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「お姉様!」
闇姫の口から、明らかに別の少女の声が漏れた。
それに、誰もが――他ならぬ闇姫自身が――驚愕に一瞬動きを止める。
閉じられた世界が、またわずかにぶれる。
「フリッツ!」
まさに、千載一遇の好機。逃す理由はない。そして、決して逃してはならない。
「神器に意志を込めなさい! 貴方ならできるはずよ! エリスでなく、闇姫だけを――」
その言葉が示す意味を理解し、納得し――フリッツは左右に身体をぶらすように、地面に稲妻の軌跡を描いて駆ける。
左右に小さな跳躍。その反動が、フリッツの身体をどんどんと加速させていく。
「――打ち抜きなさい!」
「やらせはせぬわ!」
アリシアの命令を打ち消すように、闇姫の怒声が響き、黒い錐がフリッツを迎え撃つ。
ガアァァァァン!
雷鳴のような音が轟き、黒い錐ごと闇姫を貫く。
闇姫は吹き飛び、入口のドア近くの壁に叩きつけられる。
「う……ぬぅ……」
闇姫が頭をふりながら、ゆっくりと体勢を立て直そうとする。
――ここで決めなくてはならない。
押しているにも関わらず、アリシアには焦りがあった。
フリッツに枷があるように、真魔である闇姫にも枷がある。絶望を喰らうために、相手に合わせるというその枷があるうちに、決めなくてはならない。
世界がまた、ぶれる。闇姫の世界が、消えようとしている。
「ビット!」
アリシアは一瞬で決断した。崩壊の楔を打ち込むべく、最も信頼する男の名前を呼ぶ。
彼はこの隔離された世界に入れていない。
しかし、必ずそこにいる。
この閉じた世界がぶれた今なら、声は届く。
どんな小さな声でも、世界さえつながれば、彼がアリシアの声を聞き逃すことは、有り得なかった。
ぶれた世界に、彼は侵入する。真魔の闇を消し去る、世界の闇を操り、扉を粉砕する。
砕けた扉の向こうから、肘を前にしてビットが跳び込む。
一歩で部屋に入り込む。
二歩目で、闇姫の眼前に着地する。
「お主は……!」
思わず口を開いた闇姫と対照的に、ビットは一言も話さず、雄叫びもあげず、ただ、その右手首に己の肘を叩き込んだ。
アリシアの蹴りをものともしなかった闇姫の肉体から、鈍い音が響く。
「斧刃脚!」
そこに、絶妙のタイミングでアリシアが追撃をかけた。白い光を纏った足が、今度は右肩に食い込む。
「フリッツ!」
呼ばれた時には既にフリッツも動いていた。再び稲妻となって駆ける。
だが、雷鳴は二度、轟かなかった。
闇姫の姿は、フリッツの視界から忽然と掻き消えた。
「えっ?」
「……遅かった」
フリッツが驚きの声を上げ、アリシアが悔しげに呟く。
次の瞬間、頭上から大量の錐が降り注いだ。
フリッツ達は地面を咄嗟に転がるのが精一杯で、とてもすべてを避けきれなかった。
鮮血が、宙を舞う。
「もう、よいわ」
声は、頭上から聞こえてきた。
「上質の絶望はもういらぬ。ただただ恐怖に震え、死ぬるがよい」
闇姫が、天井のすぐそばで、怒りに顔を歪めて吐き捨てた。
その姿は、いまだエリスの姿ではあったが、眼が決定的に変わっていた。
闇で塗りつぶしたように眼球は真っ黒に染まり、瞳の部分だけが、白く濁っていた。
それは確かに、世界の理から外れた姿。
その異様に、そして圧倒的な力にまた震えそうになりながらも、クリスは懸命に声をあげる。
「やめなさい! エリス!」
声に応えるかのように、今度は闇姫の指先がぴくり、と震えた。
少女の力で、そんなことはできない。
推測などではない。確かな知識でもって、アリシアはそう判断する。
ならば、何故だろうか?
