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イザが世界中から人間を排除して、二十年近くが過ぎた。

その間、基本的に一枚岩である魔族といえども、多少のいざこざはあった。

とはいえ、互いに殺し合うということもなく、まさしく平穏な世の中となっていた。

魔族の本国においても、以前は脅威だった魔物さえ、イザのお陰で力を増した彼らの敵ではなくなった。

人間にも魔物にも脅かされることのない、正真正銘の平和が訪れている。

イザこそが最後の人間であり、ある意味、魔族の脅威ではあった。が、彼女に裏切るつもりなど毛頭ない。

娘のフィリアと日々を過ごし、とても穏やかに暮らしている。

それも、政務は魔族たちが取り仕切っており、イザは魔王とはいえ口を出す気がないからだった。

力のみで魔王となり、その役目を果たした後は、一人の母として生きている。

イザにとってそれこそが、かけがえのない幸せであり、この上なく満たされた時間だった。

ただ、ある日からイザは、魔玉にどれだけ魔力を吸われていようと、男たちを部屋に入れなくなった。


**


フィリアは、未だに母イザと寝室を共にしている。

キングベッドで二人して横になり、ひとしきり見つめ合ってから眠るのだ。

親離れの年など、とうに過ぎ去っているはずだがそうしていた。

イザも拒むでもなく、それを望むならと、十四、五才の姿で留めているフィリアを愛でていた。

そんな夜が、これからもずっと続くのだとフィリアは信じている。

しかし、イザの様子がこの数日おかしい。

それをフィリアは、今夜、我慢出来ずに問うことにした。

「お母様。どうして男たちの精を……魔力を受け入れないの? 調子が良くないの? このままじゃ……」

二人とも横になり、イザがいつも通りフィリアを、少しの間眺めた時のことだった。

フィリアが何か言いたそうにしていると察してはいたが、それがまさか今日の今であるとまでは、思っておらずに少し戸惑った。

イザは一度目を逸らしてから、数秒してまた、フィリアの赤い瞳を見つめた。

「ずっと一緒に居るんだもの。誤魔化せないわよね。……うん。私もね、若いつもりでいたけど、もう年なのかしらね」

はっきりとは、言い出せないことだった。

だからイザは、少しはぐらかすような言い方をした。

フィリアはそれをじれったく思うと共に、嫌な予感が黒いモヤとなって、胸の奥から膨らんで来るのを感じた。

「どういうこと?」

そう聞き返しはしたものの、その答えが良いものではないと、イザの雰囲気から察してしまった。

「受け付けないの。どれだけ精を注がせようと、魔玉が受け付けなくなっちゃった。こんなこと初めてよ」

それが良くないことだと、イザの表情から分かってしまう。

それも、かなり重大なレベルで。

しかしフィリアは、なるべく良い可能性を考えた。もしかすれば、という一縷の望みに賭けて。

「それなら、魔玉が力を失ったんじゃ」

魔玉が力を失っていれば、母は嫌なことをしなくて済む。

フィリアはそうであって欲しいと、たった今の思い付きに縋った。

けれど、心臓がバクバクとうるさく跳ねていて、もうこれは夢であって欲しいと、別の願いを込めてイザの答えを待った。

「ううん。ずっと吸われているわ。魔玉は私の魔力を吸い続けてる」

イザはどこか、諦めたような顔をしている。

けれども、フィリアを慰めるべく微笑んでもいる。

ちぐはぐな表情のはずなのに、どうにもならないほどにそれが一致している。

重大なレベルで、起きて欲しくない嫌なことが起きている。

「……私が魔力を注ぐわ。外からだろうと、私ほどの魔力なら。お母様と同じ波長の、強い魔力を注げば――」

言い切る前からフィリアは飛び起きるようにして、イザのお腹に両手を当てた。

「たぶん無駄よ。なんとなく、分かるの」

イザは拒みはせずとも、それに効果がないと、なぜか確信していた。

「やってみないと! お母様はこういう時だけ諦めるのが早いんだから!」

自分のことになると、途端に諦めがいい。

いつの時も、イザは自分を犠牲にするのを躊躇わない。

それをフィリアは、腹立たしく思っていた。

なぜもっと、自分のために足掻かないのか。

