が嫌がることはしないよ。嫌がったらすぐにやめられる自信はある」と答えたものだから、目を丸くしてパチパチと大きく瞬きをした。
「初めて会った時やめられなかったのに?」
「あれはやめられなかったんじゃなくて、最初からやめる気がなかったのー」
何の悪びれもなく言った千紘に、凪はコノヤロウ……と震える手で拳握った。
「なんでその時と考えが変わったんだよ」
「最初は体だけでもよかったから。1回でも凪のこと抱けるならよかった。それで嫌われてもしょうがないかなって思った。まあ、諦める気はなかったけど」
「なかったのかよ……」
「嫌われても諦める気なかったけど、この前デートしたら、やっぱり嫌われたくないって思ったからもう嫌がることしないって決めた」
「もう既に俺がお前のこと嫌いなのは理解してる?」
「うーん、うん」
「おい」
「してるよ」
ははっと笑いながら言う千紘。本当にわかってんのかなんなのか、と凪は頭を抱える。ただ、初めて会ったあの日よりも本当にほんの少しだけ嫌いが薄れたような気はしていた。
「なぁ、触らせてやるから協力しろって言ったら話に乗る?」
思えば、こんなことを自ら言ってしまったことがそもそも間違いだったのかもしれない。凪は今になってあの言葉を撤回したいと考えていた。
千紘は当然興味津々で「協力ってなにー?」と声を弾ませた。
「あー……やっぱりいい」
嬉しそうな千紘の声を聞いたら、やっぱりこんなヤツと試すのはリスクがデカいと一旦引く。
「なんでよ。言ってごらん?」
「いい……」
凪はスマートフォンを耳に押し当てたまま、左手で目を覆った。こんなこと、誰にも言えない。友人には男に襲われたことも言えないのに、女で射精できなくなったなんて笑われるに決まってるとその選択肢は既にない。
かといって大っぴらになんでも話せる仲の良い女友達もいない。大体異性は恋愛感情を持ってくるから、友達に留まることはほとんどなかった。
同じセラピストになんてもっと言えない。そんなことを言えば、5チャンネルに書き込まれて恰好のネタにされるに決まっている。
誰にも言えないこの悩みを解決させるには、もはや千紘しかいない。ただそれを認めていいのかと最後まで悩んだ。
「触らせてくれるってことは、やっぱり女の子じゃイケないんでしょ」
「……」
凪から言うまでもなく、まるで最初からそうなることがわかっていたかのように自然にそう言った千紘の物言いに凪は絶句した。
そうだった……。コイツ、わざと俺の体をおかしくさせるために女装までして会いにきたんだった。
大事なことを忘れていた、と舌打ちする凪。まるで全て千紘に誘導されているようで嫌になる。それでもずっとこのままってわけにもいかない、と凪は口を開いた。
「全部お前のせいなんだよ。……とりあえず、なんとかしろよ」
「なんとかって、具体的に? 凪はイケる体になりたいの?」
「女でイけるようになりたい」
「それは無理だよ。だって俺、男だもん」
あっけらかんとした千紘に、凪はそりゃそうだ……と肩を落とした。千紘に頼ったところで、元通りになるはずがない。そうわかっているのにもうどうしようもなかった。
「……つーか、どうしたらいいかもうわかんねぇ」
「そっか。じゃあ、とりあえず会おうよ。ね?」
「無理矢理はっ」
「しない、しない。優しくするからさ。凪が嫌ならすぐにやめるから」
「……絶対だからな」
「もちろん」
千紘の言葉を信じたわけじゃない。それなのに、そんな経緯で今は一緒にホテルの一室にいるのだ。
今更後悔しても、きっと千紘は凪を手放さないだろう。凪ももう腹を括るしかないのだとゆっくりと息を吐いた。
「凪、シャワーどうする? 前みたいに一緒に浴びる?」
隣に座った千紘が言う。その瞬間、浴室で拘束された時のことを思い出し、凪はビクリと肩を震わせた。
怯える凪に気付いた千紘は「怖がんなくて大丈夫だって。絶対に酷いことしないから」と顔を近付けて耳元で言った。
これではどちらがセラピストかわかったもんじゃないと凪は思う。
「とりあえず……交互にシャワーで」
そう呟いた。一緒にシャワーを浴びたらあの時の情景が更に蘇りそうで、快感を試すどころか下半身全てが恐怖で縮こまってしまう気がした。
「おっけー。じゃあ、凪先に行ってきなよ」
千紘は、それさえも想像していたかのようにすんなりと頷いた。少し距離をとった千紘から逃げるようにしてそそくさと立ち上がり、凪は脱衣場へ駆け込んだ。
ラブホテルの脱衣場には鍵がない。本来『致す関係』の2人が一緒に利用する場所なのだから鍵など必要ないのだが、前回もこんなふうに先にシャワーを浴びていたところに千紘が入ってきてあっという間に拘束されたのだ。
できれば鍵がほしい。そう思いながら、そういえば初めて出会った時と同じシチュエーションだということに気付いた。これさえも誘導された気がして血の気が引いた。
シャワーを浴びている時にまた乱入され、同じことが繰り返されるんじゃないか。そう考えたら、恐怖に震える。
だ、大丈夫なはず……。無理矢理はしないって言った。今回は触らせてやるって言ってんだ。無理に拘束する必要は向こうにもないはず……。で、でもそもそもそういうプレイが好きだったら? ヤツの性癖に刺さってたとしたら……?
凪は服も脱げずにその場に立ち尽くしていた。サディスティックな性癖を持つ人間は、嫌がる相手を無理矢理服従させることに快感を得る。そんな人間が存在していることも事実だ。
もしも千紘がそういう人間だったら……考えれば考えるほど怖くなる。
ただ、千紘から好意を感じたのも事実だった。多数の女性から好意を寄せられてきた凪にとって、それが本物かどうかは直感的にわかる。千紘の眼差しは恋愛感情によるもの。それはほぼ確信に近い。
嫌われたくない。そう言った言葉もほぼ本音だろうと思えた。
大丈夫……多分。……もしアイツが約束を破ったら……そん時は、写真をばら撒かれるのも覚悟で縁を切ろう。……つーか、警察行こ……。
凪はそう考えながら、服の袖を捲った。