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あっという間に馬車は、学術院に着いた。徒歩でも、それほど掛からなかったのだから、無理もない。しかし、アンリエッタは少し残念に思っていた。
初めての馬車だというのに、あまり堪能できなかったからだ。分かったのは、荷馬車や辻馬車と違い、揺れがそこまで酷くなかったことだ。整地された道を、通っているからなのかもしれないが。
もっと上等な馬車だったら、さらに揺れが少ないのかな、と考えたところで、向かい側に座るマーカスを覗き見た。特に反応もない様子から、案外変わらないのかもしれない、と結論付けた。
扉が開いて、マーカスが先に降り、続けてアンリエッタも降りようとした時、手を差し出された。乗る時も、マーカスが手を差し出したので、予想はしていたが、こうしてエスコートされるのは、慣れなかった。
マーカスの手を借りて、降りるだけだというのに、恥ずかしい気分になった。これを貴族令嬢たちは、当然のごとく受け入れているとは、恐れ入ることだ。
馬車のまま門を通り、学術院の建物に直接寄せたため、降りすぐに職員の出迎えを受けた。そして、挨拶もそこそこに、応接室へと案内された。
マーカスは見慣れているのか、アンリエッタだけが校内をちらちら見ながら、職員についていった。
何だか懐かしいな、とそれらを見ながら、前世の学生時代を思い出した。実際は、記憶にある建物よりも、少し豪華な造りで、利便性は悪そうに見えた。それは、応接室までの道のりが厭に長かったからだ。
応接室の中には、男女二名ずついたが、それぞれの年齢と立ち位置で、紹介を受けずとも、だいたい想像が出来た。
「ようやく来てくれたのね、マーカス」
まず先に声をかけてきたのは、マーカスによく似た金髪碧眼の女性。つまり、マーカスの姉であり、『銀竜の乙女』のヒロインでもあるパトリシア・ザヴェルだった。アンリエッタとマーカスの姿を見るや否や、ソファーから立ち上がり、近づいてきた。
「二年もの間連絡もなく、さらに姉を放置するなんて、随分薄情になったんじゃなくて?」
「他に大事な案件があるから来られないと、連絡はしたはずだが」
「ふふっ、それについては聞いているわ。あなたがアンリエッタさん、でしょ? もうお体は大丈夫なの?」
しばらくマーカスと他愛ない雑談をするのだと思っていたため、急に話題を振られて驚いてしまった。さらには、パトリシアの顔が正面を向くと、より顔のパーツが目に入り、姉弟というよりも、双子といっても違和感がないほど、マーカスと似ていた。
『銀竜の乙女』には、そんな描写はなかったが、中性的な容姿のマーカスなら、あり得ないことではないことに気づき、思わずマーカスの顔を見た。
「ようやく外出の許可が、降りたところなんだ。あまり騒ぎ立てるようなことはしないでくれ」
見比べるために向けた視線を、マーカスはアンリエッタが緊張して、助け船を求めたのだと捉えたらしい。
「そうだったの。ごめんなさい、無神経な振る舞いをしてしまって」
「いえ、ちょっと驚いただけなので、気にしないで下さい。改めまして、アンリエッタ・イズルと言います」
そう言って、アンリエッタは深くお辞儀をした。パトリシアはスカートの裾を摘まんで、それに答えた。
「パトリシア・ザヴェルよ。できれば、そんなに畏まらないでもらえると嬉しいわ」
「それは……」
いくらなんでも無理だと、困惑していたが、パトリシアは逆に可笑しそうな態度だった。それが嫌みに思えないのは、向けられているのがアンリエッタではなかったからだ。
「あなたがその態度のままだと、マーカスが露骨に空気を悪くするのよ。だから」
言われたままに、視線を横へと移動させた。パトリシアの言う通り、不機嫌な空気を撒き散らしていたマーカスは、アンリエッタの視線に気づくと、笑って見せた。まるで、彼女を安心させるかのように。しかし、アンリエッタにとっては、逆効果だった。
もしかして、挨拶一つで機嫌が悪くなったの? 身分が違うんだから、仕方がないじゃない。
「そ、そうですね。分かりました。けど、敬語は許して下さい」
「う~ん。そうね、それくらいは許してあげたら、マーカス」
「俺は何も言っていないが」
態度に出ていたでしょうが!