「……入らない。どうして? どれだけ強く流し込んでも……弾かれてしまう」

「言ったでしょう? なんとなく分かる、って」

「そんな……。何か手は無いの? 何かあるはずよ。そうだ、もうお腹から取り出せば」

話しながらも魔力を流し続けていたフィリアは、次の瞬間にはその魔力の形を変え、イザに風穴を開けようとしていた。

「怖いこと言わないでよ。もう、ほとんどの臓器と癒合してるのよ。それはさすがに死んじゃうわ」

イザはただの人間であるから、ほとんどの臓器を失っては、それがほんの一時的なものであっても、その時点で即死してしまう。

特別な体を持つフィリアとは、根本的に違うのだ。

心臓まで根付いた魔玉もろともに――というわけにはいかない。

「それでも……嫌よ。絶対に嫌。何か……何か考えましょう、お母様」

フィリアはそう言いつつも、もはや何も思いつかなかった。

命が繋がっているといっても、不死の恩恵があるのはフィリアだけなのだ。

けれど、魔玉は母イザの力を絶大なものにし、誰の追随も許さないからこそ、そこにリスクなど考えたことがない。

だからこそ、魔玉を取り出そうという発想などしたことがない。

まさか、魔玉そのものが牙を剥くなどと、誰が予想しただろう。

「言ったでしょ。なんとなく分かる、って。寿命なのよ、きっと。私はフィリアと違って、人間だもの。少し早いなとは思うけど、寿命だとしても納得は出来る年よ」

「まだ四十かそこらなのに? 他の人間はもっと長生きしてたじゃない!」

フィリアは母イザの、その諦めの声を、聞きたくなかった。

「短い寿命もあるのよ」

「嫌! 魔玉が無ければ絶対にもっと生きてるはずよ! 魔玉のせいなのに!」

話が逸れてゆく。もっと、魔玉をどうにかすることを考えるべきなのに。

ただ、今すぐには打つ手が思いつかない。

フィリアは気ばかりが焦って、感情的になるしかなかった。

しかし相対するように、母イザは落ち着き払っている。

「これのお陰で、私は仇を討つことが出来た……後悔は無いわ」

「やだ!」

「心の準備をなさい。いつかは来る時が、ちょっと早かったというだけだから」

「いやよ!」

「もう大人でしょう? 母親なんかより、いい人を見つけなさい。そうね、優しくて長生きの人がいいわね」

「やだってば!」

「今すぐに死ぬわけじゃないわ。だから、それまでは甘えてくれてもいいけど」

それでも、母イザが部屋に男を入れなくなってから、すでに数日が過ぎている。

いや、魔玉が精を受け付けなくなってからならば、さらにもう数日だ。

残された時間など、長くとも後一週間ほどしかない。

「お母様……やめてよぉ……」

フィリアは、どうにもならない現実というものを、突き付けられてしまった。

イザだからこそ進んで来られた、現実という名の地獄を。


**


寝室で、今夜も二人のベッドに、並んで横になっている。

フィリアもイザも、お互いの顔をしっかりと見てから眠るようになった。

それは、どうにもならない日々が続いたからだった。

誰がどんなに手を尽くしても、体内の魔玉をどうにも出来なかった。

無慈悲なまでに、イザの魔力を吸い上げ続けている。

その間に、イザはとっくに覚悟を決めてしまっていた。

フィリアに、これまで以上に優しく、そして甘く接した。

良い思い出だけを、抽出するかのように。

イザにとっては、フィリアだけが心残りで、自分のことで思い残すことなど何も無い。

ゆえに、フィリアのことだけを考えていた。

そのフィリアも、母イザに大いに甘えた。

幼児にでも戻ったのかというほどに、食事も入浴も、着替えさえも全て、イザに手伝ってもらった。

だがそれも、ほんの数日のこと。

足掻きに足掻いて、それでもどうにもならずに、諦めた。

諦めきれた訳ではなく、そして受け入れたわけでなく、そうせざるを得ない現実の壁があったのだ。

フィリアの後悔は尽きない。

なぜもっと、最初から魔玉のリスクを考えなかったのか。

なぜもっと、魔玉を取り出せないか、試してこなかったのか。

なぜ、母イザならば何でも出来ると、思い込んでいたのか。

全ては、魔玉によって生まれた自分が、魔玉を信じ過ぎたせいだ。

フィリアは、その責任を今、負っているのだと考えた。

