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待ち人が来たかと目をやった先には、梨都子がいた。彼女は池上と短く会話を交わした後、すぐに私に気がついて、にこやかな笑顔を浮かべてやって来た。
「碧ちゃん、お待たせ!あら?一緒に来るって書いてあったの、男の人だったのね」
梨都子は驚いたように目を見開いて拓真に視線を向けた。
拓真は早速立ち上がり、梨都子に向かって丁寧に頭を下げる。
「はじめまして。北川拓真と言います。昔、池上さんが働いていた店に、よくお邪魔していまして」
「あら、そうなのね。こちらこそはじめまして。池上の妻の梨都子です。碧ちゃんの姉代わりのつもりでいるわ。よろしくね」
拓真たちが簡単に自己紹介をしているところに、池上がやって来た。手には梨都子の分のワイングラスと取り皿などを乗せたトレイを持っている。それらをテーブルの上に並べながら、彼は梨都子に説明する。
「ここを始める前に働いていた店に、よく来てくれていた常連さんなんだよ。この前何年かぶりに顔を出してくれてさ。聞けば今は碧ちゃんの同僚なんだってさ。それと、学生時代の恋人で、またつき合い出したんだっけ?いや、まだ?」
池上が言った最後の言葉の曖昧さに梨都子は首を傾げ、私たちの顔を交互に見る。
「職場で偶然再会したっていうこと?それで今はなんですって?あれ?だけど碧ちゃんって、確か付き合ってる人がいたはずよね?会社の人だっけ?その人とは別れて付き合い出したってことなの?ん?でも、今真人が言った『まだ』っていうのが気になるわね」
私は拓真と顔を見合わせ、それから居住まいを正した。本題に入るタイミングのようだ。
「実は泊めてほしいっていうのは、それと関係があってですね……」
固い声で切り出した私の様子に、梨都子は真顔になった。
「泊めてだなんて言ってきたのもそうだけど、そんなにかしこまっちゃって、一体何があったの?こっちまで緊張してくるんだけど」
そう言いながら、梨都子は背筋を伸ばして座り直し、池上と顔を見合わせる。
私は緊張しつつおもむろに口を開いた。
「泊めてほしいって言ったのには事情があって……」
陽気な声が近づいてきたのは、話し出そうとした時だった。清水だった。
「おっ、梨都子さんと碧ちゃんの二人が揃ってる。なんだ、池上さんもここにいたの?カウンターの中、バイト君しかいなかったから、どうしたのかと思ったよ。ん……?」
清水は私たちの視線が自分に集中したことで、はたと動きを止めた。私たちの様子に困惑顔をする。
「もしかして、お邪魔だった?」
私は首を横に振った。
「いえ、そんなことないです。ちょっと梨都子さんたちにお願い事があって、今その話をしていたところで……」
「お願い事?」
改めて顔ぶれを確かめるように私たちの顔をぐるりと見て、清水の目が拓真の所で止まった。
「こんばんわ。確か、北川さん、でしたよね。碧ちゃんの同僚の。これって、どういう面子?あ、その前に、俺のこと覚えてます?」
「えぇ、もちろんです。先日はどうも」
拓真は笑みを浮かべて清水に挨拶した後、私を気遣うように言った。
「碧ちゃん、ひとまず俺は、清水さんと池上さんと一緒に向こうに行ってようか?女性同士の方が話しやすいこともあるだろう?」
私は首を振った。
「拓真君もここにいて。それにね、清水さんは私が気づくよりも早く、太田さんが私を束縛しているんじゃないかって、心配してくれた人なんだよ」
私と拓真の会話を耳にして、清水が眉をひそめた。
「ちょっと待った、なんだか重い話みたいじゃないか。やっぱ俺は遠慮した方が……」
しかし清水も私が信頼する一人だ。私は彼を引き留めた。
「清水さんも、もしも嫌じゃなければ一緒に聞いて下さい」
私の言葉に清水は躊躇する。
「え、俺がいても大丈夫なの?」
「はい。巻き込んでしまうかもしれないんですけど……」
少し考えるように清水は目線を宙に飛ばしたが、私を見て頷いた。
「碧ちゃんが構わないっていうなら、話、聞かせてもらうよ」
「ありがとうございます」
「史也、梨都子、俺、ちょっと戻るよ。悪いけど、碧ちゃんの話、よく聞いといてくれ。後で教えて。碧ちゃん、拓真君、一緒に聞いてやれなくて悪いな」
「いえ、とんでもない。引き留めてしまって、すみませんでした」
私は池上に頭を下げた。
仕事に戻って行く池上の背中を見送ってから、清水は梨都子の隣の椅子に腰を下ろした。
「あのさ、先に一つ確認していい?」
「なんでしょう」
清水は腕を組み、私たちの顔をしげしげと見ている。
「二人して名前で呼び合ってるなぁ、って思ってね。こないだ会った時には、確か同僚って聞いたと思ったんだけど、今日はあの時以上に親密な感じがする。もしかして二人、付き合ってるの?碧ちゃん、あの過保護な彼氏と別れたのか?」
「それはですね……」
言いかける私をそっと目で制して、拓真が口を開く。
「池上さんたちはもう知ってるんですが、俺たち、学生時代に付き合ってたんです」
意外なことを聞いたとでも言うように、清水の目が見開かれた。
「それで偶然会社で再会して、付き合い出したってこと?」
私は首を縦に振った。
「まぁ、そういうことです」
清水が首を傾げた。
「へぇ、あの彼と別れるの思ったよりも早かったな。いや、別に悪いって意味じゃないよ。俺、実は心配だったから、よかったな、って」
「よかったな、ってどういう意味よ?」
清水の言葉に梨都子がぴくりと片眉を上げる。
「碧ちゃんの話そうとしてる事情、何か気づいてたってこと?」
「うん、まぁ、気づくというか」
清水は腕を組んで私を見た。
「さっき、なんか言ってたよね。束縛がどうとかって」
清水の眉根がきゅっと寄せられた。彼は一度太田に会っている。その時の太田の様子や、その前にタクシーの中で私と交わした会話の内容などを思い出しているのかもしれない。清水はその時の会話の中で、私に対する太田の行動を「束縛気味に見えてしまう」と表現していたのだった。
「彼と別れた理由はやっぱりそれか?」
私は清水の問いに頷くと、テーブルの上に目を落とした。ひと呼吸ついてから、昨晩拓真に話したと同じことを二人に話して聞かせる。この話をするのは苦しいけれど、今は拓真が傍にいてくれるから大丈夫だと、時折つかえそうになる声を励ました。
ようやくすべてを話し終えて、二人の反応が怖くて緊張する。組んでいた手指にいつの間にか力が入っていたらしく、気がつけば色を失っていた。