思わずアンリエッタとパトリシアは、同じ表情になった。それに気づき、お互い顔を向き合わせる。
――大変だったでしょう。
――はい、大変でした。
その瞬間、二人は表情だけで会話をした。
しれっとした態度のマーカスを余所に、パトリシアはアンリエッタの手を取り、ソファーへと誘導した。そして、自分の隣に座らせようとしたが、マーカスにアンリエッタを取られてしまい、叶わなかった。
「それくらい、譲ってくれもいいのに」
「ダメだ。さっきも言ったように、本調子じゃないんだ」
いや、体調は全快だよ。それに、恥ずかしいから、平然と人前でこんなことやらないでほしい。
けれどアンリエッタは、マーカスに手と腰を掴まれてしまい、パトリシアの向かい側のソファーに座らされた。良く見ると、もう一つの席に、年配の男性の姿があった。学術院の教授か何かだと思ったが、院長と紹介を受けた。
「院長先生には、ご助言をいただきたくて、呼んでもらったの」
「そうか。こっちも新しい情報を持ってきたところだから、ちょうど良い」
「それは何でしょうか。パトリシア嬢に呼ばれて来たものの、何の話し合いなのか、検討もつかないのですよ」
マーカスが給仕をしていた、室内にいるもう一人の女性に目線を動かした。それにすぐさま反応した院長が、手を上げて下がるよう女性に合図をした。
「院長の出身は、やはりソマイアですか?」
扉が閉まるのを確認してから、マーカスは話を切り出した。
「えぇ、学問一筋の人間なので。お二人は勿論、マーシェルの出身でしたね。そして、アンリエッタさんも」
「……はい」
院長とは、今日が初対面だったが、拉致事件の救出の際、力添えがあったと聞いていた。それ故、少なからず、私のことを調べたか、誰かから情報を聞いたりしたのだろう。
知らないところで、知らない人が、私を知っている、というのを、目の当たりにされるのは、前世を含めて、なかなか慣れないことだった。
そんな気持ちが声に出ていたのか、マーカスが手を重ねてきた。だから、人前でこういうことは、と思ったが、今回は少しだけ気持ちが軽くなった。なんて現金なんだろうか。
「そのマーシェルには、銀竜に関する伝承があるんです」
「ほう、銀竜ですか。ソマイアにも、伝承というほどのものはないが、それに関するものはありますよ」
生贄の話になる前に、院長が、年配者にはよくある、自分の知識を披露したい行動に出てしまった。けれど、パトリシアもマーカスも、困った表情になるどころか、興味津々の目つきで院長を見た。
「是非、お聞かせ願えないでしょうか」
「いいですよ。ちょうど、大魔術師様も関わっている話なので、戻ってこられたら、より詳しく分かるのではないでしょうか」
院長の口から、予想外の人物の名前が出てきて、三人は困惑した。アンリエッタはお騒がせ人間だと思い、マーカスはまたあいつかと、そしてパトリシアは頭が痛くなるのを感じた。
「あの……大魔術師様って、私を召還した方だと、窺ったのですが……」
「えぇ、そうですよ。しかし、大魔術師様は五百年前からこの時代に来ているので、実際には関わってはいないでしょうが、何かしらのご助言は頂けるのではないでしょうか」
パトリシアの反応を見るに、ユルーゲルが五百年前からやってきた事実に驚いていない様子から、説明を受けていたことが示唆された。
まぁ、私と同じ被害者なのだから、知る権利はあるよね。
「魔塔へ行く前に、銀竜について話したが、何か引っ掛かる程度の反応をしただけで、有益な情報は得られなかったが」
「それは、当の本人ではなかったからでしょう。仮にご自身のことを調べていたとしても、些細な出来事まで知ることは不可能ですよ」
「どういうことだ?」
身を乗り出すかのように尋ねるマーカスの言葉は、同じ表情をしているアンリエッタとパトリシアの言葉でもあった。
「銀竜が現在いる場所は、ご存じですか?」
「マーシェルにある、ガザルド山脈の洞窟にいる。実際に行って、会ってきた」
当然の如く、パトリシアは驚いていた。ある程度予想はしていても、本人の言葉として聞くのとでは、受ける印象は違うもの。
私がパトリシアの立場だったら、怒っているところだった。当事者ではないのだから、危険なことをしないでほしい、と。だから、パトリシアは何も言わず、我慢していた。怒る場所は、ここではないと察していたから。
「そうでしたか。ならば、我がソマイアに近いのは、ご理解いただけるかと。それ故に、銀竜の出現はソマイア側にも、随分と伝わっていたようです。特に国境に面している地域は、脅威と察し、大魔術師様に救いを求めました。当時もここを治めていたのは伯爵家であり、大魔術師の称号を得ていた人物が、ユルーゲル・レニン様でしたので、当然のことでした。しかし、どういう訳か、銀竜の出現後から、大魔術師様は姿を消したそうです」