間抜けな自分への、罰なのだと。

そして、その絶望が訪れてしまう前に、せめて最後の思い出が欲しいと願った結果として、母に甘えなおすということに行きついたのだった。

だがそれも、イザがそのように誘導してのこと。

ただ、この夜は、イザの声には別れの色が滲んでいた。

いつもと同じようでいて、しかし、特別な想いを込めた声。

「私は幸せ者ね。フィリアと居られて本当に幸せ」

それにつられるようにして、フィリアも応えた。

母のことを想い、考えるようになっていたことを話すには、今であると。

「私もよ。それでね、私もいつか、そっちに行くから。フラガお父様と待っていて」

フィリアは、イザの想い人をお父様と呼ぶ。

それは生まれた頃からで、イザもそれを気に入っていた。

けれど、イザは魔玉を受け入れた時から、フラガのことは忘れたことにしていたのも事実だった。

もはや自分が死んだ時に、同じ所には行けまいと。

「……ねぇ。私、たくさんの人間を殺したわ。何百万……ううん、もっとかも。魔族にとっては都合の良い駒だったかもしれないけど」

それ以前に、フラガを裏切っている。

復讐を選ばなければ、裏切らずに済んだものを。けれど、力を前にして、復讐せずにはいられなかった。仇を討たずにただ死ぬのは、それも同じになるとイザは思ったのだ。

どちらも裏切りになるならばと、イザは復讐を選んだ。

だから、フラガのことは思い出として割り切っているつもりだった。

ただ、フィリアはそれを汲んで、常日頃から思っていることを伝えた。

「人間は、滅びるべくして滅んだのよ。そのきっかけが、お母様になったというだけ。お母様が思い悩む必要なんてない。それに、駒なんかじゃない。魔族から見れば大英雄よ、お母様」

それは間違いなくひとつの事実であると、フィリアは誇りに思っている。

「英雄? フフッ。初めて聞いた。でも、あなたが言うなら、そうなんだと思うことにする」

「うん。だからきっと、フラガお父様のところに行けるわ」

後ろめたいことなど、あってなるものか。

最愛の人のために、自らの全てを犠牲にした女の想いをふいにするような、そんな父ではない。

フィリアは本気でそう思っていた。

しかも、この世にはもう、父フラガは居なかったのだから。

「あなたがそう言ってくれると、ほんとにそんな気がする。ありがとう、フィリア」

「そうよ。それより私のこと、忘れないでよね」

フィリアは、この間際になって暗い話など続けたくなかった。

それよりも、もっと自分のことを想って欲しいと、最後までワガママを通すつもりだった。

だから、死んでからも忘れずにいて欲しいと、念を押したのだ。

「魔族の寿命ってどのくらいだっけ。千年? それまで私はフラガと二人きりで、たくさんイチャイチャできるわね」

「千年も新婚生活するつもり? 私が行くころには、居場所がなくて邪魔者になっちゃうかしら」

ただのワガママと冗談のつもりが、フィリアもイザも、本当に楽しくなって笑みがこぼれた。

「ふふふっ。そんなことないわ。甘えんぼさんのフィリアを、ずっと待ってるから」

「甘えんぼさん……まあいいわ。うん。イヤだって言っても、一緒に暮らしてもらうから」

「楽しみにしてるわ。フィリア」

「うん。愛してる、お母様」

イザは察していた。

命が尽きることを。

フィリアも同じく、それを察した。

もう数分も、時が残されていないと。

それは、この二人だからこそ感じ合えた。

最後のお別れは、涙ではなく笑顔で迎えたい、とも。

「あなたと一緒に暮らした時間は、夢のように素敵だったわ、フィリア。とても幸せだった」

「わたしもよ。お母様。ほんとに、幸せだった」

お互いに、涙は流すまいと決めているのか、二人は微笑み合っていた。

「良かった。……ちょっと、眠くなってきたわ。おやすみなさい。フィリア」

そう言ってイザが瞳を閉じると、涙がひとしずく零れた。

「おやすみなさい。お母様」

その返事と同時に、小さな呼吸も聞こえなくなった。

フィリアは、それを見届けてから、ぼろぼろと涙を流した。

「……いってらっしゃい。お母様――」

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