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「永野 柚芽」それが、私の名前。
火事で、何もかも失った、受験前の中学生。
そして今、私は、如月孤児院の受付前にいる。
「あら、新しい子ね。はじめまして。受付担当の、渡部と言います。」
渡部さん、と心で唱えながら、ぺこ…と軽いお辞儀を返す。私はここで、口数少ない大人しい女子を演じるんだ。
「院長から聞いているわ。火事ですってね…。それにしたって、あなたの親戚さんもいるだろうに、1人でここまで来たの?」
こくり…と、再び無言で相槌を打つ。
私には、賑やかな家族がいた。祖父母や、従兄弟たちも合わせれば、相当な大家族になる。
私の家は四人家族だった。弟がいた。3歳、年下の。母とよく一緒にいる子で、生意気な部分もあるけれど、優しかった。喧嘩ふっかけてくる割に、私の体調が悪い時は静かに見守るし、時々、「大丈夫…?」と声をかけてくる時もある。…生意気だけど、そういうところがあるからこそ、憎めない。母は、正直、こわい時がある。いろんな意味で。いい意味の怖いもあるし、そのままの怖いもある。でも、母の手に触れると、すごく優しい気持ちになる。優しくて、暖かくて…、大好きだった。実際、母は昔から優しかった。父は、温厚な方だった気がする。みんなから聞く”お父さん”は、すぐにキレて、物を取り上げて、手を出す人もいた。でも、私の父は、そんなことを一度だってしたことはない。悪いことをすれば、その時は叱ってくれる。でも母に注意されると弱くて、私にも気持ちは分からなくもない。
そんな、自慢の家族が、火事で、いなくなった。
旅館に泊まってたんだ。下で、タバコを複数人で吸う観光客が見えた。その1人が、タバコを庭に捨てて。気づいたら、視界は真っ赤に染まっていた。………そう、大変だったわね、と渡部さんの声がした。貴女に話したわけでもないのに。
思い出しただけで色々な感情がめちゃくちゃになる。ギリッ、と握り込んだ拳が音を立てる。爪が食い込んで、痛い。
ペラっと音がして、1枚の書類をこちらに向けて、はいっ、と鉛筆と消しゴムを渡してきた。
「ここに名前と、ふりがなもふってね。名前は、今の名前じゃダメよ。自分で考えて、新しい名前にしてね。過去の自分を捨てて、新しい自分になるのよ。」
新しい、名前?それなら、もうとっくに決めてある。最初からそうするつもりだったんだから。私は、一言も発することなく、受付を終えた。
私は、「永野 柚芽」
新しい自分の道を歩く。
「永野 柚芽さん、ね。綺麗な名前ねぇ。その場で思いついたとは思えないくらい。」
それはそうだろう。今考えついたわけではないのだから。
「それじゃあ、、あら?そのペンダント、可愛いわね。どこで買ってきたの?」
これは、無理やり話させようとしているのか。
「分かりません。祖母にもらった物なので。」
できるだけ小さく、必要最低限の声を出した。そして受付の人は、(にこり、を少し通り過ぎた)にんまり、と笑った。
もういいや、と思った。早く、施設の中へ入ってしまいたい。もうあの頃から会話するのでさえ面倒で、疲れてくる。
「ようこそ、柚芽さん。如月孤児院へ。」
ギィィと重くて古い音を立てながら、私はやっと、一歩踏み込んだ。
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