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何故、お兄さんがこれを持ってきたのか、ちょっとわかる気がする。
夏菜と並んでカンフー映画を見ながら有生はそう思っていた。
強敵と書いて『とも』と呼ぶようなその映画を見て、夏菜は感動に涙をこらえている。
……これ、泣くような話だろうかな? と、ちょっと唐突な感じのするストーリーに思いながらも、夏菜のその涙をこらえる姿が愛らしく。
そして、その感動的な物語のせいか、夏菜との距離を詰めてみても、夏菜は逃げなかった。
なんとなく信頼できる誰かと見たい感じの映画だったからだろう。
肩が触れるくらいの位置まで来てみたが、夏菜は逃げない。
ありがとうっ、お兄さんっ。
いや、お兄様と呼ばせてくださいっ、と思いながら、一緒に見ているうちに、自分もハマって見ていた。
「いや、終わり方は唐突だったが、いい映画だったな」
突然、終劇と出て、なんの後日談も余韻もなく、戦いの決着がついたら終わりだったのにビックリだが、いい映画だった、と思いながら、夏菜に言うと、
「はいっ。
久しぶりに見ましたけど、よかったですっ。
小さな頃、道場の人が見せてくれたとき以来なんですよ。
古い映画らしいので、DVDとかないかと思ってました」
「そうか、よかったな」
と有生は、ぽん、と夏菜の両肩に手を置いてみた。
共にいい映画に涙し、心の距離は縮まった気はするが、映画が映画だけに、此処からいい雰囲気に持ち込むのは難しいぞ、と思いながら。
だが、夏菜はあまり恋愛映画とか見そうにないし。
自分もSFとかの方が好きだ。
しかし、もう時間がない。
このままなんとかラブラブな方向に、と思いながら、夏菜を引き寄せようとしたが、夏菜は素早くその気配を察し、有生の腕をつかもうとした。
させるかっ、と有生は腕をひねりあげられる前に、飛んで逃げる。
「やりますね、社長っ」
と構えたまま言う夏菜はなんだか嬉しそうだ。
夏菜に尊敬のまなざしで見られて嬉しいような。
方向性がおかしいような……。
そのとき、壁のシンプルな木の丸時計が12時をさしたのが見えた。
もうすぐ道場に戻らねばっ、と有生はシンデレラのような気持ちで思いながら、一歩前に出る。
夏菜に向かい、手を伸ばしたが、夏菜は軽く腕で止めてきた。
間を置かずに、素早く反対の手を夏菜の肩めがけて繰り出すが。
あっという間に腕をつかまれ、くるっと向きを変えた夏菜に一本背負いをかけられそうになる。
「させるかっ!」
とまた飛んで逃げた。
「やりますね、社長っ」
と笑う夏菜の顔を見ながら、有生は心の中で叫んでいた。
カンフー映画を見たせいで、技のキレが良くなってるではないですかっ、お兄様ーっ!
このままでは埒が明かない。
有生は戦う意思のないことを示すために、だらんと手を下ろした。
そういうアクションをすると、かえって戦闘中っぽくなるな、と思いながら。
だが、夏菜はそれを見て構えを解いた。
「……夏菜。
俺は戦いを挑んでいるわけじゃない」
と言うと、夏菜は、
えっ?
じゃあ、なにをするんですか?
という顔をする。
頭が戦闘モードから切り替わらないようだ。
有生は夏菜の心に訴えかけるように言った。
「夏菜。
俺たちはラブラブになるために此処に来たんじゃないのかっ」
えっ?
そっ、そうかもしれませんけどっ、と夏菜は惑う。
「ど、どうしたら、ラブラブになれるのかわかりませんしっ。
っていうか、ラブラブかどうかは心の問題じゃないですかっ。
なにもしなくても、愛があればラブラブですっ」
ととりあえず、今、なにもされたくないらしい夏菜は真っ赤になって主張してきた。
だが、そこでひとつ疑問に思った有生は、夏菜の顔を見つめ、訊いてみた。
「……愛があるのか?」
改めて問い返され、夏菜は、んっ? という顔をする。
「え、えーと。
今のはただの言葉のあやです……」
と小さく言って、ちょっと照れた。
照れる顔も可愛いじゃないかっ。
最初はなんて女子力の低い女だ。
指月の方が絶対、女子力高いし。
下手したら、上林さんか銀次の方が気が利いていて、女子力高いと思っていたのだが。
そんな顔をすると、どきどきしてしまうくらい可愛いじゃないかっ。
そんなことを思いながら、有生は言った。
「わかった。
今週はキスまででいい。
そうお前のジイさんにも報告しよう」
いや、よく考えたら、キスは前にしているから、なにも進展していないことになるのだが。
後退しなかっただけマシかと思ったとき、夏菜が言ってきた。
「わ、わざわざ報告するの、どうかと思いますけど」
赤くなった夏菜の心は少しカンフーから遠ざかっているようだった。
一歩近づいてみる。
心がカンフーでない夏菜の反応が遅れた。
反撃される恐れがあるので、肩には触れずに身を乗り出し、唇だけ触れて、キスをした。
離れがたいが、攻撃を受ける前に逃げる。
攻撃、退却、攻撃だ、と自らに言い聞かせながら、有生は充分な間合いをとってから言った。
「隙ありだな」
「な、なにが隙ありなんですかっ」
と夏菜はまた赤くなる。
何処にも隙なんてありませんよっ、と叫ぶ姿も愛らしい。
認めよう、と有生は思った。
いつの間にか俺は、恋に落ちていたようだ。
何処から?