「逃げた、ということですか」
生贄のことは、飽く迄もパトリシアとマーカスのこと故、今まで発言を控えていたアンリエッタだったが、思わず尋ねた。
「そうですね。本来なら、戦わずして逃げた、と捉えるでしょうが、我々学者は別の解釈をしました」
「まさか、何かやらかしたから逃げた、と?」
「えぇ、その通りです。アンリエッタさんも被害に遭われたからこそ、ご理解いただけるでしょうが、ユルーゲル様の過去の功績は、素晴らしいものから酷いものまで、半々なのです。ですから、もしかしたら、銀竜の件も関わっていたのではないか、と我々学者一同は、そう考えているのです」
なるほど、過去のユルーゲルの研究成果にわざわざ、姿を消したことまでは、記載する必要はない。けれど、地域の言い伝えなどで、ユルーゲルの痕跡を調べる物好きが、過去にはいたのだろう。
それが巡り巡って、こんな結果を生み出すとは。恐らく、憶測ではなく、決定事項だろう。
パトリシアの召喚自体が、それを物語っていた。私には魔法陣の起動が目的と言い、何が起こるのか試したかっただけ、というはた迷惑な理由を、マーカスから聞いた時は、頭のネジが一つ飛んでいる奴なんだと、思った。だから、それくらいやっていても、可笑しくない相手だった。
「過去でも現在でも、好き放題なんですね」
「やっぱり、殴っておけば良かったな」
「マーカス、気持ちは分かるけど、二,三発くらいで我慢してね。その後も色々と、使いどころがあるんだから」
あら、ちょっと言葉が悪かったかな、パトリシアと院長が、驚いた顔をしている。
「大丈夫。手加減はするから」
そんな二人のことなどお構いなしに、アンリエッタとマーカスはお互い、黒く微笑み合った。
「アンリエッタさんが、マーカスを気に入った理由が、何となく分かったわ」
「えっ、そっちですか⁉ あ、あの、何か誤解を……」
「その話は、後々ね」
慌てて言い訳をしようとしたが、パトリシアに可愛くウィンクされ、さらに弁解の席を設けてくれるというので、ここは大人しく引き下がることにした。
「院長先生。裏付けは後ほどしますが、つまり銀竜を呼び出したのは、ユルーゲル様ということですか?」
「恐らくは。けれど、今現在ここにいるユルーゲル様、ということではありませんよ」
「勿論、分かっています。しかし、私にとって銀竜は、忌むべきものですから、ユルーゲル様を前にしたら、感情がついていけるかまでは、分かりません」
“忌むべきもの”パトリシアの言葉に、院長も察したのか、ゆっくりと穏やかな口調で聞いた。
「どうやら、それが本題のようですね。お聞かせ願いますか」
「はい。銀竜がマーシェルにいることで、ある伝承が出来てしまったんです。それが何故発生したのか、いつから起こったのかまでは、突き止められませんでしたが、銀竜が出現してから、確実に数十回は起きています。……生贄が、銀竜に……捧げられているという、事実が」
パトリシアは俯き、手を強く握り締めた。
「マーシェルでは、そのようなことが起きていたとは」
「ソマイアには、伝わっていないのでしょうか」
「私の記憶ではないと思いますが、調べてみましょう」
銀竜がいるのはマーシェルだが、位置的にソマイアにも近い。しかし、ソマイアに伝わっていない、ということは、ソマイア側から生贄が出ていないということになる。
『銀竜の乙女』では、銀竜の力が弱まると、生贄を自動的に選別している、と書かれていた。だから、生贄の発生間隔は、まちまちになっているのだとか。それ故、前回と今回とでは、間隔に差があり過ぎて、ザヴェル家でも対処に困ったそうだ。
それにしても、何故マーシェル限定で、生贄が選ばれるのだろうか。
「お願いします」
「魔塔でも、調べてくれると言っていた」
「そう、何か妙案になることが分かれば良いけど」
院長は敢えて、誰が生贄に選ばれてしまったのか、までは言及しなかった。パトリシアの反応を見れば、言わずとも察せたのもあったからだろう。
「そういえば、マーカス殿。新しい情報を持ってきた、と仰っていましたね。それは何でしょうか」
「あぁ、そうだった。まだ確証はない話なんだが、何故パトリシアが呼び出されたのか、その原因が分かった」
「それはまた、確証がなくとも、興味深い話ですね」
マーカスの言葉に反応を示したのは、当事者であるパトリシアよりも、院長の方が大きかった。思わず、学者としての顔が、出てしまったのだろう。
