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コンビニからの帰り道、凪は正面から歩いてきた人物に気付いて足を止めた。
「……凪?」
名前を呼ばれたのも実に久しぶりで、凪はピクリと肩を震わせた。
「え、風夏?」
すんなりと名前が出てきたのにも驚いたが、こんなところで偶然出くわしたことにも目を疑った。
「久しぶりー! わぁ、変わってない! 相変わらずイケメンだねー!」
ぱあっと場が明るくなる。凪が|風夏《ふうか》と呼んだ女性は満面の笑みを向けた。彼女は、7年ほど前に凪が付き合っていた女性だ。
工場勤務となり、淡々と働いていた頃に同じ現場に入社してきた。凪は3年目だったが、彼女は中途採用だった。
同い年だからと凪が仕事を教えることになったのがきっかけで仲良くなり、付き合い始めた。
「とりあえず大学行ったんだけどさ、やりたいこともなくて辞めちゃったの。働く場所なんてどこでもよくて、とりあえずここに」
そう言った彼女は2年後「やっぱりこの仕事は合わないから辞める」と言って退職をした。それがきっかけで休みが合わなくなったり、会う日が減ったりで大きな喧嘩をしたわけでもないが別れるに至った。
「こっちに帰ってきてたんだ」
凪は目を瞬かせた。風夏が県外に行くという話を数年前に聞いたきり、連絡を経っていた。凪にも新しく彼女ができたし、その後セラピストにもなり彼女を作るということすら避けてきた。
だから、風夏に会ったのも不思議な感覚だった。
「そうなの! 私あれからやりたいこと見つかってさ。また大学行き始めたんだ」
風夏は楽しそうにそう言った。出会った頃からよく笑う子だった。特段美人というわけではないが、笑顔は愛嬌があって凪は『笑うと可愛い』と感じていた。
面食いの凪が、初めて容姿以外で選んだ彼女だ。さっぱりとした明るい性格が好きだった。
心揺さぶられるような衝動的な好きという感情はないものの、凪は彼女のことが好きだった。
「また大学行ったの? すげ……」
「うん! 1級建築士目指すの!」
「なにそれ。カッコイイじゃん」
凪は、ふっと自然と笑顔をこぼした。インテリアや家の間取りを見るのが好きだった彼女らしい目標だと思った。
風夏は柔らかく笑うと「難しいけどね。でも来年大学卒業するし、試験受かるように頑張る」と前向きな姿勢を見せた。
「そっか。頑張れよ」
「うん! 凪は? まだあそこで働いてるの?」
風夏にとっては自然な質問だった。けれど、凪は「いや……」と口ごもった。セラピストをしていることを誰かに隠す気はなかった。
誰がどこで何をしようと勝手だと思っていたし、セラピストという職業を恥ずかしいと感じたことはなかった。
だから言ったっていいはずなのに、なぜか風夏には言いたくないと思った。
「今は別のところで働いてるんだけど、ちょっと休んでる」
「休んでる? 休職ってこと?」
「うん、まあ……」
「どっか体調悪いの?」
「いや……。結構根詰めて働いたから、休憩しようかなって思っただけで」
「そっか。凪は昔から努力家だもんね。仕事もいつも真面目だったし、欠勤も遅刻もなかった」
風夏にそう言われれば、一緒に働いていた時のことが蘇ってきた。工場の仕事は特にやりがいもなければ目的もなかったが、風夏と一緒に働くのは楽しかった。
作業中は誰かと話すこともなく淡々と業務をこなすのに、休憩時間になれば和気あいあいと他の作業員と会話をする。
毎日同じことの繰り返しで何のためにこんなことをしているのかと疑問に思う反面、何も考えなくてもいいのは気が楽だった。
もちろん仕事内容は楽ではない。機械を触るのには専門的な知識は必要だし、誰にでもできることではない作業もあった。
それでもセラピストと比較したら、全く違う職種だ。単純に稼げそうだからという理由と、女性に触れるのは嫌いじゃないから。そんな理由でセラピストに転身したが、やりたいことを見つけて一度辞めた大学に再び通う覚悟を決めた風夏を、素直にカッコイイと思った。
「凪は今彼女いないの?」
すぐに去るものかと思いきや、風夏は会話を続けた。凪には特に予定もないし、会話をするのはかまわないがその質問はあまり気持ちのいいものではなかった。
元カノが彼女の有無を聞くのにはどんな意図があるのかと勘ぐってしまう。いたら詮索してくるのか、いなかったら踏み込んでくるのか。
それとも意図などなく、単なる世間話だろうか。
そんなふうに少し考えたが、凪は結局「いないよ」と素直に答えた。
「いないんだ? 凪ってあんまり彼女作らない? 私と付き合う時もいなかった」
「別に。そういうタイミングなだけだろ。風夏は?」
凪はこれ以上踏み込んでこられるのがいやで、質問を返した。特に風夏の恋愛事情に興味があるわけではない。
「私、大学卒業したら結婚するの。同じ大学の子でさ」
風夏は嬉しそうにそう答えた。凪は少し驚いたが、正直安心した。まだ自分に気があったらどうしようかなんて要らぬ心配をしていたのだ。
「へぇ。年下?」
「うん。普通に高卒から上がってきた子だから6個下なんだ」
「おお……現役」
「うん。出会った時18だったもん」
彼女はそう言いながらおかしそうに笑う。年下と付き合うだなんて、不思議なことでもないが大学生と付き合っていると聞けば驚かれるのが一般的だ。
「まあ、当人がよければいいと思う」
「うん。凪ならそういうと思った。昔から歳とか性別とか偏見ないもんね」
「……偏見がないっていうか……あんまり興味ないだけかも」
「そ? ほら、私の親友の麻衣子がレズだって話した時もふーんって驚きもしなかった」
「別に……今の時代普通だろ。周りにもいるし」
凪がそう言うと、無意識に千紘の顔が頭をよぎった。千紘との出会いは最悪だったが、客と美容師として先に出会い、千紘がゲイだったと知ったところできっと驚きはしなかっただろうと思えた。
千紘が凪を好きだということも、男が恋愛対象だということも、なんら問題はない。ただ、与えられた恐怖が全くなくなってしまうことはないというだけだ。
「うん。私、凪のそういうところ好きだった。人を見かけで判断しないところ。ちゃんと中身を見てくれるところとか」
「そんなことない。俺だって見た目で判断することもあるよ」
「そうかなぁ? 凪がよく言う人として好きってやつ、私けっこう好きだったけどね」
凪は風夏にそう言われて、年齢や性別など全く関係なく人間性で好き嫌いを分けていた当時を思い出した。