奇跡はそうそう都合よく起きない。今の今まで、絶望に抗いもしなかった少女に起こせたりはしない。
奇跡は、困難に、運命に抗い続けたものだけが、起こすことができる。
眼を閉じず、耳を塞がず、全身全霊をかけて、抗う――それが、奇跡の条件。
身体中にできた傷は、どれも致命傷ではない。ただ、血が足りない。視界が霞む中で、判断も覚束なくなってくる。
かろうじて輪郭が見えるビットも、似たような状態であった。
ただ、一人が立ち上がるのが見えた。
そして、彼の周囲に、何か黒い粉のようなものが舞っているのが、なぜかわかった。
それは、ビットの魔法でも、ましてや闇姫のものでもなかった。
――それは、シウムの残滓。
世界を護ろうと、彼なりのやり方で抗い続けた、夢魔の存在証明だった。
フリッツは、息を大きく吸い込んだ。
そのまま息吹を丹田に落とし込み、気息を整える。
それに合わせるかのように、ちらちらと、小さな黒い塵が舞い踊る。
「ば、かな……」
闇姫が絶句する。それは、世界がもたらした奇跡に対する、慄きのようであった。
「この……往生際が悪いわ!」
再び、錐が降り注ぐ。今度はフリッツへと密集する形で、襲い掛かる。
フリッツが迎撃しようと、足に力をこめた刹那。
塵が、舞った。
ひらひら、ちらちらと舞い踊り、塵が錐を寸断していく。
二組の塵は決して混ざり合うことなく、一方だけが、世界から追い出されるかのように、消えていく。
「お姉様!」
再び、声が響く。
「黙るがよい! 人間風情が! どこまで妾の邪魔をする!」
同じ口から出た違う声が、少女の声を寸断する。
「エリス!」
しかしその抵抗は、大した力を持たないはずの少女に、破られる。
クリスの声に反応し、闇姫の、いやエリスの口がぱくぱくと動く。
ひゅぅ、と掠れた音を漏らす。
「それでいいのよ! 助けが欲しいなら叫びなさい! 恥も外聞も捨てて! 助けて欲しいと叫べばいい!」
ビットがゆっくりと立ち上がる横で、アリシアも、傷だらけの身体を懸命に起こす。絶叫を自らの、そして他人の力へと変える彼女のカリスマは、満身創痍でも少しも翳ることはない。
「願いなさい! 心の底から望みなさい! そうすれば、わたし達が助けてあげるわ!」
「余計なことを――っ?」
闇姫が怨嗟の声を上げようとして、止まる。
再び、ぱくぱくと口が動く。黒い塵が、いつの間にか少女を助けるように、周囲を舞っていた。
――再び、声にならないはずのそれが、力を持つ。
「――――助けて」
その声は小さく――けれど、確かに響いた。
アリシアが、笑みを浮かべる。
クリスの瞳から、涙があふれる。
「フリッツ! ビット!」
それらから力を得たように、名を呼ばれた二人が走る。
互い何の合図もなく、フリッツが跳躍したその一瞬後に、ビットが飛ぶ。
二人とも、闇姫の高さには届かない。
先に、フリッツの身体が落ち始める。
そこを狙い、頭をふらつかせながらも闇姫が錐を放とうとする。
「このおおおおおおおおおおっ!」
しかし、それを阻んだものがあった。
アリシアではない。クリスが、剣を闇姫に向かって投げていた。
少女の膂力では、闇姫のいる高さに届くかどうかで、大した威力ではない。
そのはずなのに、漂う黒い塵がまとわりつき、途中から一気に加速した。
塵を引きつれ、空気を切り裂くその一撃に、闇姫の意識が向けられる。
「大概にするがよい!」
塵が剣に密集したことで、闇姫は剣ごと塵を破裂させる。
シウムのかけらが、今度こそ世界の中へと還っていく。
――それらはすべて、時間にすればほんの数瞬。
世界の中からも、外からも、気にも止められない、誤差のような時間。
その数瞬で、しかしフリッツは動く。
交差するように追いついてきたビットの身体を踏み台に、更に高く、跳ぶ。
剣と塵を粉砕した闇姫が振り向く。
黒い力が闇姫の掌に集まる。
瞬間、フリッツの脳裏にその言葉が浮かぶ。
あの日から、ずっと封じてきた技。フリッツが持てる、最強の力。
使えば確実に、人を殺める技。
神器を持っていた師はしかし、確かにこう言った。
七つの流星は、世界を貫き、それを穿つ。
理から外れた、闇を討つ。
天を穿ち、星を刻む、その名をもって――
闇姫と、その力すべてを吹き飛ばすように、フリッツが叫ぶ。
「七星天刻
しちせいてんこく
!!」
反応さえ許さず、七つの煌めきが同時に闇姫に叩き込まれる。
黄金色の流星が、闇を穿つ。
音が、遅れて聞こえてくる。
――断末魔を上げることさえできず、少女の身体から闇が世界の外へと押し出されていった。
落ちた少女の身体を、しっかりと姉が受け止める。
意識のないエリスに、クリスは優しく語りかける。
「ずっと、寂しくさせてごめんね。また、一緒に作ろう――幸せな、世界を」
その姿を見届けて――アリシアキャラバンは声を揃えた。
「ご利用、ありがとうございます」