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空色の半狂乱な叫び声は暫く続いた。それが収まった後、俺は看護師たちに死産になったことや空色を緊急入院させると聞いた。
俺が彼女の伴侶ではないと言う事実をもう言えなくなってしまった。誰も俺になんか構ってられないから、ショックで呆然としている空色をベッドごと別室へ移動させていった。
今、他人の俺になにができるかを考えてみたけれど、なにもできることなんかない。
勝手に旦那へ連絡してもいいのかな。落ち着いたら彼女から連絡してもらう方がいいだろうな。こんな大切な話を、第三者の俺から聞かされた旦那の気持ちを想像したら伝えるのは無理やと思ったから。
じっと空を見つめながら処置室の前のソファーに座っていると、今回の件で彼女と同じ様にショックを受けた旦那だと勘違いした看護師に慰めの声をかけてもらった。
「奥様は大変ショックを受けられていらっしゃるようです。個室へ移しましたので、良かったら旦那様がお食事を持っていかれて傍にいてあげて下さい。家族の支えは、なによりの希望になりますから」
「はい……」
いまさら旦那じゃないとは言えず、そのまま俺はトレイを受け取った。こんな時に食事なんかできるわけがない。しかも俺は他人で、なんの役にも立たない存在なのに。
でも、今は旦那が傍にいない。せめてもの慰めの言葉をかけてやれるのは、俺しかいない。受け取ったトレイを持つ手に力を入れ、教えてもらった個室へ向かった。
扉の前に立って俺は悩んだ。声をかけるべきかどうか。声をかけるにしても、どうやって声を掛けたらいいのか。
どんな思いで空色は今この時を過ごしているのだろうかと、考えるだけで胸が痛む。
母を思い出した。絶望を受け止められない彼女は――まずい! 早まって自決を選んだりしたら、遺された家族が悲しむ。誰も喜ばないし、悲しい連鎖が続くだけだ!
俺は静かにノックをして、扉を開いた。辛い過去を経験した俺だからこそ、空色の力になれることがあるはず。
「お食事をいただきましたので、少し召し上がりませんか?」
ベッドの上で死んだ魚ような虚ろな眼をしている空色に声をかけた。生きる希望を失った今、彼女が光を取り戻してくれるだろうか。
とりあえず早く旦那に来てもらえるように、連絡を取るように伝えよう。家族の支えはなによりも大切だ。
「結構です。それより、シルバーのナイフかフォークはそこにありませんか?」
空色は首を振り、恐ろしいことを聞いてきた。凶器になるようなものは渡せない。フォークの存在は隠しておいた方がよさそうや。気が付かれないように回収してスーツのポケットに捩じ込んだ。
「いいえ、ナイフもフォークもありません。今日のメニューはスプーンで食べられるものばかりです」
ベッドの上のテーブルに食事のトレイを置いた。スプーンは使い捨てのプラスチックのものにすり替えておいた。
「食事は欲しくありません。なにも食べる気になれませんから。もう一人にして下さい。迷惑かけてすみません。もう結構なのでお帰りください」
生気も無い状態で淡々と言われた。
人払いしたら死ぬ気や。俺の母もそうだった。絶望に呑まれて、生きる気力を失ってしまった時と全く同じ。
「律さん。命を粗末にしてはいけませんよ。死ぬことを考えるのはよくないです。みんなが悲しみます」
静かに語りかけると空色は俺を見上げ、次第に顔を歪めていった。
「でもっ……でも…………こ、こんな辛いことっ………無理ですっ! もうむりっ………あぁ――――っっ」
崩れ落ちそうな彼女を想わず支え包んだ。
「律さんが死ぬようなことがあれば、私はとても悲しいです。どうか自決だけは考え直していただけませんか」
今は気のすむまで泣いたらいい。俺が傍にいる。
旦那のようにはいかなくても、俺がお前に寄り添いたい。
「お辛いですね。心中お察し致します。私の家族も律さんと同じように辛い目に遭い、それを間近に見ていましたから律さんのお気持ちは痛い程わかります。今は沢山泣いて全部吐き出して下さい。私が受け止めます」
俺が彼女にできることはなんだろう。
そう思った途端、こんな時に歌が溢れてきた。脳内に鳴り響く美しいメロディ―が俺の心を熱くさせる。
本当にどうしようもない根っからの音楽人間なんやな、俺は。
それを思って気づいた。
そうだ。俺が空色にしてやれることは、歌うことじゃないか?
この無機質な白い部屋を見ているだけで、今、届けたい想いが溢れてくる。
彼女は泣いた。ただ、ひたすらに泣いた。
悲しみを受け止めることを赦されたわけじゃない。でも今、この場にいるのはたとえ偶然だとしても、他でもないこの俺だけ。
この空間に存在することを許された俺だけが彼女に寄り添える。慰めてやれる。
彼女の悲しみが少しでも癒えるよう、心から歌おう。
空色だけのために――