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(息、ぐるしい……これ、前にもあった気がする……)
いつだったか、思い出すのも辛くて、思い出したくもないことが頭の中でぐるぐると回っている。今すぐにでもここから脱出しなければ、辛い思い出に押しつぶされそうになるというのに、身体は疲れているからなのか、動いてはくれなかった。自分の身体なのに、鉛のように重くなって、そして意識も――
「……だめ…………だめ、まだ、私は」
何もできていない。このまま沈んでいくのはいけないと心だけは守らなければと思った。何度も、私は思い出そうとするけれど、その旅、思考が真っ黒に塗りつぶされていくような、辛くて、辛くて、息苦しくて。思い出すのもおっくうになってしまう。それが、この空間の悪い点であり、長居するとそういう負の感情に飲み込まれてしまうのだと。わかってはいるけれど、ここまで沈んでしまうと、もう思い出そうにも、藻掻こうにも辛かった。
そうさせているんだっていうことは分かってはいる。わかっているのに、身体はあきらめようとしていたのだ。
(ダメだよ。まだ諦めるわけにはいかないの。だめ、絶対に)
手を伸ばし、必死に息をしようと口を開く。でも口から抜けていくのは酸素ばかりで、このままでは、肺に水が入って死んでしまうかもしれないと、そんな恐怖も襲ってきた。
久しぶりのマイナス思考に、鼻で笑ってしまいそうになったけれど、でも、そんな笑っている場合でも、暇でもないのだ。
アルベドは大丈夫だろうか。私を追って、こんな下まで落ちてきてほしくないと思う。
「……リース、そうだ、リース……が」
あの時は、リースが助けてくれた。
一緒に落ちてくれた。
お前がいないと生きていけないって言って私を抱きしめて、私に手を伸ばしてくれて。リースだって辛くて痛かっただろうに、彼は自分の身体のことは顧みずに……
「だから……」
そう、そんな彼が好きだ。そんな彼が、偽りとはいえ、他の女性に愛を囁いているところなんて見たくないのだ私は。
だから、こうして地獄からよみがえってきたのに、またこんなところで沈んでいていいのかと。そう、自分に問いかける。
ダメ、絶対ダメだと私はいう。私がいうのだから間違っていない。きっと、私のことを知っている、前の世界の人たちはいうだろ。それでいいのかって。沈んでいて、それで苦しい思いも何もしない世界に落ちればって。じゃあ、沈んだら、沈むのであれば、戻ってくる必要なんてなかったんじゃないかって言われてしまう。
私に与えられたチャンスであり、私のリースへの愛を証明するためのこれは、やり直しなのだ。
「負けるわけないでしょうが……負けるわけ、ない。私の愛を見くびらないでほしい!」
誰かが耳元で、諦めれば? もう、きっと好きじゃないよ? 楽になろう? と囁いてくるけれど、そんなまやかしに引っかかるわけがなかった。だって、そんなの誰が言っているんだって話。ちゃんと、可能性があるから、ここに戻ってこれるわけで、背中を押して、女神さまたちが送り届けてくれた。責務というか、責任というか。その他もろもろ。背負っているものは、自分の思いだけじゃないと。
『――巡』
「遥輝?」
けれど、そんな声がぴたりとやんだかと思えば、聞きなれたような声が私の耳に響いてきた。
顔を上げれば、顔のない彼がそこに浮かんでいたのだ。
「遥輝……ううん、違う。これは」
顔が認識できなかった。黒く塗りつぶされているようだった。
ここが、したかも、上かも分からないけれど、でも確かに沈んでいるという感覚と、遥輝らしき存在がいるのが上だということは分かった。いきなり現れた遥輝らしき存在は、だんだんと姿を変え、私の推しの姿へと変わっていく。そう、黄金の彼。
『もう、いいだろう。疲れただろう。俺を思うのをやめてくれ。エトワール』