と問われてもわからないが――。
何故なら、今思い返してみても、すでに記憶はすべて塗り替えられ、
「お命ちょうだい致します~っ」
とばかりに突っ込んできた夏菜も可愛くて仕方ないと思えてしまうからだ。
攻撃、退却、攻撃……と有生はまだ口の中で繰り返していた。
こうして少しずつ慣らしていけばいいか。
……少しずつって。
やっぱり、猛獣を手懐けてるみたいだな。
そう思いながら。
「なにしに戻ってきた」
夕方、道場に戻った有生はちょうど加藤とともに庭に出ていた頼久にそう言われた。
えっ?
貴方が週末だけ行ってこいって言ったんですよ、と思う有生に、くるりと背を向けながら、頼久は、
「ちょっと来なさい」
と言う。
そのまま、例の奥の間に連れて行かれた。
入って座るなり、
「お前、夏菜になにもしなかったろう」
と言われる。
「い、いや、キスはしましたよ」
と弁解のように言ってみたが、
「進歩しておらんではないかっ」
と叱られる。
……前回はキスして褒められたんですけどね。
っていうか、何故わかったんです、と思っていると、頼久はチラとこちらを見て言ってきた。
「夏菜はまだお前と微妙に距離をとっている。
まだなにもなく、相手を警戒している状態だ」
格闘家らしく、間合いで人間関係を分析できるらしい。
「でもあのー、ちょっぴり愛はあるらしいですよ」
「莫迦者。
そんなことはわかっておる。
そうでなければ、お前に夏菜をどうにかしろとは言わんわ」
と言ったあとで、頼久は自分の顔を見、
「……照れるな、そこで」
と言ってきた。
土曜の朝送り出すときは、そんな風に言いながらも、嫁入り前の娘を男の許にやるのは……という祖父らしい顔を覗かせていた頼久だったが。
今は、なにも進展しなかったことにイラついているのか。
ええいっ。
何故、さっさとやらぬのだっ、という顔をしている。
正座したまま、ずい、と前に出てきて頼久は言った。
「いいか。
女というものはな、放っておいたら、どんどん強くなるものなのだ。
うちの妻もそうだ。
昔は可愛らしかったから、私がなかなか手を出さないでいるうちに、どんどん気が強くなり、格闘家としても強くなって。
結婚に持ち込むのが大変だったのだ」
娘の結婚で大変だった以前に自分も強い女に手を焼いていたようだ。
「妻は、この道場に護身術を習いに通ってきていた元武家の娘なんだが。
最初は可憐な感じだったのに、いつの間にか私より強くなっていて、
……今も強い」
えっ?
ご存命だったんですか。
見たことないんですけどっ、と思ったのが顔に出たようで、頼久は渋い顔をし、
「莫迦め。
生きておるわ。
今も何処かにいる」
と言う。
何処かに!? と思わず、有生は天井を見上げた。
天井裏とかに潜んでそうだと思ったからだ。
有生の視線を追った頼久は、
「そういう意味ではない。
常にフラフラしていて、私も行方を知らんのだ」
と言う。
「そ、そうなんですか。
ぜひ、ご挨拶をと思ったんですが」
「諦めろ。
あれを探し出すことは私にも不可能だ」
行方は追えん、と頼久は言う。
「自分の気が向いたときだけ帰ってくるのだ」
……この家の人間は、どうなってるんですかね、と有生は思っていた。
夏菜の両親といい、みな所在がつかめない。
もしや、もっとも偉そうなこの人が、家族間では一番の下っ端で、すべての用事を任され、此処から動けないのでは? と疑ってしまう。
「夏菜を呼びなさい」
と頼久が後ろに控えていた加藤に言った。
加藤は、はい、と出ていく。
すぐに夏菜がやってきた。
最初の頃は、自分が此処に呼ばれるたび、不安がって覗いてくれていた夏菜だが。
もう自分と祖父との間に遠慮がなくなってきているのを見て心配していないのか、そのようなこともないようだった。
いや、遠慮は少しなくなったかもしれないが、緊張が走ってるんだが……と思う有生の前で、頼久が夏菜に訊いた。
「週末はどうだった。
なにも困ったことはなかったか?」
「はい。
社長がよくしてくださったので、とても楽しかったです」
と夏菜が笑顔で答える。
「それはよかった。
……ほんとうになにも困ったことはなかったんだな。
ほんとうに……なにもなかったんだな?」
と微妙に言葉を変えながら、頼久が確認しようとする。
さすがの夏菜もなにかを感じ取ったらしく、はい、と笑顔で言ったあと、余計なフォローを入れてくれた。
「なにもなく楽しかったです。
社長はとても紳士でしたし」
と夏菜が言った次の瞬間、
だから、紳士になるなっ!
とすごい目で頼久に睨まれる。
後ろから、
「……お赤飯炊いといたんですけどね~」
と加藤が不思議なことを呟くのが聞こえてきた。