それに構うことなく、マーカスは懐から巾着を取り出し、中から銀色の鱗を手のひらに乗せた。
「パトリシアを呼び出した魔法陣に、供給していた別の魔法陣から、銀色の光が直前に出たことは、知っていると思うが、恐らくこれが原因だろう」
「お借りしても?」
マーカスは頷き、鱗を院長へと差し出した。
「これは鱗ですね。もしや、銀竜のですか?」
「あぁ。ある取引で、貰い受けた」
「それは?」
今度は首を縦には振らなかった。私としては、ここで言ってしまっても、大丈夫なのだが、マーカスはそうしなかった。
「済まないが、個人的なものだから、言うつもりはない」
「そうでしたか。しかし、鱗に魔法陣が反応をするとは、思えませんが」
「けれど、マーカスが魔法陣に踏み込むまでは、そういった反応はありませんでした。だから、可能性としては、大いにあると思うんです」
院長はマーカスに鱗を返し、なるほど、と頷いた。
「そうですね。結果論としても、説得力はあります。それならば、アンリエッタさんの神聖力は、どうでしょうか」
「え? ……私の、ですか?」
「えぇ。鱗が魔法陣に反応したのであれば、それまでに蓄積していた神聖力にも、反応したという可能性も、否定できないのではないでしょうか」
つまり、鱗が反応したのは、魔法陣か神聖力か。そのどちらにでもある、と院長は言っているのだ。予想だにしなかったことに、言葉が出なかった。しかし、動揺したのは、私だけではなかった。
「それは、アンリエッタさんの力にも、鱗が反応したことですよね。それは、どういう――……」
ことなのでしょうか、とパトリシアが院長に答えを求めようとした時、マーカスが突然立ち上がった。音を立ててまでして。
「済まないが、ここまでにしてくれないか」
「マーカス。私は大丈夫だから」
座って、とマーカスの腕を引っ張った。今更、自分と銀竜が、関わっているかもしれないことを、言われたとしても、大丈夫だからと、笑って見せたつもりだった。
「そう見えないから、言ったんだ」
アンリエッタの頬に触れながら、マーカスはゆっくりと隣に座り直した。その手から逃れる様に俯き、両手で顔を覆った。
しっかりしろ。銀竜が私を呼んでいるんだから、こんなの想定内じゃないか。平気平気。全然大丈夫だって。
そう言い聞かせた後に、再びマーカスの方を向いた。
「平気だって、私も言ったじゃない。だから……」
「いえ、この話はここまでにしましょう。アンリエッタさんも本調子ではないのですから、無理をすることはありませんよ」
「ここは、言うことを聞いてくれ」
院長にまで言われてしまうと、反対することは出来ず、マーカスの言う通りに頷くしかなかった。
***
「言い忘れていたわ。院長先生、図書館への出入りを許可願えないでしょうか」
応接室から院長が出て行ことした時、パトリシアが声を掛けて呼び止めた。
「南館は、一般でも使えますので、ご自由にどうぞ」
「北館までは、やはりダメでしょうか」
「そうですね。……では、こうしましょうか。必ずそこの護衛の方も、ご一緒であれば、構いませんよ」
入ってきた時から、ずっとパトリシアの後ろで待機していた男性に、目を向けた。学術院側付けてくれた護衛なのか、はたまたマーカスが言っていた、侯爵家から来た護衛のどちらかなのだろうか。
「ありがとうございます」
「それでは、私はこれで」
そう言って、院長は会釈をして出て行った。
「護衛の方だったんですか」
「えぇ、実家からマーカスが呼んでくれたのよ。アンリエッタさんにも、付けるとか言っていたけど……」
どうしたの、とでも言うように、パトリシアはマーカスに目を向けた。そうだ。すでにパトリシア側にいるのなら、こっちにいても可笑しくはなかった。
「勿論いるさ。だが、終始傍に居させるようなことを、俺が許可すると思うか」
「マーカス様。それが護衛というものですよ」
「そうよ」
隣にいるマーカスを、チラッと覗き見した。不満げな表情から、遠くから護衛すると言っていた言葉が、私のためのものではないことに、気がついた。けれど、念のため、フォローにもなると思い聞いてみた。
「私が負担になると思ったから、そうしたの、よね?」
「後付けだと、言ったら?」
「う~ん。私も傍にずっといられたら困るから、結果としては良いと思うけど」
私の返答は、マーカスを満足させるものだったらしい。パトリシアたちに向けて、満面の笑みを見せていた。そして私は、パトリシアから意味ありげな目で、見つめられることになった。
なんだろう……。