「それは、私に言ってるの?それとも、エトワール・ヴィアラッテア?」
『お前に決まっているだろう。天馬巡』
「……」
なんでそんな冷たい言い方なんだろうか。
私を落としたいと思っているから、こんな言い方なのだろうか。でも、遥輝の……リースの形をとって、私をいじめることよりも、リースの形をとったまがい物であることが一番腹立たしかった。こんな偽物を作って、こんな偽物でよく私が動揺すると思ったものだと。
だって全然似ていないんだから。
「アンタはリースじゃない」
『お前は、もう休むべきだ。戻ってくるべきじゃなかった』
「リースの形をとらないで不快。リースはね、そんなんじゃないんだから。そんなふうに言わない。私の事……悪く言わない」
『それはどうだろうな。ずっと思っていたが、言わなかっただけかもしれないだろ?ステラ・フィーバス令嬢。俺には婚約者がいる。諦めろ』
「壊れた機械みたいだけど、どうしたの?私を絶望させたいんでしょ?何にしても不快すぎる。早く消えて。私のリースへの思いはそんなんじゃない。そんな言葉で動揺するわけがない」
壊れたレコードのように、何度も何度も言葉を紡ぐ。聞き飽きた、私をいじめる言葉を。
いじめられて、絶望して、諦めて、期待することすら……いろいろ味わってきた私がこれくらいの言葉で動揺するわけがなかった。精度が高い、肉塊だと思っていたが、どうやら違うようで、少しだけ残念な気持ちになったのだ。残念なんて、大げさだし、残念がる必要などどこにもそんな要素ないのだけれど。
ただ、腹立たしいことこの上なくて、今すぐにでも消えてほしかった。
暗闇で、もどきを相手にしていられるほど、私も余裕がないというか、暇もない。上で待っているであろう、アルベドの元に戻らないといけない。私がとった不覚だからこそ、自分で這い上がらないと、彼にい示しがつかない。
「どいて、アンタなんて、リースじゃない。リースを語る資格もないし、私の愛を受け取る資格もないのよ!」
バチバチバチ! と光魔法がスパークする。この場にいるものは、闇魔法の魔物や、それの類だと思ってもいいだろう。だからこそ、光魔法をぶつければ消えると思っていた。それしか、方法が思いつかなかったが、効果はあった。
リースの形をとっていたものは歪み、苦しそうにうめいていた。この調子で上を目指せば、と手を伸ばした瞬間、リースもどきが私の肩を掴んだのだ。
「え……!?」
まさかの反撃にあい、思いっきり掴まれた肩に痛みが走る。どうやら、あちらも闇魔法を使ったようで、耳元で電撃が走るようなスパーク音が走る。
「あああぁああっ」
体内に直接魔法をねじ込まれるような感覚に私は悲鳴を上げるしかなかった。
やはり、ただものではなかったのだ。油断していたせいもあり、また不覚をとったと、自分の甘さに何度だって絶望する。
振り払おうとするけれど、リース本来の力のように力強くて、なかなか振りほどけない、そして、そのまま下へと押し込まれるように沈んでいくから、また息苦しさに肺が軋む。
薙ぎ払うこともできず、かといって、何かつかめるものもない。だから、下へ下へと押し込まれていくしかなかった。このままでは、溺死するのではないか、そんな恐怖も相まって、余計に変な力の入り方をして視界がゆがむ。こんなまがい物に殺されないといけないのか。これより下に落ちたら、リースのことも忘れるんじゃないかって、怖くて仕方がなかった。
(ダメ……もう、本当に……)
そう思って、意識を手放そうとした瞬間、ふいに背後から何かがまがい物の肩を掴んだ。
「聖女に手を出し、皇太子である俺の姿をとるとは……万死に値するぞ、貴様」
「……え?」
耳元で聞こえた声、腰に添えられた手。
忘れもしない、推しの威厳ある、憤怒の声に私は目を見開く。視界の端に映った黄金は確かに彼のものであり、私が大好きでやまなかった推しリース・グリューエンの姿をしていた。