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朝。
カーテンの隙間から、やわらかい陽が差し込む。
ベッドの上。
掛け布団の端を握りしめたまま、元貴は藤沢の腕の中でまだ眠っていた。
髪は少し乱れていて、睫毛には昨夜の名残りがわずかに残っている。
「……寝たふりしてる?」
低く柔らかい声が、耳の後ろで囁かれた。
「……起きてないからね」
少し拗ねたように、元貴がぼそりと答える。
「ふうん。じゃあ……このまま、もう少し甘えてくれる?」
藤沢はそう言って、元貴の頭をそっと撫でる。
その手つきは、まるで壊れ物を扱うような優しさだった。
「……なんか、涼ちゃんってさ、夜と朝でキャラ違くね?」
「元貴が、昼と夜で表情を変えるからだよ。俺が合わせてるだけ」
「……は?」
「だって、昼間は平気な顔して、人に懐いて、笑って。無意識で、みんなを惑わす。……俺だけのものなのに」
そう言った藤沢の声は、どこまでも穏やかだった。
けれどその奥にある“温度”だけは、元貴にしっかりと伝わってくる。
「……俺さ、別に……誰に向けてやってるわけじゃないんだけど」
「わかってる。元貴のそういうとこ、全部わかってる」
優しく、でも強く。
抱き寄せられたその腕の中に、元貴はしばらく身を預ける。
「……それでも、ちょっと嫉妬するんだ」
「涼ちゃんが?」
「そうだよ。思ってた以上に独占欲、強いのかもしれない」
その台詞に、元貴はふっと笑った。
「そういうとこ、あんま見たことないけど」
「見せてないだけ。……でも、昨日は限界だった」
ああ――
だから、あんなにキツかったんだ。
わざとじゃない。でも、感じさせすぎたんだ、俺が。
「……ごめん」
珍しく、素直に言葉が出た。
「謝らなくていい。ただ――俺だけに見せてよ」
「何を?」
「全部。声も、顔も、涙も。……それと、嬉しいときの表情」
「……それって結構難しいって、ほんと涼ちゃんは」
「それでも、約束して?」
静かで、やさしい声だった。
でも、逃げ道のない声。
元貴はちょっとだけ視線を逸らし、それでも少ししてから、うなずいた。
「……わかった、努力する」
「ありがとう」
ふっと、藤沢が笑う。その顔を見て、元貴は口を尖らせる。
「なんかさ、結局涼ちゃんのペースだよね、いつも」
「元貴が、可愛すぎるのが悪い」
「っ……マジで、そういうとこムカつく」
照れたように目をそらした元貴の耳が、ほんのり赤く染まっていた。
——この関係は、誰にも言えない。
けど、誰にも邪魔させない。
ふたりだけが知っている、ふたりだけの約束。
それが今、またひとつ増えた。
⸻
その日のスタジオ。
「元貴くん、最近ますます色気増したよねぇ〜。曲だけじゃなくて、ビジュアルでもグイグイくる感じ?」
撮影の合間、メイクスタッフの女性が軽く元貴の頬をつついた。
「ちょ、やめてよ」と冗談めかして笑った元貴の反応に、周囲が和やかに笑う。
「ほんと、歌も上手いのに、こんなに顔も可愛いとか、女の私からしても凄く羨ましい!」
「……全然そんなことないって、もう、すぐそういう事言うんだから」
元貴は口をとがらせつつ、肩をすくめた。
だけど、その様子すら“絵になる”のが、彼の困ったところだった。
少し離れたところでその様子を見ていた藤澤は、静かに眉をひそめた。
スタッフの視線。
無邪気に元貴へ向けられる好意。
そして――元貴本人が、それに無自覚なこと。
「……ったく」
低く、小さく呟いて、藤沢は視線を逸らす。
カットがかかるたび、元貴は誰かに囲まれ、自然と中心にいる。
そして、そのどれもに“悪気”はない。
むしろ、彼の優しさがそうさせているのだと、藤澤はよくわかっていた。
わかっている、つもりだった。
「涼ちゃん、これ飲む?コーヒーもらった」
撮影後、ケータリングの台からカップをふたつ持ってきた元貴が、涼架に声をかける。
「……ありがと」
受け取ったその手を一瞬、少しだけ長く触れるようにして、藤澤は微笑む。
けれど、その笑みの奥には確かな“温度”があった。
「ねえ…今日、ちょっと機嫌悪い?」
元貴が、そっと覗き込む。
「……別に」
「いや、なんか……わかる。涼ちゃん、顔に出さないけど、目がちょっとだけキツくなる」
そう言って、元貴は苦笑する。
「……やっぱ、俺、なんかした?」
「……したっていうか。無自覚すぎるんだよ、君は」
藤澤の声は、やわらかく低かった。
でも、その裏にある感情は隠せていない。
「さっきの、メイクさんとのやり取り。……ああいうの、俺が見てるって、思わない?」
「……あれ?だって、ただのノリっていうか……そんな、俺……」
「そう。元貴に悪気がないのは知ってる。でも――無自覚に触れる元貴を見ると、俺の中の“独占欲”がうるさいんだよ」
「……あんま、そういうふうに言われると……なんか、やりにくい」
「……やりにくくていい。じゃないと、俺の手に負えなくなる」
その一言に、元貴は小さく目を見開いた。
頬がほんのり赤く染まる。
「……なにそれ、ちょっと怖いんだけど」
「怖くしてるんじゃない。ちゃんとわかってほしいだけ」
「……涼ちゃん、やっぱさ、表向き大人な顔して、中身めっちゃ嫉妬深いよな」
「うん、自覚ある」
即答に、元貴は思わず吹き出した。
「……でもさ」
と、少し声を落として続ける。
「俺、涼ちゃんがそんな風に思ってくれるの、少し嬉しい、かも」
「ふうん?」
「……だから、今日はさ。帰ったら……ね?」
そう言って目線を合わせずに呟いた元貴に、藤沢はようやくやわらかく微笑んだ。
「……じゃあ、今夜は俺の好きにしていい?」
「……あー、”今夜は?”…..いっつもそっちの好きにするくせに」
「元貴が誘ったんだよ?」
にやり、と藤沢が言う。
「あー……やっぱ言うんじゃなかった。……俺、泣くかも」
「泣いても可愛いから、大丈夫」
「……はあ。涼ちゃん、ほんとタチ悪い」
そうぼやきながら、でも元貴の顔には微かに笑みが浮かんでいた。
——今夜もまた、誰にも見せない顔を見せ合うふたり。
その関係は、密やかで確かで、どこまでも濃く、甘い。