テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
269
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
月曜日の朝が始まった。週末の出来事など思い出す間もないような朝の慌ただしさの中、バタバタとゴミを集め、自分の支度をして朝食を用意する。
やっと起きて来た健治と普段通りの挨拶をし、朝食を胃の中に流し込み、お互いの職場に向かう。
いつもの時間に家を出て電車に乗り、商店街を抜けて、病院の隣にある店舗のシャッターに鍵を差し込んだ。普段と変わらぬ日常が始まる。
さくら薬局と書かれた店舗のシャッターを開け、奥の事務所に行くと、指の指紋認証タイプのタイムカードで出勤を本社に伝える。
メールのチェックを終える頃、出勤してきた里美と「おはようございます」と挨拶をすれば、仕事の顔になる。
薬剤師はミスの許されない職業だ。私も里美も無駄なおしゃべりをすることなく、仕事に取組み、お昼休みを迎えた。
「小松さん、薬を買いたいので確認お願いします」
伝票と薬とお金を並べ、里美に確認を求める。職場で自分の分の薬を買う時は、お互いでチェックし合いミスの無い様に確認のち会計をしている。
里美は、私が購入しようとした低用量ピルを見て、一瞬、顔をゆがめ小さな声で「合っています」と言った。
低用量ピルは、避妊目的だけでなく、月経のコントロールでも処方されている立派な医薬品だ。里美だって承知しているはずなのに……。
そんな里美の様子を見て土曜の夜の記憶がよみがえる。
健治に裏切られ、ぽっかり空いた心の穴にするりと入って来た里美。
女同士の甘い香りに包まれた蠱惑的な夜。知らない感覚に惑わされた。
「先輩」
思考に囚われている私の耳に里美の声がする。
その声に慌てて顔を上げた。
瞳のフォーカスは、里美のプルンと柔らかいピンクの唇に合う。
あの唇とキスをしたんだ。
ピンクの唇が動く。
「先輩」
私は、その唇から目が離せない。
「先輩?」
「あっ、ああ、ごめん、ボーっとしちゃった。薬の確認ありがとう。お昼ご飯食べに行こうか」
「先輩のおごりですか?」
里美に、上目遣いに悪戯な瞳を向けられる。子猫のような瞳は、艶を含んでいるように見え、ドキンと心臓が音を立てる。
「しょうがないなぁ。ご馳走するよ」
自分の中に湧き出た得も言われぬ感情。それを隠すように笑みを浮かべた。
「わたし、|Café des Arcs 《カフェ デ ザーク》がいいなぁ」
「おごりだと思って!」
「ドリンク代は、わたしが出しますよ」
里美が私の腕にするりと腕を絡ませると、柔らかな胸が腕に当たる。咄嗟に腕を引こうとしたけれど、嬉しそうな里美の様子に抵抗をあきらめた。
特別な意味が無くても女同士で腕を組むことなんて、今の時代良くあることだ。でも、特別な関係を持ってしまった今となっては、気恥ずかしさが先に立ち、頬が熱くなる。そんな私に里美はチラリを視線を送り歩き出した。
店舗から徒歩2分ぐらいの所にある|Café des Arcs 《カフェ デ ザーク》は、セミオープンのカフェで新しく出来たタワーマンションの1階の角にある。弓型のアーチをくぐり店内に入ると、ダークブラウンの木目調の家具。センス良く置かれたグリーン、窓も大きく、マンションの提供敷地内に植えられた木々も良い借景となっている。落ち着いた雰囲気で贅沢な空間が演出され、ギャルソンスタイルのイケメン店員さんが笑顔で出迎えてくれた。
窓際の席に通され、里美と向かい合わせに腰を下ろす。
キョロキョロと店内を見回し、里美がコソッと耳打ちした。
「先輩、ここのカフェって、面接厳しそうですね」
そう言って、ふふっと笑う。
確かに、さっき案内してくれた人もカウンターの中の人もフロアの人もみんなアイドルでもやっていけそうなイケメンだ。
「このカフェ、箱推ししても良いぐらい従業員さんのレベルが高いね」
里美と顔を寄せ合いクスクスと笑い合っていると、注文を取りに来た店員さんが、少し不思議そうに「楽しそうですね」と小首を傾げた。
里美がその店員さんに悪戯な瞳を向ける。
「ここの面接って厳しいですか?」
「えっ? 普通ですよ。何でですか?」
「みんなイケメンさんが揃っているね。って、話していたんです」
「イケメンさんって思ってもらえるなんて、ありがとうございます。サービスしますね」
イケメン店員さんは、少しウェーブの掛かった髪を後ろでまとめ、年の頃は20代前半ぐらい。白いシャツに黒いパンツ、黒い長めのエプロン、ギャルソンスタイルがよく似合っていた。白いシャツのポケットの所に刺繍がされていて、MISAKIと書かれている。
『 MISAKI 』その名前に懐かしさが蘇る。高校の同級生だったの三崎くんを思い出したからだ。もちろん、目の前にいるイケメンのMISAKIさんが、同級生などではない事は100%わかっている。でも、どことなく彼を思い出させる面影があった。
高校の頃の思い出なんて、たいしたものじゃない。理系クラスで一緒だった彼のメガネをかけたクールな横顔が綺麗だと思った。そんな彼をコッソリ眺めたぐらいの出来事。アオハルの時代の淡い思い出。
ランチメニュのサーモンとアボガドサンドイッチのセットを注文する。
「先輩、ランチにドリンク付いているので、代わりにデザート頼みますか?」
「そんなに気を使わないでいいよ。土曜日も泊まらせてもらったんだし……」
触れてはいけない話題にふれてハッとし、自分で自分の口を押えた。
二人の間に気まずい沈黙の時間が流れる。
「天使が通った」
突然、里美が口にした。
「え?」
「おしゃべりをしていて、急におしゃべりが途切れた時にフランスでは”天使が通った”って、言うんですって、チョットかわいいですよね」
明るく話す里美だけれど、私に気を使っていることぐらいわかる。色々な事が一度に起こって、どうしたらいいのか分からない。立ち尽くすばかりの自分は、「ごめんね」と心の中で謝る事しかできない。